
エルド吉水は、本稿で『龍子』(第1巻)をご紹介しました。『龍子』はまだ完結には至っていませんが、新作『ヘンカイパン』(全1巻、リイド社)が刊行されたので、この作品をご紹介します。
『龍子』も世界を股にかけるスケールの大きな闘争とアクションのマンガですが、『ヘンカイパン』はさらにその上を行きます。
地球そのものが一個の登場人物になるような、宇宙的、神話的な物語なのです。
そもそも「ヘンカイパン」とは古代ギリシャの言葉で、「一にして全」という意味。一つの神が世界の全体であるという、哲学用語でいう「汎神論」を表しています。
ただ、ユダヤ・キリスト教やイスラム教が生まれる前の神ですから、それは一神教の絶対神ではなく、日本でいう八百万の神が合わさったような神的な意志が存在し、それがこの世界として実現しているという考えかたです。
主人公は、その神的な意志をもつ精霊たちで、来るべき「審判の日」に、彼らが人類の運命を決定することになります。
1人は、アフリカのマダガスカルにいる黒人男性のオンビアサ。
2人目は、フランスのロワール地方に暮らす白人女性のニーラ。
3人目は、中国系(?)の少女ジョフク。
4人目は、アメリカのアリゾナ州に住むネイティヴ・アメリカン男性のホンガ。
最後に、インド北部で生きる老女ペマジュがいますが、このペマジュが精霊たちの導師として、4人の精霊の考えを聞き、人類に対して最終的な裁きを下すはずでした。
しかし、ニーラは、人類があまりにも悪行を重ねてその罪は償いがたいものになったと判断し、人類のみならず全地球の生命を断つと決めて、日本の原発やアメリカの原子力潜水艦に攻撃を開始してしまいます。アメリカがイランの核施設を攻撃したというニュースを聞くと、荒唐無稽な絵空事とはいえない感じもします。
そのニーラの戦闘と破壊の手先となったのが、本書の真の主人公アスラです(彼女は若い女性として造形されています)。
そして、人類の罪を認めながらも、地球の生命に新たなチャンスを与えようとするペマジュ指揮下のオンビアサ、ジョフク、ホンガと、ニーラの意志を体現するアスラとのあいだに激烈な葛藤が生じるというのが、『ヘンカイパン』の主な筋立てです。
本書の最大の見どころは、日本最後の「劇画家」というべきエルド吉水の、奔放無比、変幻自在の筆致です。
そこには、宇宙規模の神々の仁義なき戦いを語るなどというドラマを、自分以外の誰が絵にできるかという自負心を見ることも可能です。じっさい、エルド吉水はその挑戦に成功しているといってもいいでしょう。
ともあれ、アスラとはもともとインド神話の悪神ですが、のちに仏教の守護神・阿修羅に転身するので、本書でも、アスラが阿修羅になる瞬間をクライマックスとしています。その途方もない想像力の奔騰と、グラフィックな切れ味の鋭さに痺れてしまいます。
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