
ここ二週間はずっと、星野智幸さんの小説『ひとでなし』を読んでいた。小学生からいまに至るまでの主人公の精神史が、その時代に起きた出来事ともに描かれる大作で、読むあいだはずっと頭をフル回転させずにはおられず、その世界にとても惹き込まれた。
ひとりの人生を追った作品なので、その章ごとに登場人物も変わり、小説にはたくさんの人が出てきた(これまでの人生で関わった人の顔を、一人ずつ思い出してみてください)。ずっと主人公に関わる中心人物もいる一方、目のまえに現れたかと思ったら、また時の狭間へと消えてしまう人もいて、わたしが気になったのもまた、そうしたどこかへ行ってしまった人たちだ。
何人もの人が集まった同窓会の席上、誰かが「そう言えばあいつどうしてるんだろう?」と言ったとき、「さあ……」とみなが口をつぐんでしまうような「あいつ」。
わたしの同級生にも、夏休みの前まではまじめに大学に来ていたのに、九月になるとばったり姿を見せなくなり、そのままそれっきりになってしまった女の子がいた(あとから「あの子は旅芸人と駆け落ちしたらしい」という噂が流れた)。
『ひとでなし』に登場する、長らく小学生の教師を続けているセミ先生は、次のように語っている。
「これだけ子どもとつきあってると、いろんな運命があるよ。事故や病気で私より先に亡くなる子もいるし、自ら終える子もいるし、派手に輝く子もいれば、地味に充実してる子もいる。不思議だよ、子どものころからは予想もつかない運命をたどる子もいっぱいいるんだよな」。
人生の要所には、覗き込めば否応なく引きずりこまれてしまうような穴が開いていて、突然いなくなった人たちは、そのどこかの穴に嵌まりこんでしまったのではないか――わたしは昔からそのような妄想にとりつかれることがある。もちろん「いなくなった」というのは、あくまでもわたしから見たときの話で、彼らは彼らでその後の人生を生きているのだろう。だが自分の足元にも、怖くてまだ覗き込むことすらできない、暗い穴の存在を感じるときはある。それを考えると、いまここにいるのはほんとうにたまたまで、わたしは違う運命を辿る可能性だってあったのだ。同じことをもう一度やってみろと言われても、それは決してくり返すことのできない、偶然の積み重なった結果でしかない。
そのこととは直接関係ないもしれないが、若いころはふしぎな事件に巻き込まれることがあったし、見ず知らずの人から話しかけられることも多かった。
大学一年の冬。当時仲間うちで流行っていた一眼レフのカメラを手に入れ、空いた時間ができると電車に乗ってはどこかの駅で降り、気の向くままに歩き回っては周りの風景を撮影していた。
そんなある日、池袋にある東京芸術劇場の前で、いつものように道行く人や、そこにいる鳩などを撮っていると、向こうから長いあごひげを蓄えた中年男性が、「いいカメラ持ってるね」と近づいてきた。彼は有名ミステリ作家・Mの友だちだと言い、Mの書いたエッセイをコピーして一枚に貼り合わせたものを、鞄の中からごそごそ取り出してきた。
「ここに書かれているの、僕なんだ」。
彼はエッセイの中で、「大学時代の友人で考えていることが面白い、ケレン味のある人物」として紹介されていた。わたしは「ケレン味のある」という言葉の意味がわからなかったが、男性の風貌からして、まあ怪しいといったくらいの意味なのだろうと想像した。彼はMとの付き合いについて語ると、「いま、小説や芸術に関心のある連中が僕のところに集まっていて、自主的に勉強会のようなものを開いているんだ。よかったら一度君も来てみないか」と誘ってきた。
わたしは少し考えて、「そういうのはちょっと……」と言ったのだが、その言葉は彼の耳には入らなかったようで、「君よりは少し歳の上の人が多いけど、みな気のいい連中だよ。お金とかそういうのも貰っていなくて、あくまでも意見を交わす会だから、一度来てみるといいよ」と、少しずつ誘う声に熱が帯びはじめる。彼の存在には人を妙に惹きつける力があって、頭で考えていることとは裏腹に、もう少しだけ話を聞いてみてもいいかなと思わせるところがあった。
少し間があいたとき、わたしは意を決して「時間がないから、もう行かないと」と言った。彼はわたしの目をじっと見ると、自分の名前と電話番号が印刷された小さなカード、それに先ほどのエッセイを差しだし、「気が向けば電話してよ」と笑った。
「一人で写真を撮っているだけではダメだぜ。誰かの目を通して、お互い充分に語り合わないと、いいものは生まれてこないんだ」。
結局、彼に電話することがなかったのは、わたしの臆病な性格が幸いしたのかもしれない。彼の存在が、人生に穿たれた穴であると言いたいわけではないが、わたしはそのとき小さな分かれ道を、いまいる方向に少しだけ進んだのだろう。そのとき電話して、彼のサークルに入ることだってできたのだから。
その後働きはじめ、いまの仕事が面白くなってくると、そうしたよくわからない出会いはなくなった。その代わり、無理をしなくても一緒にいられるような知り合いが増え、気がつけば自分の人生は、いつの間にか引き返せないところまで来ている。
でも、わたしは思うのだ。
いまもわたしのいる道には、違う世界に通じる穴が開いていて、いつでもそれを選ぶことができる。お前はほんとうは、そちらの道を歩いていてもおかしくはないのだと。
今回のおすすめ本
『積ん読の本』石井千湖 主婦と生活社
あなたはそれを罪と感じるか。それともいまだ触れていない〈可能性〉と考えるのか。12人の本読み巧者に訊く、積ん読の哲学。それは本とは何かという問いでもあった。
◯連載「本屋の時間」は単行本でもお楽しみいただけます
連載「本屋の時間」に大きく手を加え、再構成したエッセイ集『小さな声、光る棚 新刊書店Titleの日常』は、引き続き絶賛発売中。店が開店して5年のあいだ、その場に立ち会い考えた定点観測的エッセイ。お求めは全国の書店にて。Title WEBS
◯2025年4月25日(金)~ 2025年5月13日(火)Title2階ギャラリー
「定有堂書店」という物語
奈良敏行『本屋のパンセ』『町の本屋という物語』刊行記念
これはかつて実在した書店の姿を、Titleの2階によみがえらせる企画です。
「定有堂書店」は、奈良敏行さんが鳥取ではじめた、43年続いた町の本屋です。店の棚には奈良さんが一冊ずつ選書した本が、短く添えられたことばとともに並び、そこはさながら本の森。わざと「遅れた」雑誌や本が平積みされ、天井からは絵や短冊がぶら下がる独特な景観でした。何十年も前から「ミニコミ」をつくり、のちには「読む会」と呼ばれた読書会も頻繁に行うなど、いま「独立書店」と呼ばれる新たなスタイルの書店の源流ともいえる店でした。
本展では、「定有堂書店」のベストセラーからTitleがセレクトした本を、奈良敏行さんのことばとともに並べます。在りし日の店の姿を伝える写真や絵、実際に定有堂に架けられていた額など、かつての書店の息吹を伝えるものも展示。定有堂書店でつくられていたミニコミ『音信不通』も、お手に取ってご覧いただけます。
◯2025年4月29日(火) 19時スタート Title1階特設スペース
本を売る、本を読む
〈「定有堂書店」という物語〉開催記念トークイベント
展示〈「定有堂書店」という物語〉開催中の4月29日夜、『本屋のパンセ』『町の本屋という物語』(奈良敏行著、作品社刊)を編集した三砂慶明さんをお招きしたトークイベントを行います。
三砂さんは奈良さんに伴走し、定有堂書店43年の歴史を二冊の本に編みましたが、そこに記された奈良さんの言葉は、いま本屋を営む人たちが読んでも含蓄に富む、汲み尽くせないものです。
イベント当日は奈良さんの言葉を手掛かりに、いま本屋を営むこと、本を読むことについて、三砂さんとTitle店主の辻山が語り合います。ぜひご参加下さいませ。
【店主・辻山による連載<日本の「地の塩」を巡る旅>が単行本になりました】
スタジオジブリの小冊子『熱風』(毎月10日頃発売)にて連載していた「日本の「地の塩」をめぐる旅」が待望の書籍化。 辻山良雄が日本各地の少し偏屈、でも愛すべき本屋を訪ね、生き方や仕事に対する考え方を訊いた、発見いっぱいの旅の記録。生きかたに仕事に迷える人、必読です。
『しぶとい十人の本屋 生きる手ごたえのある仕事をする』
著:辻山良雄 装丁:寄藤文平+垣内晴 出版社:朝日出版社
発売日:2024年6月4日 四六判ソフトカバー/360ページ
版元サイト /Titleサイト
◯【書評】
『生きるための読書』津野海太郎(新潮社)ーーー現役編集者としての嗅覚[評]辻山良雄
(新潮社Web)
◯【お知らせ】
メメント・モリ(死を想え) /〈わたし〉になるための読書(4)
「MySCUE(マイスキュー)」
シニアケアの情報サイト「MySCUE(マイスキュー)」でスタートした店主・辻山の新連載・第4回。老いや死生観が根底のテーマにある書籍を3冊紹介しています。
NHKラジオ第1で放送中の「ラジオ深夜便」にて本を紹介しています。
偶数月の第四土曜日、23時8分頃から約2時間、店主・辻山が出演しています。コーナータイトルは「本の国から」。ミニコーナーが二つとおすすめ新刊4冊。1週間の聴き逃し配信もございますので、ぜひお聞きくださいませ。
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本屋の時間

東京・荻窪にある新刊書店「Title(タイトル)」店主の日々。好きな本のこと、本屋について、お店で起こった様々な出来事などを綴ります。「本屋」という、国境も時空も自由に超えられるものたちが集まる空間から見えるものとは。