
ここ最近、雨が続いて桜がちっていないか不安になって夜中に近くの公園に行く。4月の初旬、よかった。まだかろうじて咲いている。どうしてこの花のことを綺麗だと思うのだろう。小さい頃は埃の塊が枝の先についてるみたいで“綺麗”というフォルダには入れていなかった。むしろ夜の街灯が不自然なほど淡く浮かべるのを不気味な気持ちで見ていた覚えがある。この世のものと思えなかった木の下でスーツを着た大人が泣いているのを見たことがある。小さなわたしは横に立ち、顔をじっと見ていた。心配していたのではなく、驚いていた。大人は泣かないものだと思っていたから。
小雨の降る中、公園のベンチに座り、缶ビールのタブを開ける。日比谷野外音楽堂で踊ってばかりの国とライブをしたのは二週間前。なんだか熱ばんだ体が未だ着地せずに、気球のように浮かんでいた。多分だけど一度も靴底は地面についていない。その熱を家で一人では抱えきれず、わたしたちはひたすらにスタジオで練習した。可能性に触れている瞬間はあらゆる不安や寂しさから自由でいられる。バンドは手段ではなく、目的そのものだとわたしは知っている。
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*マヒトゥ・ザ・ピーポー連載『眩しがりやが見た光』バックナンバー(2018年~2019年)