
今回ご紹介するのは、アメリカのマンガ家、エイドリアン・トミネの作品です。
「トミネ」という聞きなれない姓は、このマンガ家が日系4世のアメリカ人だからです。曾祖父の姓は「富根」とでも書いたのかもしれません。
私がこのマンガ家を知ったのは、2017年に出た日本語訳の『キリング・アンド・ダイング』という短編集によってです。
アメリカでは普通、マンガのことを「コミック・ストリップ」とか「コミック」といいますが、文学性の高いマンガについては「グラフィック・ノヴェル」(絵で描いた小説)という呼称もあって、『キリング・アンド・ダイング』は、まさに「グラフィック・ノヴェル」というのがふさわしいマンガでした。
内容は、荒唐無稽なヒーロー物語のいわゆる「アメコミ」とは対照的に、世の中のどこにでもいるようなごく普通の人々を主人公にして、そうした人々の日常生活の細部を淡々と描いていきます。
すべてをぎりぎりまで単純化して描く「ミニマリスト」とか、日常の描写から人間の内面を浮かびあがらせる「アンティミスト」といった芸術家の手法を思わせる特質をもっています。
しかも、その結果として、諧謔(かいぎゃく)と淋しさ、というか、「おもしろうて やがてかなしき 鵜舟(うぶね)かな」(芭蕉)というような日本の俳句の世界にも通じる、ユーモアと哀愁がじんわりと滲んでくる独自の作風なのです。
今回の新作『長距離漫画家の孤独』(国書刊行会)も、同様の作風ですが、内容は、1982年(8歳)から2018年(44歳)までのトミネ自身の人生を語った自伝です。自分の妻と娘2人のほか、多くのマンガ家などの固有名詞も実名で出てきます(一部は黒塗りにされていますが)。
トミネは、有名な雑誌「ニューヨーカー」の表紙を飾ったり、短編マンガが映画化されたり(フランスのジャック・オディアール監督による『パリ13区』)、この『長距離漫画家の孤独』では、アメリカのマンガ賞の最高峰であるアイズナー賞の最優秀自伝賞と最優秀装幀賞を受けたりしています。つまり、世間的な評価の高い著名マンガ家なのです。
ところが、この自伝を読むと、トミネはまさに彼自身のマンガに出てくるような、ごく普通の庶民で、いろいろなことをうじうじと考える小心者。さらに、卑屈ともいえる根暗なペシミストなのです。
本書ラストの、心臓の痛みで緊急病棟に入ったエピソードでは、死を覚悟して、自分のマンガ家人生を総決算し、娘たち宛ての遺書を書くに至ります。
しかし、そこには、自分の実力と運の良さを正確に秤にかけることができる聡明かつ謙虚な人柄が反映されて、静かな感動を誘います。自分の仕事と人生を欠点や不足も含めて肯定しようというトミネの姿勢は、私たちのようなごく普通の人間にも、生きる勇気をあたえてくれるのです。
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