
「動物との性愛」、「犬や馬をパートナーとする動物性愛者『ズー』」。帯に書かれた言葉を見て、手に取るのをためらう人もいるだろう。私自身も怖いもの見たさと好奇心で読み始めたのだけれど、すぐにすごいものに手を出してしまったことに気づいた。それは後悔ではない。姿勢を正し、真摯に向き合いながら読み進めるべき本である、という気持ちになったのだ。
著者がこの動物性愛者の研究に取り組むことになったきっかけそのものに、見過ごすことのできない大きな問題がある。それは、彼女の過去の、性暴力に苦しんだ経験だ。その傷は深く、今なお、すべてが解決したとは言えない。その苦しみを想像すると、暗澹とした気持ちになる。しかしながら、動物との性愛をめぐる彼女の旅は、その解決の糸口が見つかるのではないかと期待を抱かせる。同時に「人間にとっての愛とは何か、そして暴力とは何か」ということへの考察を、これまで私の頭の片隅に一度として浮かんだことのないアプローチで深めていく。
そもそも、「動物性愛」とはどういうものか。似て非なるものに「獣姦」がある。「獣姦は動物とセックスすることそのものを指す用語で、ときに暴力的行為も含むとされ」、これは一刀両断にすべき、あってはならないことだ。しかし、「一方で動物性愛は、心理的な愛着が動物に対してあるかどうかが焦点となる」そうだが、では愛着があれば問題はないのだろうか。どちらも異様だと思う人が多いのではないだろうか。実際に、動物とセックスするという時点で、獣姦と同一視し、嫌悪感をあらわに攻撃してくる人もいる。
タイトルにある「ズー」というのは、ドイツにある世界唯一の動物性愛者による団体「ZETA/ゼータ」に属するメンバーのこと。著者はドイツに足を運び、興味本位での取材ではないかと警戒されながらも、実際に会って話をしてくれたズーたちと寝食を共にし、時を過ごしていく。そして、彼ら彼女らと動物との関係を肌で感じ取っていく彼女の姿は、どこか危うげでもある。その愛のかたちに自身の姿をダブらせ、時に癒され、時に傷つき、その様子に私たち読者までも心が揺さぶられてしまう。著者本人も自覚しているが、研究対象として客観的な立場でいなければならない身でありながら、時に感情移入していってしまうのは、彼らズーたちの愛があまりにも純粋だからだろう。
ズーたちの愛のかたちは、社会的には非道徳とみなされることが大半であるが、決して完全には否定できない。拒絶する人ほど、無知識であるということが、世の中どれだけ溢れているだろうか。本書を手に取ることで、動物に対する愛と暴力のあいだには、明確な線引きができることがわかる。その境界線こそが、私たちの知識なのかもしれない。
「小説幻冬」2020年6月号
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