
本欄ではすでに手塚治虫のマンガの復刻版を取りあげたことがあります。2020年に刊行された『手塚治虫アーリーワークス』です。
手塚の最初期の新聞マンガをまるで印刷したてのような鮮やかなタッチで再現し、また、『新寶島』に先立つ未完の単行本、『ロマンス島』の薄墨を塗った画面をみごとに甦らせて、ファンを驚嘆させた復刻版です。
手塚の復刻版では、最後の大長編『アドルフに告ぐ』の精細きわまる紙面による雑誌オリジナル版の刊行も話題となりました。こちらは2万2000円(税込み)という価格にもかかわらず、つい最近増刷がかかったとのこと。
これは、手塚治虫のタッチを生々しく再生させる手の込んだ仕事に見合った値段を、手塚マニアだけでなく、一般のマンガファンも認めたということの証しでしょう。
今回の最新刊『ママー探偵物語』も、『手塚治虫アーリーワークス』と同じく、完全主義で名高い濱田高志が責任編集をおこなったもので、手塚が10歳から16歳の小中学生時代に描いた作品の復刻です。
もちろん印刷物として発表されたことはない、本邦初公開の手描きマンガで、作品は経年劣化が激しいため、数年後には粉々になってしまう恐れもあり、印刷物として残すことが急務でした。
しかし、そのスキャニングと補正作業が、どれほどの根気と手間ひまを要するものであるかは、私のような素人にも分かります。
その気の遠くなるような努力の甲斐あって、手塚治虫の最初期のマンガがここにほぼ完全なかたちで読めるようになったのです。
その素晴らしさは、補正前のマンガ原稿の写真版と、本書の紙面とを比べてみれば、一目瞭然です。本当にはっきり、くっきりと、手塚少年が振るった鉛筆のタッチが浮きあがっているのです。80年の時を超えるこの再生に感動を抑えることができません。
内容は、題名どおり、「ママー」という不思議な存在を主人公にした冒険譚が主体です。
「ママー」とは、虫の幼虫のような形をした、「ヒョウタンツギ」の同類ともいえるナンセンスな生物です。
このママーには、少年期の手塚治虫のアニミズム(生命主義)への志向が結晶しているように思えます。ママーは、この世に遍在する、生命(アニマ)の、無定形な、変幻自在の運動エネルギーのシンボルなのです。
運動と並ぶこの生命のもうひとつの特徴はメタモルフォーゼをくり返すことです。『ママー探偵物語』の紙面には、生命の運動とメタモルフォーゼが溢れかえっています。これが手塚治虫のマンガの原点なのです。
手塚は自分の名に「虫」を加えたほどの虫好きですが、本書に収録された「昆虫の身の上ばなし」という独創的な短編には、手塚少年が感じていた虫のメタモルフォーゼの魅惑が迷宮さながらの圧倒的な画面構成によって描きだされています。手塚治虫の本質の理解のために、必読の一篇です。
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