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山はおそろしい

2022.07.01 公開 ポスト

富士山に軽装で挑んでしまった者の末路羽根田治(山岳ライター)

山のさまざまな危険に警鐘を鳴らす『山はおそろしい 必ず生きて帰る! 事故から学ぶ山岳遭難』(羽根田 治著、幻冬舎新書)が発売2週間で重版となり好調だ。登山愛好家はもちろんのこと、登山をしない人からも「恐ろしくて震える」と反響をよんでいる。

ここでは本書の一部を抜粋して紹介。例年7月1日に山開き(山梨県側)となる富士山。日本一の山はおそろしさもケタちがいだ。

*   *   *

(写真:iStock.com/martinhosmart)

観光客からエキスパートまで、みんなが目指す山

標高日本一の富士山がわが国のシンボル的存在であることに異論をはさむ人はいないだろう。

たとえば、日本人は“富士山に登ったことがある人”と“ない人”に二分され、しばしばその話題で盛り上がったりもする。日本に生まれたからには、生涯に一度は登っておくべき山、それが富士山だといっても過言ではない。

その富士山の山頂に至る一般ルートは、山梨県側からの吉田ルート、静岡県側からの須走(すばしり)ルート、御殿場(ごてんば)ルート、富士宮(ふじのみや)ルートの計4本。

もっともポピュラーなのが吉田ルートで、首都圏からのアクセスがよく、山小屋も多い。ついで人気が高いのは、山頂までの距離がいちばん短くコースタイムも最短の富士宮ルート。須走ルートは“砂走(すなばし)り”と呼ばれる砂礫(されき)の急斜面を下るのが特徴で、御殿場ルートは距離・コースタイムともにもっとも長い。

(写真:iStock.com/robertcicchetti)

富士山の登山者数は、世界文化遺産への登録が現実味をおびてきた2008(平成20)年ごろから急に増え出して“富士山ブーム”と呼ばれるようになり、2013(平成25)年の登録以降は年間20万~30万人の間で推移している。

ただし、新型コロナウイルスの感染拡大の影響を受け、2020(令和2)年は全ルートが閉鎖となり、再開された2021(令和3)年は約7万9000人にとどまった。

 

さて、富士山の山開きは例年、山梨県側が7月1日、静岡県側が7月10日で(残雪状況などで変わることもある)、山じまいとなる9月10日までの2ヶ月間ほどが一般登山シーズンとなる。

各コース上にあるほとんどの山小屋の営業期間もこの約2ヶ月間だけで、シーズンが終わると小屋は閉ざされ、登山道の標識や携帯電話の臨時中継所も撤去される。環境省が毎年発表している登山者数も、この期間中のみを計上したものである。

9月中旬から翌年の6月末までのオフシーズンには、警察や地元自治体が「登山禁止」「登山道は通行止め」などとアナウンスをし、各登山道の登山口に「立入禁止」の看板も設けられる。

しかし、この規制に法的な拘束力はなく、実質的には登りたければ自由に登ることができる。実際、オフシーズンの富士山に登ろうとする登山者は、夏山シーズン中に比べれば圧倒的に少ないものの、それなりの数にのぼる。

とくに冬の富士山は雪上登山技術(雪山に登るための歩行技術や、ピッケルを使った滑落停止技術など)のトレーニングの場として昔からよく知られており、ほかのエリアに先駆けて雪が積もる11月下旬~12月の初冬の時期、社会人山岳会や大学山岳部、ガイド登山の講習会などのパーティが多く訪れ、雪上技術の修得にはげむ。

(写真:iStock.com/kanzilyou)

さらに年末年始には初日の出を山頂で迎えようとする登山者が、厳冬期には海外登山のトレーニングを行なうエキスパートが、そして残雪期にはバックカントリーを楽しむスキーヤーやスノーボーダーが、入れ替わり立ち替わり富士山を目指す。

富士山を訪れるのは、夏山シーズン中の登山者や観光客だけではない。このように、一年を通して、さまざまな目的のさまざまな人たちを富士山は受け入れているのである。

「誰でも登れる山」のイメージとは異なる冬の厳しさ

ただし、富士山の自然環境の厳しさについては、正しく認識されているとはいえないようだ。夏山シーズン中の、山頂で御来光(ごらいこう)を拝もうとする老若男女が登山道に列を成している映像がたびたびニュースなどで流れるせいだろう、誰でも容易に登れる山というイメージが広く浸透しているように感じる。

だが、最短コースの富士宮ルートでさえ、標準的なコースタイムは約8時間。自分の足で登って下りてこなければならない標高差は約1300メートルに及ぶ。しかも、山頂付近の酸素濃度は平地の約3分の2。体に負担がかからないわけはなく、高山病になる人が続出し、年間0~6人程度が夏の富士山で命を落としている。

(写真:iStock.com/andrzej_mazur)

まして季節が冬ともなれば、自然環境はいっそう過酷となる。

富士山は周囲に目立った高い山のない独立峰であるうえ、標高が4000メートル近いため、風が強く寒さも厳しい。厳冬期の風はときに風速40メートルにも達することがあり、予測不能な突風も吹く。

その風に磨きあげられた積雪はカチンコチンに固まり、アイゼン(金属製の爪が付いた登山用具で、氷雪上でのスリップを防止するために登山靴に装着して使用する)の爪も食い込まないほどだ。

かつて、春の富士山で500メートル滑落し、奇跡的に九死に一生を得た男性は、雪のある富士山をこう形容していた。

「富士山は巨大な滑り台みたいなもの。一度滑り出したら止まらない」

2009(平成21)年12月、元F1レーサーの片山右京は、南極大陸の最高峰・ビンソンマシフに登るために、仲間2人とともに富士山で高所トレーニングを実施したが、御殿場ルートの6~7合目あたりで幕営中に、テントが強風で吹き飛ばされるというアクシデントに見舞われた。

飛ばされたのは仲間2人が入っていたテントで、片山のテントは無事だった。事故発生後、片山は現場から200メートルほど下方で破れたテントと2人を発見し、自力救助に努めたが、2人とも還らぬ人となった。

この例にとどまらず、過去に冬の富士山では“ベテラン”と呼ばれる多くの登山者が命を落としている。

登山の経験をある程度積み、山の知識を学んだ者ならば、冬の富士山の特殊性を理解し、自分たちに登るだけの技術が備わっているのかどうか考え、登るのであれば準備万端整えて挑もうとする。それでも事故が起きてしまうところに、冬の富士山の過酷さが垣間見える。

(写真:iStock.com/Norimoto)

滑落事故の一部始終が全世界に生配信された

しかし、ベテラン登山者の事故よりも問題なのは、冬の富士山の怖さをしっかり認識していなかったり、観光地化された夏のイメージを抱えたままやってくる人たちによる事故だ。

実際、登山経験の少ない初心者の技術・知識不足による事故、あるいは明らかに装備や計画が不充分だと思われる事故は、あとを絶たない。

そこで、環境省や静岡・山梨両県などで組織する、富士山における適正利用推進協議会が2013(平成25)年7月に策定したのが、「富士登山における安全確保のためのガイドライン」だ。

これは、夏山シーズン以外に安易に入山しようとする者を規制するためのもので、「万全な準備をしない登山者の登山禁止」「登山計画書を必ず作成・提出」「携帯トイレを持参し、自らの排泄物を回収し持ち帰る」という3つのルールを呼び掛けている。

だが、このガイドラインに罰則規定はなく、無知・無謀としか思えない事故は今も散見される。

たとえば、吉田ルートから山頂を目指した男子高校生が、日没により身動きがとれなくなり、母親を通じて救助を要請するという事故が起きたのは2016(平成28)年4月のことだ。男子生徒に冬山登山の経験はなく、冬山装備も不充分で長靴に軍手という軽装だった。

信じがたいのは2019(令和元)年10月28日の事故である。この日、47歳の男性が吉田ルートより入山、動画配信サービス「ニコニコ生放送」で登山の様子をライブ配信しながら山頂を目指した。

しかし、午後2時半過ぎ、雪が積もった山頂付近を登高中に滑落、その瞬間はインターネットを通じて全世界に配信されたのだった。

その動画の最後のほうには、もう間近らしい山頂を目指して歩きながら、

「指やべぇ。指、感覚がないからね」

「うわぁすべる。ここすべるな。ちょっと危険」

「斜度が30度ぐらいあるけど。ちょっと待て。すべるなぁ。危ないなぁ」

「ちっちゃい岩をつたっていこう」

「道合っているの。そうとう埋まっているんだけど、雪で」

「ここも危ないなぁ」

などと話す男性の声が録音されている。ルートは硬い雪におおわれ、画面左下が谷側斜面だ。そして「あっ、すっ、すべる」と言った直後、「うわぁ」という声とともに画像が乱れ、雪の斜面、空、男性の足、男性が持っているストック、岩などが回転しながら写り込んだのちに配信はストップした。

この動画の視聴者からの110番通報を受け、山梨・静岡の両県警山岳遭難救助隊が捜索を開始し、男性は2日後に遺体で発見された。発見場所は、須走ルート7合目の山小屋から800メートルほど南の、標高約3000メートル地点。

標高差800メートル近くを岩などに激突しながら落ちたため、遺体は損傷が激しく衣服もぼろぼろで、身元を特定できたのは約2週間後のことだった。

動画を見るかぎり、男性はピッケルやアイゼンなどの冬山装備は携行していなかったようで、警察関係者も「冬の富士登山ができるような装備ではなく、軽装だったようだ」と新聞にコメントしている。

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関連書籍

羽根田治『山はおそろしい 必ず生きて帰る! 事故から学ぶ山岳遭難』

クマ襲来、落雷直撃、救助直前にヘリが墜落、他人の巻き添えで崖から滑落……。山ならではの危険から生還する術を体験者の証言とともに解説。山に繰り出す前に必ず読むべし。

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山はおそろしい

2022年5月25日発売の『山はおそろしい 必ず生きて帰る! 事故から学ぶ山岳遭難』(羽根田 治・著)の最新情報をお知らせします。

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羽根田治 山岳ライター

1961年、埼玉県生まれ。フリーライター、長野県山岳遭難防止アドバイザー、日本山岳会会員。山岳遭難や登山技術にまつわる取材を重ね、雑誌「山と溪谷」「岳人」や書籍で発表する一方、沖縄、自然、人物をテーマに執筆活動を続ける。『人を襲うクマ』『野外毒本』『ドキュメント 生還』(いずれもヤマケイ文庫)、『十大事故から読み解く 山岳遭難の傷痕』(山と溪谷社)など著書多数。小学生のときから登山を始め、現在はピークハントやハイキング、テレマークスキーを楽しんでいる。

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