
「ハート柄」に込められた無言の圧よ
毎月大抵7日間。見つめ続けなければいけないハートマークを知っているだろうか。そのハートマークはいつも一人で見る。狭い部屋で、座って見る。ほんのり赤い縁取りがなされている時もあれば、熟れすぎて赤黒い時もある。ハートマークの正体。それはナプキンに刻まれた紋様。

ナプキンの隅にはなぜか、小さなハートマークが刻まれていることが多い。1つ、もしくは小さいのが3つ4つ。そのハートマークは、ナプキンが真っ白でも見つけることができる。ほのかな凹凸によって浮かび上がったハートマークはまぁ、それなりに可愛いけれど、だからってこのハートを赤く染めたいなんて気持ちは1ミリもない。トイレでパンツを脱いだ時、ハートが赤くて「やったね!」と思ったこともない。ハートを見つめるときの私の顔はおそらく決まって無表情、感情はゼロ。この世で一番どうでも良く、なんの愛着も持てないハートマークが、ナプキンのそれだと思う。
ふと、どうしてハートなんだろうと思った。シンプルに可愛いからだろうか。でもだとしたら、別にハローキティでもいいじゃないか。ミッキーでもいいし、ちいかわでもいい。いやでもあれか? なんとなくだけど、オスは気まずいのか? 気まずいってなんだよ。てかそれ言い出したらメスも気まずいだろ。生き物は気まずいよ。自分以外の生き物を己の経血で染め上げるなんて狂っている。あぁ、だからハートなのか。ハートは生き物じゃないものね。だったらダイヤとかスペードとか、クローバーとかでもいい。もしも自分でナプキンをデザインを作るとしたら、私はそこに、どんな柄の凹凸を刻むだろう。必要あるなしは置いといてさ、刻む縛りの場合、どうする?
ドクロがいい。それも、マジでイカついやつ。クリスタルスカルみたいなやつ。生理の煩わしさを、私の代わりに怒ってくれるドクロ。最高じゃん。怪獣もいいし恐竜でもいい。なんか、とにかく圧と迫力がある強い何かにそこにいてほしい。血を流してる私を励ませるのは、圧倒的強さを誇る何かだ。キュートさとか優しさで、私を励ますことはできない。だから鬼でもいいよ。鬼瓦でもいいよ、と、ここまで思って、私は自分を励ますとき、いつでもネガティブな気持ちを拠り所にする人間だと気づいた。

悪態をつくことで、生きられてる時だってあるよね
例えば学生時代、テスト前にどうやって自分のやる気を保っていたか。私はいつも「クソテストが」などと口汚く罵りながら「覚えとけよ数学、すぐに忘れてやるから」と中指を立てていた。そうやって、テストに喧嘩を売ることで、どうにかテストと向き合うことができたのだ。舞台の本番直前、袖で緊張している時も、私は決まって悪態をつく。「なんでこんな思いしなきゃいけねんだよ」「マジで覚えとけよ」「やれば終わる死にはしない」誰に頼まれたでもない、自分で始めた仕事。私が心からやりたいと願い努力した結果迎えている本番。それなのに私は悪態をつく。そうじゃないと、平常心でいられないのだ。
以前「絶対できる、大丈夫」と自分に声をかけている俳優を見かけたことがある。私はその人の心の清らかさに胸を打たれ、自分を恥じた。同じように「こんなに大変なんだから、今夜のビールは美味しいぞ」と笑っているおじさんを見た時も、神かと思った。なんて明るく、前向きな生き方だろう。少し羨ましくなって、私も同じように、辛さを前向きに励ましてみようと思ったことがある。
全然無理だった。「がんばろう!」とかって自分を励まそうとしても「いや既に頑張ってるが?」だの「頑張るのは当たり前で頑張るからきついんだろ」などと、秒で副音声が始まってしまう。向いていないのだ。明るく前向きに、希望を持って取り組むこと。そういう生き方が、私はてんで向いてないでやんす。文句ばっか言って、生きていきたいでやんす。不遜な人間です。だけどそれでも、どれだけ態度悪くても、頑張りはする。きちんとナプキンをつけるように、今日も決められた時間起きて働くのである。偉い。
世の中にあと少しだけ、私みたいな人間向きのデザインがあったらなって、ちょっぴり願ってしまう。ハートの刻まれたナプキンに紛れて、時々でいいから、鬼瓦が刻まれたナプキンを置いてほしい。雨の日でも明るく楽しい気分になる傘は沢山あるから、雨の日だからこそもっと陰鬱に。血まみれデザインの傘とかさ。明るく朗らかに存在することだけが、頑張り方ではないって、ちょっとでいいから認めてほしい。別に叶わなくっても良いのだけれどね。どうしたって私は悪態を築きながらしか生きていけない。誤解を招くこともあるけど、自分の機嫌の取り方くらい、自分で決めさせていただくわ。
キリ番踏んだら私のターン

相手にとって都合よく「大人」にされたり「子供」にされたりする、平成生まれでビミョーなお年頃のリアルを描くエッセイ。「ゆとり世代扱いづらい」って思っている年上世代も、「おばさん何言ってんの?」って世代も、刮目して読んでくれ!
※「キリ番」とは「キリのいい番号」のこと。ホームページの訪問者数をカウントする数が「1000」や「2222」など、キリのいい数字になった人はなにかコメントをするなどリアクションをしなければならないことが多かった(ex.「キリ番踏み逃げ禁止」)。いにしえのインターネット儀式が2000年くらいにはあったのである。
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