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冬の狩人

2022.09.09 更新 ツイート

#4 H県警に全幅の信頼を寄せられない。県警に裏切者は存在するのか? 大沢在昌

大沢在昌さんの『冬の狩人』ノベルス版の刊行を記念し、試し読みを全5回でお届けします。

新宿署のマル暴・佐江を描く、累計230万部を超える大ヒット「狩人」シリーズの最新作。

本作では刑事を休職中だった佐江が3年前にH県で起きた未解決事件について、ある依頼をうけるところから物語が始まります。

一本のメールが新宿の一匹狼を戦場に引き戻す――。是非お楽しみください!

第1回から読む

*   *   *

新宿警察署の会議室に佐江が入っていくと、副署長、組対課長、川村、石井、そして知らない顔が二人並んでいた。

「佐江さん、ヒゲをのばしたんですね」

副署長が愉快そうにいった。キャリアには珍しく、現場の顔と名前を覚えている。

「きちんとクビになったら剃ろうと思ってますよ。職捜しにはマズいでしょうから」

顎に触れて佐江が答えると、知らない顔二人が目を丸くした。

「佐江さん、こちらはH県警の刑事部長をしておられる高野さん、そして隣が捜査一課長の仲田さんです。若い二人には、もう会っておられますね」

副署長が紹介すると、高野と仲田は立ちあがり、腰を折った。高野はおそらくキャリアで、副署長より年上だ。仲田は五十代半ばの、いかにも刑事という面がまえの男だった。

「お偉いさんまででてきて、いったい何だっていうんです?」

佐江は立ったまま六人の顔を見渡した。

「まあすわれ。話は仲田さんからしてもらう」

組対課長が答えた。佐江が言葉にしたがうと、仲田は上着から老眼鏡と手帳をとりだし、頭を下げた。

「まずお詫びをさせて下さい。この二人は私の部下で、佐江さんに失礼を働いたのは、すべて私の指示でした。本当に申しわけありませんでした」

「別に失礼なんてありません。暇をもて余していたので、こちらも無茶をしました。こちらこそ申しわけない」

佐江はいって川村に頭を下げた。川村はとまどったような顔をしている。

「ところで佐江さん、阿部佳奈という女性をご存じですか」

仲田が切りだした。

「いいや」

佐江は首をふった。

「個人的な知り合いではなく、事件関係者として知り合った記憶もありませんか」

「ない。個人的には女性に縁がないし、組対にいたんじゃ、極道の女房か愛人くらいしか、事件関係者の女性とは知り合いようがない。阿部佳奈という女は知らない」

仲田と高野は目を見交わした。

「偽名を使っていたかもしれません。写真はこれです」

仲田が手帳からだした。

学生服姿の少女の写真だった。手にとり、佐江は訊ねた。

「いったい今、いくつなのですか」

「三十五歳です」

佐江は眉をひそめた。

「当人が写真嫌いで、高校の卒業アルバム以外の写真がないのです」

仲田がいった。

佐江はもう一度、写真に目を落とした。勝ち気そうな目をしている。髪型は、短いおかっぱだ。高校三年といえば、大人並みに色気づく者もいるだろうが、そういう気配はまるで写真から感じられない。

「記憶にない顔です」

佐江はいった。高野が身を乗りだした。

「佐江さん、『冬湖楼事件』と呼ばれている殺人事件をご存じですか。三年前に、H県の本郷市で発生した事案です」

かすかに記憶があった。

「料亭かどこかで何人かが射殺された事件ですか」

「そうです。本郷市の市長、地元の大手建設会社社長、東京の弁護士の三人が射殺され、地元企業の副社長がいまだに昏睡状態です。『冬湖楼』という料亭が現場でした。犯人は検挙されておらず、現場からいなくなった弁護士秘書を、重要参考人として手配しております」

高野が答えた。

「その弁護士秘書の名が、阿部佳奈です」

仲田がいった。

「阿部佳奈は、殺害の実行犯、あるいは共犯ではないかと我々は疑っています。犯行に使用されたのは四十五口径の拳銃で、女が使うには大型すぎる。銃を使い慣れた犯人を現場まで手引きしたと思われます」

「三年間にわたり、県警は阿部佳奈を捜してきました。生きているとすれば、出頭しない理由は、犯人かその共犯だからだとしか考えられません」

高野があとをひきとった。

「共犯だったが、犯行後すぐに消されたとか」

佐江はいった。

「もちろんその可能性も考え、現場周辺の山狩りもおこないました。ですが、阿部佳奈の足どりはまったくつかめないまま、三年がたってしまったのです」

「そこへ、先日こういうメールが県警のホームページあてに届きました」

仲田がさしだした紙を佐江は受けとった。

阿部佳奈を名乗る者からのメールをプリントアウトしたものだ。それによれば、自分は犯行とは一切かかわりがない。が、その場で通報も出頭もしなかったことには理由があり、それがH県警にかかわっているらしいことをほのめかしている。

佐江は二度読み、仲田に紙を返した。H県警にとって屈辱的な内容のメールを、よく自分に見せたものだ、と思った。事実であればもちろん、虚偽であっても、外部の人間にとうてい見せられるような代物ではない。

「本人からだと断定できるのですか」

自分の名がそこにあったことはさておき、佐江は訊ねた。

「いくつかの点で、本人である可能性が高いと考えております。まず三浦市長と上田弁護士の関係ですが、週刊誌が同じ大学であるとは書いておりますが、同級生であったことまでは報じていません。また『冬湖楼』に外階段があり、犯人がそれを使用した上バイクで逃走したというのも、これまでの捜査で判明した事実と一致します」

仲田が答えた。

「このメールはどこから発信されたのです?」

「東京の荻窪にある『スペース』というインターネットカフェです。我々は阿部佳奈が再びそこを使う可能性を考え、人員を配置しましたが現れませんでした」

「それで俺を張りこんだというわけですか。この重参が俺の周辺にいるかもしれないと考えて」

「その通りです。同じ警察官に対し、あるまじき行為かもしれませんが、県警としてはそうせざるをえませんでした。このメールも、恥をしのんでお見せしております」

仲田の顔に苦渋がにじんでいた。

「理解できます。日本中、どこの警察でも、まず自分たちで重参の身柄を確保しようと考えますよ」

副署長がいって、佐江を見た。

「そうですね。俺がこの事件の実行犯だという可能性もある」

「それについてはちがうとわかっています。事件発生時、佐江さんは中国人連続殺人の捜査にあたっておられました」

「『五岳聖山(ごがくせいざん)』だ」

組対課長がいった。

「五岳聖山」と呼ばれる、中国の五つの山の名を刺青で体に入れた複数の中国人の死体が見つかり、佐江は通訳兼任の中国人捜査補助員の毛(マオ)と、外務省アジア大洋州局中国課の女性職員、野瀬(のせ)とともに捜査にあたった。事件には中国人犯罪組織、暴力団、そして中国国家安全部と警視庁公安部までがかかわった。

「あのときか。とうていH県までなんていけなかったな」

佐江はつぶやいた。

「佐江さんが事件と直接かかわりがないことを、我々も疑っておりません。ただ、このメールの発信者が阿部佳奈なら、なぜ佐江さんの保護を希望しているのか、知りたいのです」

仲田がいった。

「気持ちはわかります。だが俺にもその理由がまるでわかりません。だいたいなぜ俺が、何があっても守ってくれる人間だと信じられるのか。俺はそんなに立派な警察官じゃありません」

佐江は答えて、組対課長を見やった。

「いや、そんなことはない」

組対課長は気まずそうに首をふった。

会議室は静かになった。

「とにかく捜査のお役に俺は立てそうもない。阿部佳奈という人物にはまったく心当たりがない。このメールにも面識がないとあるとおり、この発信者はどこかでたまたま俺の名を知って、使えると思ったのでしょう」

佐江は告げた。仲田と高野が再び目を見交わした。

「実は、一昨日、新たなメールが届きました。発信地は、東京・新橋のインターネットカフェです」

高野がいい、仲田が新たな紙をさしだした。

『先日、メールをさしあげた阿部佳奈でございます。その後、捜査の進展はいかがでしょう。新宿警察署の佐江警部補に連絡をおとりいただけましたでしょうか。佐江警部補による保護を確約していただけるなら、わたしはいつでも出頭いたします。

佐江警部補による保護が可能な状況になりましたら、わたしがメールをさしあげているホームページ上に、警視庁マスコットキャラクター『ピーポくん』の画像を貼りつけて下さい。それを拝見ししだい、保護していただく方法をご相談したく存じます。どうかH県警捜査一課の皆さまのご理解をたまわりますよう、お願い申しあげます』

「H県警のホームページに警視庁のマスコットキャラクターを載せろなんて、ずいぶんな要求だ」

組対課長がつぶやいた。すでに二通のメールを読んでいるようだ。

「つまりそれだけ本気で、この重参は佐江さんを巻きこもうとしているともいえます」

副署長はいった。

「だとすると、俺に恨みをもっていて、巻きこむことでその恨みを晴らそうとしているのかもしれませんね。ですがたとえそうであっても阿部佳奈という女は知りません。阿部佳奈を名乗る別人か、阿部佳奈の周辺にいて知恵をつけている者がいるか、です」

佐江がいうと、高野が佐江の目をとらえた。

「いずれにしても、ここは佐江さんにご協力いただくしかない、と我々は考えています」

「どうせよというのです?」

「阿部佳奈が我々に接触をはかるよう仕向けます。その際、本当に佐江さんが協力して下さっているという証明を求めてくる可能性があります」

佐江は頷いた。

「メールにあるような、保護、同行といったご面倒までおかけしようとは思いません。ですが身柄確保のためのご協力をお願いしたいのです」

「具体的には何をすればよいのですか」

佐江が訊ねると、高野は仲田を見た。

「まずは都内のどこかで、阿部佳奈と接触しようと我々は考えています。その場に佐江さんがいることを、当然向こうは要求してくるでしょう。そこで身柄を確保します」

仲田がいった。佐江は頷いた。

「わかりました。この宙ぶらりんな俺でよければ協力します。ただ、ひとつお訊きしたい」

「何でしょう」

「このメールにある『H県警察に全幅の信頼を寄せられない理由』について、何か心当たりはあるのでしょうか」

「失礼だぞ」

組対課長がいった。佐江は組対課長を見やった。

「失礼な質問だというのはわかっています。しかしこのメールの内容が真実であった場合、阿部佳奈の口を塞ごうという動きが起こるかもしれない。そうなったら俺は、犯人の側に加担することになる」

「佐江!」

組対課長は言葉を荒らげた。

「いえ。佐江さんのご懸念は理解できます」

高野がいった。

「すると心当たりがあるのですか」

佐江は訊ねた。

「あるとまではいえません。ですが殺害された本郷市長の三浦さんは、かつて現在の私と同じ職責にあられました」

「同じ? 刑事部長だったということですか」

「はい。本郷市長選挙には、過去のH県警幹部が立候補し当選する、という歴史があります。三浦さんの前に市長を四期つとめられた方は、かつて県警の本部長でした。阿部佳奈は、三浦さんの同級生であった上田弁護士からその話を聞いていて、我々の捜査に何らかの影響が及ぶのではないかと、疑っているのかもしれません。実はこのことも、メールの発信者が阿部佳奈本人だと考えられる理由のひとつです」

「なるほど」

佐江は頷いた。

「他に何か、お知りになりたいことはありますか」

仲田が訊ねた。佐江は考えこんだ。

「もし君がH県警に協力するというのなら、一時的に復職してもらう。民間人の身分で現場にでるのは不適切だ」

組対課長がいった。佐江は組対課長を見た。本音では、協力を断ってもらいたいのだろう。明らかに迷惑そうな表情を浮かべている。

副署長は、どちらかといえばおもしろがっているような顔をしていた。

「ここまで我々にとって不名誉なお話をした以上、ぜひともご協力をお願いしたい」

仲田がいった。佐江は頷いた。

「わかりました。お役に立てるかどうかはわかりませんが、協力させていただきます」

渋面になった組対課長に告げた。

「身分証と拳銃を再貸与していただけますか」

「拳銃も、か」

「拳銃が使われたヤマです。万一の場合を考えれば、丸腰はマズいでしょう。それが駄目だというなら、協力はできません」

組対課長は大きく息を吐いた。

「わかった」

佐江はH県からきた四人の警察官の顔を見回した。

「では、どういう手を打つか相談しましょう」

「ありがとうございます」

仲田と高野が頭を下げると、若い二人もあわててしたがった。

(つづく)

大沢在昌『冬の狩人』

3年前にH県で発生した未解決殺人事件、「冬湖楼事件」。行方不明だった重要参考人からH県警にメールが届く。新宿署の刑事・佐江の護衛があれば、出頭するというのだ。だが県警の調べで、佐江は辞表を提出していることが判明。そんな所轄違いの刑事を“重参"はなぜ指名したのか?

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冬の狩人

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大沢在昌 作家

1956年、愛知県名古屋市生まれ。79年『感傷の街角』で小説推理新人賞を受賞しデビュー。91年に『新宿鮫』で吉川英治文学新人賞と日本推理作家協会賞長編部門を受賞。94年『無間人形 新宿鮫IV』で直木賞、2014年に『海と月の迷路』で吉川英治文学賞を受賞する。その他に『北の狩人』『砂の狩人』『黒の狩人』『雨の狩人』『漂砂の塔』『帰去来』『暗約領域 新宿鮫Ⅺ』など著書多数。(著者近影:塔下智士)

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