
まだ会社にいた頃、店の朝礼で、「今日は強い雨が降るからあまり人は来ないでしょう。でも明日の昼からまた晴れてくるので、お客さまは戻ってくると思います」などと神妙な顔つきで話していたところ、斜め前で話を聞いていたアルバイトのHがプッと吹き出した。そちらの方をチラッと見たら、彼女はこらえきれないといった様子で、「だって店長、天気予報の人みたいだったから……」と、うつむきながら苦笑いをする。
恥ずかしい。
思いがけず、痛いところをつかれてしまった。
わたしは途端に顔が赤くなり、これからは売上が悪くても絶対に天気のせいにはしないぞと、固く心に誓った……。
しかし実際の話、雨の日に本は売れない(小雨程度であれば落ち着きたい気持ちになるのか、カフェの方にはバラバラと客がやってくる)。そのような日が続けば気分も重たくなるもので、朝起きて今日も曇天であることを確認した時には、空の方に向かって、恨みごとのひとつでも言いたくなる。
人間にとってなくてはならない水も、本にとっては天敵のひとつだ。扉をはさんですぐ外に接しているTitleでは、この時期、棚に立てかけている雑誌や文庫本の表紙が湿気ですぐ反り返ってしまい、表に出す本を始終入れ替えなければならなくなる。
こと本に関し、自分がなぜそんなに水を忌み嫌うのか考えたとき、大切な商品がダメになるといったこと以外にも、子どものころの記憶があるのかもしれないと思い至った。
最近では、あまりそうした光景は見られなくなったが、わたしが子どもの頃には、道端によく本や雑誌が捨てられていた。大概は見て見ぬふりをしてそのまま通りすぎるのだが、ごく稀にこちらの気を引く本もあって、そっとページをめくるとよその家の匂いがむっとして、そんな時はすぐその場から逃げ出してしまう。
雨の日の通学途中、ふと道端の側溝に目をやると、投げ出されるようにして捨てられていた本が、死んだ小動物のようにぐっしょりと濡れていた。本のページは水で膨らみ、表紙はどろどろに溶け出して、それを見るたびに、何かなさけないような、いやぁな気持ちになったのだが、その時のざわざわした感触をいまだに引きずっているのだろう。自分が見ている本に関しては、できる限り乾かしておきたいと、それからは頑なに思うようになった。
しかし雨の日には、人を親密にさせるところもある。
何もこんな日に来なくてもといった大雨の日、わざわざ好んで店までやって来る人もいて、思えばその男性は、前も嵐の日に来店したような気がする。気持ちが内向きになりなんとなく心細く思っていたところ、誰かと会ったうれしさからか、普段はあたりまえに行っている本の受け渡しにも、お互い自然に笑みがこぼれた。
本屋をやっていて、日常的にいちばん接する機会が多いのは、運送業者の人たちだ。雨の日には荷物が濡れないよう、自分の身でかばいながら(または専用の布をかけ)本を届けてくれる姿には、いつも頭が下がる。
二年前の四月、新型コロナウイルスが流行り出し、世の中が騒然としていたころ、運送業者の彼らだけが、毎日とにかく忙しそうだった。Titleも店頭の営業は中止し、しばらくウェブショップだけにしていたのだが、ある大雨の日、半分開けていたシャッターから、ヤマト運輸のYさんが入って来た。Yさんはジャンバーについた雨を拭き拭き、店内に山のように積まれていた注文品の箱を、いつものように黙ってスキャンしはじめた。わたしは彼を見ているあいだ、突然彼に感謝の気持ちを伝えたい衝動に駆られた。
あの、もしよかったら、これ営業所のみなさんでどうぞ。
そのころ店では、コウケンテツがテレビで紹介していた青森のシードルを箱で買い、「大変な時期ですがお互い乗り切りましょう」と、お世話になっている人たちに配っていた。Yさんは突然出されたりんごのお酒に面喰ったのか、一瞬表情が固まってしまった。しかしすぐ「ありがとうございました!」と大きな声で言うと、トラックに荷物を積んだあとまた戻って来て、シードルをジャンバーの中に数本抱え込み、そのまま外に出ていってしまった。
いや、ビンなんだから、それは濡れてもいいんじゃないの。
そう思ったが、表ではトラックが間髪入れず発車する。いつもありがとうございますというねぎらいの言葉は、結局口に出せないまま終わった。ヤマトのトラックが行ってしまったあとは、屋根を叩く雨の音がいっそう強くなりはじめた。
今回のおすすめ本
ことばの周りにある生活を描き、伝えること、コミュニケーションとは何かを考えさせる子育て漫画。それぞれのことばで、全身・全力で会話する家族の姿に心打たれます。
◯連載「本屋の時間」は単行本でもお楽しみいただけます
連載「本屋の時間」に大きく手を加え、再構成したエッセイ集『小さな声、光る棚 新刊書店Titleの日常』は、引き続き絶賛発売中。店が開店して5年のあいだ、その場に立ち会い考えた定点観測的エッセイ。お求めは全国の書店にて。Title WEBS
◯2025年6月6日(金)~ 2025年6月24日(火)Title2階ギャラリー
きみまでのおさらい
井上奈奈『うさぎまでのおさらい』刊行記念展
2018年ドイツにて開催された「世界で最も美しい本コンクール」にて銀賞を受賞し、話題となった絵本『くままでのおさらい』。そのスピンオフ作品として制作された『うさぎまでのおさらい』が、このたび装いもあらたにビーナイスより刊行になります。今回の作品展では、この『うさぎまでのおさらい』『くままでのおさらい』とともに、2024年に刊行になったエッセイ集『絵本を建てる』の作品も展示します。
◯2025年6月28日(土)~ 2025年7月14日(月)Title2階ギャラリー
Titleからほど近い阿佐ヶ谷にあった、大正末期に建てられた文化住宅・旧近藤邸。そのたたずまいは宮﨑駿監督の著書『トトロの住む家』のなかでも取り上げられました。緑に包まれ、静かに時を刻んできたこの家の在りし日の姿を活写したのが、このたび刊行された公文健太郎さんの写真集『バラの花咲く家』(平凡社)です。旧近藤邸は残念ながら2009年に不審火で焼失してしまいましたが、美しい写真プリントで、多くのひとに愛されたその姿があざやかに蘇ります。
【店主・辻山による連載<日本の「地の塩」を巡る旅>が単行本になりました】
スタジオジブリの小冊子『熱風』(毎月10日頃発売)にて連載していた「日本の「地の塩」をめぐる旅」が待望の書籍化。 辻山良雄が日本各地の少し偏屈、でも愛すべき本屋を訪ね、生き方や仕事に対する考え方を訊いた、発見いっぱいの旅の記録。生きかたに仕事に迷える人、必読です。
『しぶとい十人の本屋 生きる手ごたえのある仕事をする』
著:辻山良雄 装丁:寄藤文平+垣内晴 出版社:朝日出版社
発売日:2024年6月4日 四六判ソフトカバー/360ページ
版元サイト /Titleサイト
◯【寄稿】NEW!!
店は残っていた 辻山良雄
webちくま「本は本屋にある リレーエッセイ」(2025年6月6日更新)
◯【お知らせ】
「はたらき」を回復する /〈わたし〉になるための読書(5)
「MySCUE(マイスキュー)」
シニアケアの情報サイト「MySCUE(マイスキュー)」でスタートした店主・辻山の新連載・第5回。人の流動性が高まる春、さまざまな仕事とその周辺についての3冊をご紹介します。
NHKラジオ第1で放送中の「ラジオ深夜便」にて本を紹介しています。
偶数月の第四土曜日、23時8分頃から約2時間、店主・辻山が出演しています。コーナータイトルは「本の国から」。ミニコーナーが二つとおすすめ新刊4冊。1週間の聴き逃し配信もございますので、ぜひお聞きくださいませ。
本屋の時間の記事をもっと読む
本屋の時間

東京・荻窪にある新刊書店「Title(タイトル)」店主の日々。好きな本のこと、本屋について、お店で起こった様々な出来事などを綴ります。「本屋」という、国境も時空も自由に超えられるものたちが集まる空間から見えるものとは。