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山はおそろしい

2022.07.09 公開 ポスト

山で急病人に遭遇したらどうすべきか?羽根田治(山岳ライター)

山のさまざまな危険に警鐘を鳴らす『山はおそろしい 必ず生きて帰る! 事故から学ぶ山岳遭難』(羽根田 治著、幻冬舎新書)が発売2週間で重版となり好調だ。登山愛好家はもちろんのこと、登山をしない人からも「恐ろしくて震える」と反響をよんでいる。

ここでは本書の一部を抜粋して紹介。見ず知らずの急病人を通りすがりの登山客たちが助けようとしたが、その過程はショッキングなものだった。

*   *   *

事故当日の八方尾根。疎林の奥に見える無木立の斜面が事故現場(写真提供=佐藤美代)

山好き女性2人の雪山登山

佐藤美代(36歳)が、北アルプスへ導いてくれた女性と2人で後立山(うしろたてやま)連峰の唐松(からまつ)岳へ向かったのは、2021(令和3)年3月20日のことである。

国内では前年初頭より始まった新型コロナウイルスの感染拡大は、年明けの1月中旬以降の新規感染者数が減少傾向となり、3月に入ってからも比較的落ち着いた状況が続いていた。

リフトで八方池山荘まで上がったのち、時間をかけて準備をすませ、9時8分に行動を開始した。天気は快晴で、陽光を反射する積雪が眩(まぶ)しすぎてサングラスを外せないほどだった。風もほとんどなく、雪山登山を楽しむには最高のコンディションだった。

雪はまだたっぷりとあり、アイゼンの爪が雪面にしっかりと食い込んだ。2人は北アルプスのダイナミックな山岳景観を楽しみながら、ときに足を止めて写真を撮りつつ、ゆっくりと尾根をたどっていった。

初老の男性を取り囲む人だかりに遭遇

第三ケルンからゆるやかに尾根を登っていくと、間もなく「下ノ樺(しものかんば)」と呼ばれる、葉を落としたダケカンバの木立がある平坦地に差しかかる。その向こうは、そこそこ傾斜のある無木立の雪の斜面となっていて、斜面の下のほうに人が群がっているのが見えた。

「あれ、なんだろう」と思いながら進んでいくと、下ノ樺の平坦地で、携帯電話でやりとりしている女性の姿が目に入った。電波の状態があまりよくなかったのか、彼女は大きな声で叫ぶように話していた。その内容が聞こえてきて、どうやら救助を要請しているらしいことを知った。

その平坦地の向こう側、人だかりができているところは広々とした雪の斜面で、たくさんのトレースがついていた。そこに初老らしき男性が倒れていて、彼を取り囲んでいる数人の登山者が救命処置を行なっていた。

「その現場に出食わしたとき、正直なところ、人だかりの輪のなかに加わるのは野次馬みたいで嫌だなあと思いました。だからそのまま通り過ぎようとしたんです」

だが、通り過ぎるときに横目でちらっと現場を見たら、救命処置を行なっている人のなかに知った女性の顔があった。Facebook上で山好きが集うグループの仲間のひとり、中野由美(仮名)だった。

それまで実際に会ったことはなかったが、ネット上で何度かやりとりをしていたし、彼女が投稿していた山の記録もよく見ていたので、すぐにわかった。

「待ってよ、あれ、中野さんじゃない」と友人に言って近づいていったとき、救命処置を行なっていた男性から「上着を貸してくれないか」という声がかった。

その呼び掛けに、周囲にいた何人かがジャケットを脱いで差し出し、佐藤もジャケットを、友人はサバイバルシートを提供した。それらは、倒れている男性を保温するため、上から重ねてかけられた。

このときにジャケットを提供した登山者のほとんどはその場を離れられなくなり、最後まで現場にとどまることになった。

「胸が苦しい」と突然倒れた

詳細はわからなかったが、八方尾根を登っていた男性が突然倒れ、それを発見した周囲の登山者が救命処置を行なっているという状況のようだった。第一発見者の話によると、男性は突然「胸が苦しい」と言ってその場に倒れ込んだという。

男性に意識はなく、斜面を滑り落ちていかないように、体に結びつけたロープで上から登山者が確保をしていた。

あとでわかったことだが、その場にいた登山者のなかには、医師が3人、看護師が2人いた。その看護師のうちのひとりが中野で、仕事の休みを利用して夫と2人で唐松岳に来たのだった。

5人は同一パーティのメンバーではなく、それぞれ個々に登山に来ていて、たまたま現場に遭遇したようだ。

(写真:iStock.com/Chinnapong)

救命処置は人工呼吸と心臓マッサージが中心で、人工呼吸は医師のひとりが担当し、看護師が心臓マッサージを交代で行なっていた。

平坦な場所ではないので人工呼吸も心臓マッサージも非常にやりづらそうで、片足を横に伸ばして屈んだ姿勢で行なっていた。また、血流をとどこおらせないように足を上げておいたほうがいいという医師の指示で、ひとりの登山者が足を持ち上げていた。

中野は心臓マッサージの真っ最中だったので佐藤は声を掛けられず、「自分になにかできることはないか」と思っていたときに、男性の足を持ち上げる役割を交代する声がかかった。以降、佐藤は足を持ち上げながら、ずっと男性の体をさすり続けた。

そのすぐ目の前では、医師と看護師が懸命に救命活動を行ない、周囲にいた登山者の何人かは自分たちのできる範囲で協力を買って出ていた。

「心臓マッサージと人工呼吸は中断することなく交互にずっと続けてました。今の時期、コロナの影響で『人工呼吸はやらないほうがいい』とされていますが、そんなことを言っていられる状態ではなく、おかまいなしに行なっていました。

心臓マッサージは、心肺蘇生の講習を受けたことのある登山者が途中で代わったりもしましたが、主に中野さんと男性2人が交代しながら汗だくになってやっていました」

(写真:iStock.com/Pratchaya)

現場では、3人の医師のうちのひとり、比較的若そうに見える人がリーダーシップをとっていて、率先して声を掛け、処置を行なっていた。

そのうちに「ボスミンかエピペンを持っている人、いないかぁ」と声がかかったが、だれも持ってはいなかった。佐藤にも「ボスミン」や「エピペン」がなんのことなのかわからず、家に帰って調べてみて、アナフィラキシーショックなどの治療薬として用いられるアドレナリンの一種であることを知った。

「ボスミンは3人の医師のうちのだれかが携行していたようで、注射器を使って足の付け根に投与していました。注射器や薬を山に持ってきていることに驚きましたが、さすがプロだなと思いました。それを使い切ってしまったので、周囲の人に声をかけたようです」

雪面が血で染まったショッキングな処置

佐藤が現場に行き合って30~40分経ったころ、自分よりずっと若そうに見える男性が下りてきた。倒れていた男性はひとりで山に来たものとばかり思っていたが、「同行者がいるらしい」という情報があり、探しに出ていたほかの登山者が同行者を見つけてきたようだった。

2人はいっしょに山に来ていたが、歳の差もあり歩くペースが合わず、若いほうの男性が先行する形で差が開き、後続の男性が倒れたことに気づかなかったのである。

下りてきた男性は、心肺蘇生を行なっている人たちの真横にぴったりとついて、「おやじ! おやじ!」と声をかけはじめた。年齢が離れて見えたので、孫と祖父なのかと思っていたが、それを聞いて親子であることを知った。

その後もしばらく心肺蘇生が続けられたが、男性は意識を取り戻さず、呼吸も認められない状態になっていた。

そこでリーダー役の医師が決断したのが、気管を切開して気道を確保することだった。処置を行なうにあたって了解を求められた息子は、「お願いします」と頭を下げた。

喉を切るとき、最初はマルチツール(アウトドア用の多機能ナイフ)を用いたが、まったく切れなかったので、佐藤の友人が持っていたカッターナイフを使った。

マルチツール(写真:iStock.com/SteveAllenPhoto)

気管に挿入するチューブの代用とするため、医師が「誰かストローを持っていないか」「ボールペンの芯を抜いたものでもいい」と声を掛けたが、携行している者はいなかった。

10分ほど経ったときに、「これ、使えますか」と言って、ひとりの登山者がハイドレーション(ザックに入れた水筒の水を歩きながら飲むことができる吸水システム)のチューブを差し出した。医師が「これ、切ってもいい?」と尋ね、登山者が「かまいません」と答えたので、そのチューブを切って気管に挿入した。

その一連の処置があまりに衝撃的で、佐藤は大きなショックを受けた。

「喉を切るとき、息子さんがずっと『おやじ、ごめんね。ごめんな』と言い続けていて、それがものすごくつらくて……。さすがに見ていられず、目をつぶっていましたが、『切れない』『気管はどこだ』といった声は聞こえてきていました」

処置が終わったあとの雪面は、血で真っ赤に染まっていた。

 

チューブを挿入してからは、人工呼吸は行なわずに心臓マッサージだけを交代しながら延々と続けた。息子は「おやじ、もどってこい!」と何度も呼びかけ、周囲の者たちも「あきらめるな」「◯◯さん!」と、ずっと声かけを続けた。

男性の横について手を握りながらはげまし続けている者もいた。佐藤も支えている足をさすりながら、声をかけ続けた。

心臓マッサージと声かけは、ヘリが来るまで止まることはなかった。

要請から2時間半後、ヘリ到着

下ノ樺で女性が救助要請の連絡をしてから約2時間半が経過したころ、ようやく長野県警のヘリが姿を現した。佐藤は救命処置に懸命で時間のことはまったく頭になかったが、時計を見て「こんなに時間が経っていたんだ」と思った。

(イメージ写真:iStock.com/wasja)

現場の上空でヘリがホバリングの態勢に入ると、2人の隊員が下降してきてピックアップ作業を行ない、意識不明の男性を素早くヘリの中に収容して飛び去っていった。

最後まで現場にとどまった20人ほどの登山者は、ヘリを見送ったのち、散在していたジャケットや荷物などを手に取り、「これ誰の?」と声を掛け合って返却作業を行なった。

声を掛け続けていた者は、みんな声がかれていた。雪上に残った血痕は、みんなで協力して雪で埋めた。意識不明者の息子と第一発見者は、歩いていっしょに下山していった。

 

ヘリで救助された男性(65歳)は、残念ながら搬送先の松本市内の病院で死亡が確認された。新聞報道によると、男性に目立った外傷はなく、体調不良による急死の可能性が指摘されていた。

*   *   *

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関連書籍

羽根田治『山はおそろしい 必ず生きて帰る! 事故から学ぶ山岳遭難』

クマ襲来、落雷直撃、救助直前にヘリが墜落、他人の巻き添えで崖から滑落……。山ならではの危険から生還する術を体験者の証言とともに解説。山に繰り出す前に必ず読むべし。

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山はおそろしい

2022年5月25日発売の『山はおそろしい 必ず生きて帰る! 事故から学ぶ山岳遭難』(羽根田 治・著)の最新情報をお知らせします。

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羽根田治 山岳ライター

1961年、埼玉県生まれ。フリーライター、長野県山岳遭難防止アドバイザー、日本山岳会会員。山岳遭難や登山技術にまつわる取材を重ね、雑誌「山と溪谷」「岳人」や書籍で発表する一方、沖縄、自然、人物をテーマに執筆活動を続ける。『人を襲うクマ』『野外毒本』『ドキュメント 生還』(いずれもヤマケイ文庫)、『十大事故から読み解く 山岳遭難の傷痕』(山と溪谷社)など著書多数。小学生のときから登山を始め、現在はピークハントやハイキング、テレマークスキーを楽しんでいる。

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