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1980年、女たちは「自分」を語りはじめた

2023.12.06 公開 ツイート

上野千鶴子「メソッドもカリキュラムも河野さんがオリジナルで作ったの?」「完全に誤解していました」 河野貴代美

12月11日(月)19時より、フェミニストカウンセリングのパイオニア、河野貴代美さんと社会学者の上野千鶴子さんが「おひとりさまの老後を生きる」をテーマにオンライン講座を開催します。

開催を前に、河野さんの著書『1980年、女たちは「自分」を語りはじめた フェミニストカウンセリングが拓いた道』の巻末よりおふたりの対談の一部をお届けします。
(構成:安楽由紀子 写真:菊岡俊子)

フェミニストカウンセリングのメソッドはオリジナル

上野 そもそも「フェミニストセラピィ」を「フェミニストカウンセリング」と改称した時に、日本化、土着化ということをお考えになりましたか。直輸入ではうまくいかないと感じ、修正を加えようと思われたのでしょうか。それとも、アメリカで経験してきたフェミニストセラピィのメソッドが、ほぼそのまま日本の女性にも通用すると思われました?

河野 私はフェミニストセラピィをアメリカで学んで実践してきたわけではありません。仕事は、サルベーションアーミー(救世軍)の家族サービス部で、やってきたのは、カウンセリングというより、物理的な援助も含めて家族問題の相談にのること。福祉事務所の相談に似たソーシャルワーク的な相談です。いわゆるセラピィとしては、帰国して模索しながら作っていった。

上野 だとしたら、河野さんが日本に持ち込んだというフェミニストカウンセリングとは?

河野 基本的には理念です。

上野 ちょっと待ってください。フェミニストカウンセリングにはさまざまなメソッドやカリキュラムがありますね。あれはアメリカで学んだものではないんですか。あのカリキュラムはどこから来たのですか。あなたが完全にオリジナルで作ったんですか。

河野 オリジナルで作ったんです。帰国して本を読んだりカウンセラーと話したりして、自分で考えたんです。

上野 初めて知りました。基本、セラピィって1対1ですよね。それをグループ対象にしましたよね。

河野 ええ、AT(アサーティブ・トレーニング=自己主張のトレーニング)、CR、SET(自己尊重トレーニング)と、グループを作りました。

上野 それはどこかで学んだのでしょうか?

河野 CRとかATはアメリカで学んだけれど、実際にやったことはないんですよ。書かれたもので学んできたんです。

上野 文字情報だけで、経験したことのないことをオリジナルに作られたんですか。

河野 はい。

上野 私は完全に誤解していました。それというのもフェミニストカウンセリングには英語が多いので、英語圏からモデルを持ち込んだとばかり思っていました。

河野 概念はそうですよ。女性の問題は社会構造が作っている。これが基本の概念ですよね。この概念はアメリカから私が持ち込んだものだけど、セラピィの実践は経験したことがないんです。院生時の、訓練トレーニングと救世軍の仕事で。

上野 グループカウンセリングや集団的なワークショップを作ったのは、グループが一定の効果を持つということを、河野さんが確信していたからですか。

河野 そうです。

上野 そこをお聞きしたいです。

河野 私は本来ソーシャルワークの出身です。ソーシャルワークには、もともとケースワークと、グループワークと、コミュニティオーガニゼーションの3つがあって、そのうちのグループワークは、セラピィとまではいかないけれども、グループで話し合いを通して回復するというさまざまな社会的視点を取り入れていく実践です。非行少年グループとか受刑者グループワークとか。これをアメリカではやったことはありませんが、渡米前に日本で勤めた精神科病院では退院前の患者グループとかでやったことはありました。そういう素養は若干あった。

上野 心理カウンセラーの信田さよ子さんも、出発点はアルコール依存症の患者さんたちでした。つまり精神科医療の限界を入り口でしたたかに味わい、共同体の力を知ったそうです。河野さんもやっぱり依存症からスタートしたんですね。専門家や医療の限界と、グループの力を原体験として持っていたことが影響しているのでしょうか。

河野 ありますよ。ものすごくあります。

上野 そういうことをちゃんと言ってほしいです。

河野 本書には十分書いてあるつもりです。精神科病院での経験や、アメリカでのアルコール・薬物依存症者の自助施設シナノンでの経験、NOW(全米女性機構)の一会員としての経験が、フェミニストカウンセリングの基礎になっています。

上野 シナノンの言いっぱなし・聞きっぱなしもすごく重要な技法ですよね。DV被害者にも応用が利く、そういう技法を学んだわけですね。

河野 フェミニストセラピィに関わる前の話ですが、はい。
 

(写真:Unsplash/Brett Jordan)

なぜアカデミックに評価されなかったのか

上野 そうやって各地に種を蒔いて育ててこられた。本当にすばらしい成果ですし、指導者として河野さんを慕う人たちは全国におられるわけですが、その次の段階、フェミニストカウンセリングがマーケットを作っていく90年代に話を移しましょう。各地に女性センターができて非正規の職員ポストという雇用機会が生まれました。それまでは女性センターの運営に関わる市民は無償のボランティアでした。それがわずかでも報酬が出るようになったので、無職無収入の女性たちは「お金をもらってラッキー」という状態でした。1つのセンターに相談員が2、3人しかいないとしても、日本全体の自治体を合わせると、雇用機会も相当の数になります。

90年代後半、私は横浜市女性協会が編集した『女性施設ジャーナル』で河野さんと対談しました。その時私は、「女性センターは女性の雇用崩壊の現場」だと指摘しました。相談業務は、高学歴女性にとって、単価は相対的には悪くないが食えない職でした。そこにフェミニストカウンセリングの講座修了生が採用されていきましたね。そのことについてはどうお考えでしょうか。

河野 はい。よい機会になりました。

上野 相談業務に関する女性センターの功罪はいくつかあります。女性の雇用機会を増やしたことは大きな功でした。罪の方は、まず、講座を修了することが職業機会に繋がるという期待を女たちが持つようになったけれども、主婦の非正規雇用の域を出なかったこと。2つめは、本来、相談業務は自治体にとって市民とのインターフェースの現場ですから、そこから上がった問題は政策決定のための重要な情報になるはずのものです。

ところが、相談業務は守秘義務とプライバシー問題のもとに囲い込まれ、外に情報発信できなくなりました。さらに3つめは、本庁の女性政策課と出先機関の女性センターとのあいだに序列があり、女性センターに異動する職員は窓際か退職後の天下り。そのため現場がゲットー化されていきました。4つめは、女性センターそのものや、その中から相談業務が切り離されて指定管理事業者に委託されるようになり、相談内容がますます囲い込まれるようになりました。これが私の観測ですが、どうお考えになりますか。

河野 当初は、女性政策課と女性センターの連携が悪くないところもあったし、おっしゃっているような場合は後になってからじゃないですか、多分。守秘義務については、許可を得れば情報を出すことはかまわない。私も許可を得ていくつかのケースを出したことはあります。

上野 女性相談が行政にフィードバックしなくなったことを言っています。それに守秘義務についてはそういう例外的な扱いではなく、あれだけ相談業務による蓄積があるのに、フェミニストカウンセリング業界からの外への情報発信が少ないように感じます。

河野 外への情報発信は少なかったけども、フェミニストカウンセリングのジャーナルにはケースを書いてますよ。

上野 それも内輪向けですね。フェミニストカウンセリングの学会員以外に、誰が専門ジャーナルを読むでしょうか。

河野 そう、基本的には。でも学会の紀要はそんなものでしょう。

上野 相談業務には広がりがあったにもかかわらず、情報の囲い込みが起きて、誰もやってることを知らない。女性センターに行けば無料で相談を受けられることは知っていても、そこからどういう課題が浮かび上がり、政策とどう結びつくかの経路がまるっきり見えません。

河野 その通りです。残念ながら。私と仲間で作ったセンターにおける相談業務の指針(巻末資料参照)には明記されていますが、指針そのものが広く読まれなかった。

上野 やはり囲い込みされたのでしょうか。

河野 私は本を幾冊か上梓し、そこにケースを書いているけれど、フェミニストカウンセリングとして、女性の訴えを分析して、差別視点以外の現状を伝えていく役割を担うというところまで自覚が及ばなかった気がします。自分たちの活動だけで自足していたかと言われるとそんなことはないんですけど、内弁慶でなかなか発信していかないというきらいがあった。その背景に、大学の臨床心理学科や教育心理学科を出た若い人たちを吸収できてこなかったということがありますね。

上野 そこなんです。なぜフェミニストカウンセリングが日本のフェミニズム、特にアカデミックなフェミニズムの中で評価されなかったのか。心理学者たちがフェミニストカウンセリングに接点を持たなかったのはなぜでしょう。

河野 フェミニズムを射程に入れると、一般的な心理学会とは接点を持ちにくい。

上野 心理学に限らず、ありとあらゆる学会は男性支配ですよ。80年代、90年代には各分野で女性の研究者がどんどん増えていきました。女性の全部がそうではないけれど、その中にフェミニストは相当いました。とくに女性研究者は社会学に食い込んでいきました。今はどの学会にもジェンダー部会があります。心理学会の中にもフェミニストはいます。そういう女性心理学者たちとフェミニストカウンセリングはなぜ接点がなかったんでしょう。

河野 ある社会学の研究者がエスノメソドロジーの分析をしていると聞いたから、共同研究で分析できないかとお話をしましたが、あまり興味を持っていただけませんでした。フェミニストカウンセリングの現場は、あくまで臨床ですから、研究ということで、少し格下に見られたのかなと感じました。ひがみではなく。だからなんとなく私自身も諦めたところもありましたね。たとえば発達心理学会にはフェミニズムを取り入れている研究者もいますが、だからといって発達心理学会に出かけて、フェミニストカウンセリングとつながりましょうとはなっていかなかった。その理由の一つには、フェミニストカウンセリングの閉じこもり性がある。職もないので、若い人たちに呼びかけることもできない。主婦なら夫が食べさせてくれるけれど。

上野 フェミニストカウンセリングの側のアカデミズム嫌いもありますか?

河野 フェミニストカウンセリング側が拒むということはないと思いますが、フェミニストカウンセリングも層が分かれていて、草の根的な思考の、資格化や制度化はダメというグループもいるんですね。そういう人たちはアカデミズムが嫌いですね。

上野 河野さんだって一時期大学教師をやっていたでしょう。その時にアカデミックなフェミニストカウンセリング論を打ち立てて、後継者を養成しようと思いませんでしたか。

河野 できなかった。

上野 なぜ。

河野 帝京平成大学では社会福祉部の所属で、私に課されていたのは、ほとんどできたばかりの国家資格、社会福祉士、介護福祉士、精神保健福祉士の育成が主でしたし、お茶の水女子大学のジェンダー研究センターは研究が主でフェミニストカウンセリングの講座を作ることはまったく要請されなかった。期間も2年半と短かった。その後、客員教授になっても、開発途上国女子教育協力センターでアフガニスタン問題を扱っていましたから、大学でフェミニストカウンセリングを生かせるような活動はできなかったですね。

上野 アカデミズムは知の再生産の制度です。ここに入るか入らないかで、持続可能性が違ってきます。女性学・ジェンダー研究は制度化を果たしました。散々「体制内化」だと批判を受けましたが、制度化と体制内化は違います。権力にすり寄ったら体制内化と言われても仕方がないけれど、制度化そのものに反対する理由は何もありません。制度化を目指してありとあらゆる努力をしてきましたから、ちゃんと科研費のジェンダー細目もできましたし、数は多くないとはいえジェンダー研究のポストも確保しました。講座やコースを作れば学生が入ってくるし、入ってくれば次世代が育ちます。

河野 フェミニストカウンセリングは「主婦的」女性から始まっているので、そこから先、大学や他の学会に繋がっていく訓練ができてない。

上野 女性学・ジェンダー研究だって「私」から始まっています。

河野貴代美さん×上野千鶴子さんオンライン講座
「おひとりさまの老後を生きる」

開催日時:2023年12月11日(月)19時~21時
場所:Zoomウェビナー

2024年1月8日(月)23時59分まで視聴可能なアーカイブを販売中です。詳細は、幻冬舎大学のページをご覧ください。

関連書籍

河野貴代美『1980年、女たちは「自分」を語りはじめた フェミニストカウンセリングが拓いた道』

「このひとがいなかったら、日本にフェミニストカウンセリングはなかった。 最後の著書になるかもしれないと、明かされなかった秘密を今だから語り残す。」 ――上野千鶴子(社会学者) フェミニストカウンセリングは、「苦しいのは、あなたが悪いのではない」と女性たちへ「語り」を促し、社会の変化を後押ししてきた。 女性たちが語り、聞いてもらえるカウンセリング・ルームをはじめて作った創始者がエンパワーメントの歴史をひもとく。

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1980年、女たちは「自分」を語りはじめた

2023年3月8日発売『1980年、女たちは「自分」を語りはじめた フェミニストカウンセリングが拓いた道』について

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河野貴代美

1939年生まれ。シモンズ大学社会事業大学院修了(MS)。元お茶の水女子大学教授。専門は、フェミニストカウンセリング、臨床心理学、フェミニズム理論、社会福祉。日本にフェミニストカウンセリングの理論と実践を初めて紹介し、各地におけるカウンセリングルームの開設を援助。後、学会設立や学会での資格認定に貢献。著書『自立の女性学』(1983年、学陽書房)、『フェミニストカウンセリング(Ⅰ・Ⅱ)』(新水社、1991/2004年)、『わたしって共依存?』(2006年、NHK出版)ほか、翻訳書に、P・チェスラー『女性と狂気』(1984年、ユック舎)、H・パラド他『心的外傷の危機介入』(2003年、金剛出版)ほか多数ある。

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