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山はおそろしい

2022.06.18 公開 ポスト

ハチの攻撃性を高める「黒いウェア」はやめておけ羽根田治(山岳ライター)

山のさまざまな危険に警鐘を鳴らす『山はおそろしい 必ず生きて帰る! 事故から学ぶ山岳遭難』(羽根田 治著、幻冬舎新書)が発売2週間で重版となり好調だ。登山愛好家はもちろんのこと、登山をしない人からも「恐ろしくて震える」と反響をよんでいる。

ここでは本書の一部を抜粋して紹介。ハチ毒のアナフィラキシー被害のおそろしさと、その対策をお伝えする。

*   *   *

オオスズメバチ

80歳のベテランクライマーを襲った悲劇

埼玉県在住の安田勇次(仮名)が父親とその友人2人の計4人パーティで沢登りを計画し、奥秩父の豆焼沢(まめやきさわ)に入渓したのは2016(平成28)年8月6日のことである。

計画では豆焼沢を遡行して沢の途中で1泊し、翌日、雁坂(かりさか)峠に抜けて黒岩尾根を下山する予定だった。

父親は80歳という高齢だったが、国内はもとより海外遠征登山の経験も豊富で、その実力は社会人山岳会の代表を務めるほどであった。当時も雪山登山やクライミングを積極的に行なうなど、バリバリの現役として活動していた。

 

この日の朝、4人は車で秩父方面へ向かい、午前11時30分ごろ雁坂トンネル手前の出会いの丘駐車場に到着。12時過ぎから登山を開始した。

駐車場からはすぐに豆焼沢に入らず、左岸の100メートルほど上部につけられている作業道をしばらく進んだ。作業道は山腹をトラバース(水平移動)するようにして豆焼沢のトオの滝の下まで続いており、父親の足でも2時間ほどで沢に下りられるはずだった。

しかし、1時間半ほど歩いたところで道が不明瞭になってきたため、作業道を外れて沢に直接下りることにした。

当日の事故現場から沢を見下ろす(写真提供=安田勇次・仮名)

斜面はかなり急だったが、樹林帯だったので手がかりとなる立木もあり、問題なく下りられそうに見えた。

ただ、トレイルランニング用のシューズを履いていた安田以外は、フェルト底の沢登り用の靴だったため、グリップが利かずにずるずるすべり、苦労している様子だった。

何度も尻もちをつきながら下りる父親を横目に、安田はひとり先行して斜面を下り、15分ほどで沢に下り立った。振り返ると、50メートルほど上の斜面に父親の姿が見えていて、そのうしろにほかの2人が続いているようだった。

安田が岩の上で沢登り用の靴に履き替えていると、父親が下りてきて、沢のほとりに座り込んだ。そのときは、「ああ、父が下りてきたな」と思った程度だったが、続いて父の友人が下りてくるなり、安田にこう言った。

「お父さん、ハチに刺されて大変だよ」

それを聞いて父親を見ると、沢に足を浸けた状態で苦しそうに横たわっており、初めて異変に気がついた。近づいて「どうした?」と声を掛けると、しんどそうに起き上がって、ほとんど言葉になっていないような弱々しい声で「ハチに刺された」と言った。

それでも「1匹や2匹のハチに刺された程度だったら大丈夫だろう」と、あまり深刻には考えなかった。しかし、すぐにまた横になってしまい、とても苦しそうな状態から徐々に反応がなくなっていくのを見て、ようやく「これは大変なことが起こっているのかもしれない」と思いはじめた。

父の友人の話によると、安田が沢に下りた直後の午後1時50分ごろ、斜面を下っていた父親は、たまたま土の中にあったハチの巣を踏んづけてしまったらしい。

(イメージ写真:iStock.com/Leonid Eremeychuk)

2人の友人が追いついたときには、数え切れないほどのハチが父親に群がっていた。

2人はすぐにハチを追い払おうとしたが、その際にひとりも手を1か所刺されたという。父親は顔や腕などを数十か所刺され、その場にうずくまってしまったが、再び立ち上がると自力で沢まで下りてきたのだった。

しばらくすれば回復するかもしれないという希望的観測に反し、父親は横になって目を閉じたまま、動かなくなっていく。ハチに刺されてからすでに10~15分が経っていた。

「お父さんは去年もハチに刺されているから、危ない状態かもしれない。すぐに119番通報したほうがいい」

友人のその言葉にようやく決心がつき、安田は携帯電話で救助要請をした。

父親の意識はすでになく、救急隊員の指示に従い、3人で交代しながら心臓マッサージを行なった。

心肺蘇生を続けることおよそ1時間、現場に防災ヘリが到着し、父親をピックアップして出会いの丘駐車場の脇にあるヘリポートへと搬送した。そこでドクターヘリに引き継がれ、医師の処置を受けながら秩父市内へ運ばれ、さらに救急車で病院に搬送されていった。

(イメージ写真:iStock.com/razihusin)

安田ら3人は、警察の山岳救助隊による現場検証に立ち会うためにその場に残ったが、救助隊の到着を待つ間に病院から電話が入り、父親の死亡を知らされた。死因は、ハチ毒によるアナフィラキシーショックであった。

父親がハチに刺された現場は、比較的樹間の広い土の斜面で踏み跡もなく、4人がそれぞれ思い思いのルートどりで下っていた。安田が下りているときはハチの気配はまったくなかったが、運悪く父親は土中のハチの巣の真上を通過してしまったようだ。そういう意味では、避けようのない不幸な事故だったといえよう。

ハチの種類は特定されていないが、土中に巣がつくられていたことから、クロスズメバチだったと推測されている。

国内最凶生物はスズメバチ

厚生労働省の調査によると、ハチ毒のアナフィラキシーショックによる死者は、ここ20年ほどは年に十数人~二十数人の間で推移している。そのほとんどは、攻撃性も毒性も強いオオスズメバチとキイロスズメバチによるものと考えられる。

オオスズメバチ(写真:iStock.com/feathercollector)

クマの襲撃による死者が年間0~数人であることと比較すると、かなり多いといっていい。国内最凶生物はスズメバチ、といわれる所以(ゆえん)である。

ただし、アナフィラキシーショックを引き起こすのはスズメバチ類のみではない。アシナガバチ類やミツバチ類など、毒を持つほかのハチに刺されても、アナフィラキシーショックに陥る可能性はある。

山では黒いウェアを避け、匂いカットで対策を

ハチとの遭遇を回避するのはなかなかむずかしいのだが、せめて「ハチがつきまとうように飛んでいたら、速やかにその場から離れる」「土中に巣があることも想定し、注意深く行動する」といったことだけでも実行していれば、多少はリスクを低減させられるだろう。

とくに夏から秋にかけては、働きバチが増えて外敵に対する攻撃性が高まっている。実際、スズメバチによる刺傷事故も8、9月に集中しているので、この時期にはよりいっそうの警戒が必要となろう。

なお、ハチは黒い色に反応し、髪の毛や瞳を集中的に攻撃してくる。野外で活動するときには黒い色のウェアは避け、白や黄色などの明るい色のウェアを着用するとともに、頭には帽子をかぶったほうがいい。

もちろん、肌の露出が少ない長袖シャツと長ズボンがベターであることはいうまでもない。ハチは服の上からでも刺してくるが、素肌を刺されるよりはまだマシだ。

また、ハチは匂いにも反応するので、化粧品や香水、整髪料、香料を含む制汗スプレーや日焼け止めクリームなどの使用はおすすめしない。

これらの匂いのなかには、スズメバチに攻撃行動をもたらす警報フェロモンによく似た成分を含んでいるものもある。

甘い匂いに誘われたハチが、ちょっと目を離しているすきにジュースの缶の中に入り込み、それを知らずにジュースを飲もうとして唇や口の中を刺されてしまったという事例もある。想像するだけでも痛そうだ。

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関連書籍

羽根田治『山はおそろしい 必ず生きて帰る! 事故から学ぶ山岳遭難』

クマ襲来、落雷直撃、救助直前にヘリが墜落、他人の巻き添えで崖から滑落……。山ならではの危険から生還する術を体験者の証言とともに解説。山に繰り出す前に必ず読むべし。

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山はおそろしい

2022年5月25日発売の『山はおそろしい 必ず生きて帰る! 事故から学ぶ山岳遭難』(羽根田 治・著)の最新情報をお知らせします。

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羽根田治 山岳ライター

1961年、埼玉県生まれ。フリーライター、長野県山岳遭難防止アドバイザー、日本山岳会会員。山岳遭難や登山技術にまつわる取材を重ね、雑誌「山と溪谷」「岳人」や書籍で発表する一方、沖縄、自然、人物をテーマに執筆活動を続ける。『人を襲うクマ』『野外毒本』『ドキュメント 生還』(いずれもヤマケイ文庫)、『十大事故から読み解く 山岳遭難の傷痕』(山と溪谷社)など著書多数。小学生のときから登山を始め、現在はピークハントやハイキング、テレマークスキーを楽しんでいる。

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