
子供の頃から大好きだったのは山口百恵さん。
寝ても覚めても百恵ちゃんが好きで好きで、当時テレビを録画する機械などはなかったけど、彼女の出演する歌番組やドラマをテープレコーダーで録音して、歌や台詞を必死で覚え、繰り返し真似をしていました。
当時の私はいつかきっと百恵ちゃんみたいになれると信じていたのです。
いつドラマの主演に抜擢されてもいいように、記者会見の練習なども頻繁に行っていました。
だけど、あれだけ質疑応答の練習をしたにも関わらず、いまだに記者会見をやったことはないんですけどね。
百恵ちゃんは早くに引退されたので、結局、共演する機会もお会いする機会もなかったけど、それでも一つだけ、あの時の私に誇れることがあります。
それは現在所属するホリプロに入って、百恵ちゃんの後輩になれたこと。
きっと当時の私が知ったらきゃっと飛び上がって喜ぶことでしょう。

こんな風に百恵ちゃんに憧れた小学生時代でしたが、同時にやっぱり私は辰巳柳太郎という人にも同じくらい強く憧れを持っていました。

今回は、初めて辰巳柳太郎という人を、優しいおじいちゃんではなく、俳優として素晴らしいと思った瞬間の事を書きます。
私が最初に新国劇にでた「国定忠治 」というお芝居をやっていた時のことです。
この物語をざっくり説明すると、飢饉にあえぐ農民を助けるために、悪いお役人を切った国定忠治と子分たちは赤城 の山に立てこもります。
けれど赤城の山はすぐに、今で言う警官たちに包囲されてしまうのです。
そこに尋ねてきたのは、忠治の妻の父親。つまり義理の親の川田屋惣次。
惣次も目明し(これも今でいう警察関係)。
忠治の義侠心に燃えた人柄を十分に理解しているが、お役人を斬った罪は重く、どうか自首してくれと迫ります。
義理の父、川田屋惣次の苦しい胸の内を察して、忠治は自首しようと覚悟を決めます。
その時、日光の円蔵という忠治の子分が二人の間に立ち、800人の子分たちは盃を返しその場で解散。代わりに忠治は山を降り、一人で逃げることに決めます。
そこであの名台詞、「赤城の山も今宵限り、生まれ故郷の国定の村や、可愛い子分のてめえ達とも、別れ別れになる門出だ」になるわけです。
私が出演していた新国劇の「国定忠治」は、開演ベルが鳴った直後、無音になります。
しばらくすると低い太鼓の音が聞こえ、やがて薄暗い花道から忠治の子分二人に連れられて川田屋惣次がやって来るところから始まります。
ちなみにこの時川田屋惣次を演じていたのは島田正吾先生でした。
そして舞台上に明かりがつくと、忠治を真ん中に大勢の子分たちが勢揃いしています。
二人で久しぶりの挨拶を交わし終え、川田屋惣次が訪ねてきた本当の理由を話し始めます。
お前の正義は分かるが、役人を斬り殺した以上自首をしてほしいと。
大勢の子分たちはいきり立ちます。
「それじゃあ今夜とっつあんは、親分をふん縛りにきたとこう言うんだな」と。
子分たちは忠治を守るためにそれぞれの刀に手をかけ、今にも川田屋惣次を斬り殺そうとします。
その時、忠治が子分たちに言うのです。
「引け。引け引け引け。いいから引けぇ」
この台詞、ここに私は惚れたのです。
本当のリアルで言ったら、この一言で、子分たちが刀を収めるなんて考えられません。即座に川田屋惣次を斬り殺すことでしょう。
けれど辰巳柳太郎という人の台詞の気迫。「いいから引けぇ」の一言で大勢の子分を黙らせる侠気 。それで子分役の役者たちは皆、刀を収められるのです。
辰巳柳太郎の舞台に、日常のリアルなんて関係ありません。
舞台上で他の役者たちを納得させられる気迫と気概を持てば、それが舞台上のリアルになるのです。
辰巳先生は言葉で直接教えてくれたことはありませんでしたが、私は師の背中を見てそれを学びました。
あの時の辰巳先生の芝居を思い出すと、今でも鳥肌が立ってきます。
辰巳柳太郎とは、それほどすごい役者だったのです。
今、私は5月18日から始まる「奇跡の人」という稽古の真っ最中です。
演出家をはじめ共演者の皆さん一人一人が最高で、毎日心を震わせながら稽古をしています。
先日初通しをやりましたが、本当に素晴らしい作品になっています。
こういう作品に出演できた時にいつも思います。
辰巳先生に観てもらいたかったと。
そして「お前さんもこんな凄い作品に出してもらえるって事は、少しは頑張ってきたんだねえ」と言ってもらいたかった。
でもね、空の上でちゃんと観てもらえてると信じて、本番まで一ミリでも先に進めるよう必死で皆さんに食らいついていきます。
一人でも多くの方に観ていただきたい作品です。
よろしくお願いいたいします。
(詳細はHORIPRO STAGE)
次回は祖母、母、私、女三世代の話に戻ります。
山野海の渡世日記

4歳(1969年)から子役としてデビュー後、バイプレーヤーとして生き延びてきた山野海。70年代からの熱き舞台カルチャーを幼心にも全身で受けてきた軌跡と、現在とを綴る。月2回更新。