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冬の狩人

2022.09.03 更新 ツイート

#1 三年前の未解決事件が再び動き出す。姿を消した重要参考人から届いたメールの中身とは? 大沢在昌

大沢在昌さんの『冬の狩人』ノベルス版の刊行を記念し、試し読みを全5回でお届けします。

新宿署のマル暴・佐江を描く、累計230万部を超える大ヒット「狩人」シリーズの最新作。

本作では刑事を休職中だった佐江が3年前にH県で起きた未解決事件について、ある依頼をうけるところから物語が始まります。

一本のメールが新宿の一匹狼を戦場に引き戻す――。是非お楽しみください!

*   *   *

H県警察本部のホームページに、未解決重要事件の情報を受けつけるメールボックスが設けられたのは二年前のことだ。

県内第三の都市、本郷(ほんごう)市の料亭で起こった殺人事件が、発生から一年経過するも、容疑者の特定すらできていないことから、設けられた。

同様の、未解決重要事件の情報を求めるメールボックスは、他の県警察本部ホームページにもある。メールボックスに寄せられた情報のチェックは、各県警の捜査一課がおこなう。

H県警の捜査一課では、川村芳樹(かわむらよしき)巡査がそれにあたっていた。川村は本郷市の高校を卒業後、東京の情報処理専門学校に進学し、都内で二年間の会社員生活を経て地元に戻った。

第二の就職先になったのが、H県警察だった。県警察学校を経て、巡査を拝命したのが二十五歳と、通常よりは遅かったものの、頑健な体と強い好奇心をもって職務にあたった結果、三年で刑事に抜擢され、さらにそれから二年で捜査一課に配属された。

メールボックスのチェックは、一課の新米刑事の仕事で、川村が配属されるまでは二歳上の石井がその役目を負っていた。

石井の話では、メールボックスが設けられた二年前は、毎日のように情報が寄せられていたという。その大半は、本郷市で起こった事件とは無関係の、近隣に対する苦情や警察への要望で、事件解決に多少なりともつながるかもしれないと感じたのは、二十件に一件程度で、当たった結果、すべて空振りだった。

川村がチェックを始めてからは、苦情、要望以外のメールは一件も届いたことがなかった。

その朝も、川村は出勤するとすぐ、デスクのパソコンを立ちあげ、メールボックスをチェックした。捜査一課の新米には、お茶汲(く)みの仕事も課せられるため(その日最初の一杯だけだが)、通常川村は十五分早くでて、メールチェックをおこなうことにしていた。

メールが一通、届いていた。何の期待もせず、開いた。

一読した川村は腰を浮かせた。課内を見回したが、誰もまだ出勤していない。

メールは、事件直後から重要参考人として捜査本部が行方を捜していた人物を自称する者からだった。出頭し、事件の詳細について話したい、とあった。

川村の次に出勤してきたのは石井だった。メールを見せると、石井も驚いた顔をした。

「本物かな」

「わかりませんが、名前はまちがっていませんよね」

メールの差出人は「阿部佳奈(あべかな)」となっていた。三名が撃たれて死亡、一名がいまだに昏睡中という被害のあった事件で、唯一、現場から姿を消しているのが「阿部佳奈」だった。

事件発生当時、三十二歳。死亡した被害者のひとりで、東京の虎ノ門に事務所をもつ弁護士上田の秘書である。事件当日、上田とともに本郷市を車で訪れ、現場となった料亭「冬湖楼(とうころう)」に入店する姿を、何人もの人間が見ている。

冬湖楼は、昭和三十年代に建てられた木造三階だての洋館風の建造物で、本郷市では最も高級な料亭として知られていた。

その冬湖楼三階、「銀盤の間」には、五人の客がいた。

予約は午後六時から入っていたが、会食のスタートは午後七時で、それまでは最初の茶の給仕以外は、仲居も一切、部屋に近づかないよう、予約時に求められていた。

料理を運んでほしいときは内線電話で連絡をする。それまでは、三階に人をあげないでもらいたい、というのだ。

求めたのは、冬湖楼を予約した大西義一(ぎいち)だった。大西は、県最大の企業「モチムネ」の副社長である。

モチムネは特殊な計測機器のメーカーで、有するパテントによって、世界市場の三割を占めていた。本社は本郷市、工場が県内各所にあって、従業員の総数は八千人で、これは本郷市の人口の十分の一に近い。

つまり本郷市はモチムネの企業城下町で、冬湖楼も、モチムネ関係者による利用があればこそ、営業をつづけてこられたのだ。したがって、そのモチムネの副社長の要望に反することは、とうてい考えられない。

午後七時三十分になっても、だが「銀盤の間」からの電話はなかった。会議が長びいているのだろうと冬湖楼側は考え、連絡を待った。ただ五人の客のうち、ひとりは食事をせずに七時には帰ることになっていて、専用の車も待機していた。その客とは、本郷市の市長、三浦英臣(ひでおみ)である。七時四十分、三浦の秘書が「銀盤の間」の内線電話を鳴らした。応答はなかった。

十分後、市長秘書は三階にあがり、「銀盤の間」の扉をノックした。何度ノックしても返事はなく、秘書は非礼を詫びながら、扉を開いた。

大きな円卓のおかれた「銀盤の間」が血に染まっていた。四人が椅子や床に崩れ伏している。

通報をうけ、救急車がただちにやってきたが、四人のうち三人は絶命しており、唯一、モチムネ副社長の大西義一、七十二歳だけが呼吸をしていた。が、頭部にうけた銃弾のせいで、三年たった今も意識を回復していない。

死亡していた三名は以下の通り。

本郷市長、三浦英臣、四十九歳。

東京虎ノ門、弁護士、上田和成、四十八歳。

建設社長、新井壮司(そうじ)、五十二歳。

兼田(かねだ)建設は、県内最大手の建設会社で、社長の新井はモチムネの社長、用宗源三の義弟にあたる。用宗源三(もちむねげんぞう)の妹、冴子(さえこ)の夫である。

三名の死者と意識のない大西義一以外、「銀盤の間」は無人だった。上田とともに冬湖楼を訪れた、秘書の女の姿はない。

県警は、ただちに本郷中央警察署に捜査本部をおき、事件の解明にあたった。

その結果、四名は全員、四十五口径の拳銃で撃たれ、旋条痕(せんじょうこん)からすべて同一の銃であることが判明した。

四十五口径の拳銃は、太平洋戦争時、アメリカ軍が制式拳銃に採用したほどの大型拳銃であり、反動も大きく、使用に慣れない人間には、至近距離からでも命中させるのは難しいといわれている。

ふつうに考えれば、現場から唯一姿を消している阿部佳奈が、四人殺傷の容疑者だが、自衛隊や警察に勤務経験のない、三十二歳の女性が果たして、そこまでの凶行をおこなえるものか、捜査員は疑いを抱かざるをえなかった。

阿部佳奈がどのようにして姿を消したのかは、明らかになった。

古い建築物である冬湖楼には、火災に備え、あとづけの非常階段が外壁に設置されており、それを使って屋外にでたのだ。非常階段を降りると、冬湖楼裏手の庭園にでる。そこからは、建物の正面を通ることなく、ふもとに通じる道に降りられるのだ。

冬湖楼は、本郷市を見おろす高台にあり、そこに至る道路は、関係者しか使用しない。阿部佳奈は、その道路を使って逃走したと思われた。

さらに捜査が進むと、冬湖楼へとつながる道を走行するバイクを見たという証言者が現れた。時刻は午後六時過ぎ、被害者らが「銀盤の間」に入って、それなりの時間が経過した頃、ふもとから冬湖楼のたつ高台へと、バイクが登っていったというのだ。

日没後なので、バイクの型やナンバーはもちろん、フルフェイスのヘルメットをかぶったライダーの人相も不明だった。

当日、冬湖楼をバイクで訪れた者はおらず、このライダーが事件に関係している可能性は高かった。

捜査員の中には、このライダーこそが四人殺傷の犯人にちがいないと考える者も多かった。バイクで冬湖楼に近づき、庭園から非常階段を使って三階にあがり、「銀盤の間」を襲撃したのだ。阿部佳奈は共犯で、襲撃者を手引きし、犯行後、二人で逃走した。

使用された凶器を考えるなら、その線が濃厚と思われる。

阿部佳奈が襲撃者を手引きした理由は、金銭か、あるいは恨みか。いずれにしても、阿部佳奈の身辺を、捜査本部は徹底して捜査した。が、阿部佳奈と襲撃者の接点をうかがわせる材料は何も見つからなかった。

金銭的に困窮してはおらず、特に親しい交友関係にある男もいない。むしろ疑われたのは、雇い主である弁護士の上田の恋人である可能性だった。

上田とは長い時間を共に過ごしてはいた。が、阿部佳奈の周辺では、男女関係だったというは聞かれなかった。

都内の大学を卒業後、大手の法律事務所に就職し、五年勤務のあと、その事務所を独立する上田に引き抜かれるようにして勤務先をかえてはいるが、二人が関係していたという、噂は確とした証拠はなかった。

ただ阿部佳奈の経歴は少しかわっていた。神奈川県の出身で、高校時代に両親を交通事故で亡くしている。妹がひとりいて、事故後、大学に進学した阿部佳奈は都内で妹と同居しながら、夜、水商売のアルバイトを始めた。

アルバイト先は銀座のクラブで、機転がきくことから人気もあり、経営者はずっと働きつづけてほしいと頼んだが、卒業後はきっぱり辞め、法律事務所に就職している。ちなみに、この法律事務所所長の弁護士は、そのクラブの客だった。

就職して二年め、妹が死亡して、阿部佳奈は天涯孤独の身になった。

妹の死因は薬物中毒死。事故・自殺、両方の可能性が疑われたが、捜査にあたった警視庁渋谷警察署は「事件性なし」の判断を下している。死亡時、妹は大学生で、渋谷のキャバクラでアルバイトをしていた。店で呼吸困難を訴えて倒れ、救急車で病院に運ばれたが、ほどなく息をひきとった。解剖の結果、当時はまだ規制をうけていなかった脱法ドラッグを常用していたことが判明した。

唯一の身よりであった妹を亡くし、阿部佳奈はかなり落ちこんだが、やがて元気をとり戻した。ただ、もともと人とのあいだに垣根を作る傾向にあった性格が、より強まったと周囲の人間は感じていた。雇い主である弁護士の上田は独身だったこともあり、阿部佳奈に好意を抱いていたようだが、男女関係になることは拒んでいたという。

いずれにせよ、現場からの逃亡は、事件への関与を示すものだと思われ、捜査本部は重要参考人として阿部佳奈を手配した。

が、それから三年が経過しても、阿部佳奈を発見することはできなかった。すでに死亡しているのではないかと考える捜査員もいた。

襲撃者の手引き後、口封じのために殺されたのではないか。あるいは逃走時、人質として連れだされ、用ずみになったので殺された。

冬湖楼のたつ高台には、人家のない山林がある。そこに死体を遺棄すれば、簡単には見つからない。

県警は機動隊を動員し、その山林の捜索もおこなった。が、死体はおろか、犯人の手がかりとなる物証も見つけられなかった。

県警が大規模な捜査をおこなったのには、もうひとつ理由があった。死亡した本郷市長の三浦英臣は、元警察官僚でH県警の幹部だった経歴があるのだ。

本郷市の市長は、三浦の前に四期つとめた人物も、かつての県警本部長だった。その前の市長も同様で、H県警の幹部をつとめたキャリア警察官が本郷市の市長に就任するという習わしがあった。もちろん選挙によって選ばれているのだが、モチムネの支援をうけた候補者に、対立候補が立つことすらまれという状況が、この三十年つづいていた。

三浦の死後おこなわれた市長選でも、キャリアでこそないが、元本郷中央警察署長が立候補し、初当選を果たした。

事件はこうして迷宮入りの可能性を示唆し始めた。そこに突然、重要参考人本人と称する人物からのメールが届いたのだ。

(つづく)

大沢在昌『冬の狩人』

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冬の狩人

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大沢在昌 作家

1956年、愛知県名古屋市生まれ。79年『感傷の街角』で小説推理新人賞を受賞しデビュー。91年に『新宿鮫』で吉川英治文学新人賞と日本推理作家協会賞長編部門を受賞。94年『無間人形 新宿鮫IV』で直木賞、2014年に『海と月の迷路』で吉川英治文学賞を受賞する。その他に『北の狩人』『砂の狩人』『黒の狩人』『雨の狩人』『漂砂の塔』『帰去来』『暗約領域 新宿鮫Ⅺ』など著書多数。(著者近影:塔下智士)

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