
子供の頃から思い込みの激しい女だった。
私が老眼になったのは忘れもしない43歳の時。
その頃「救命病棟24時 PART4」というドラマにレギュラー出演しており、前室で翌日のスケジュールを制作の方から受け取った。
自分の入り時間を見ると、朝の7時なのか、7時半なのかが文字が小さくて分かりにくく、一緒に出演していた板尾創路さんにそのことを言うと、
「海さん、それ老眼やん」と一言。
共演する前から板尾さんのファンだった私は、まんまとその言葉を受け入れ、以来老眼街道をまっしぐらに進むことになった。
思い返せば肩こりもそうだった。
中学生の時、近所のおばさんがふざけて私の肩を揉んできた。
するとそのおばさんがびっくりした声で言った。「あんた、子供のくせに肩パンパンだよ」
この時も思い込みの激しい私は、おばさんの言葉をまっすぐ受け入れ、これまた肩凝り街道まっしぐら。
以来40年以上、肩凝りに悩まされている。
大人になって、少しお金に余裕ができた頃から、色んなマッサージを受けてきた。
その中には素晴らしい施術をしてくれる人もいたが、中には失敗もたくさんあった。
あるところでは、身体の大きいマッサージ師さんが私の身体を揉んでる間中、とにかく自分の力自慢。
私も強めの方が好きだし!と喜んでいたが、その人はとにかく骨の上だけゴリゴリ揉む。
骨は凝ってない。
凝ってるのは骨の脇なんだ。
骨を揉んでも痛いだけだ。
何度もそう言ったが、力自慢のその人はふんがふんがと鼻息荒くその耳には届かず、翌日背中があざだらけになった。
もちろん、肩こりは一ミリも治ってない。
別のところでは身体を触らずに、背中の上で怪しげな機械をカンカン鳴らすだけってのもあった。
当たり前だが効くわけがない。
そんな、肩凝り界では苦労の連続の私に救世主が現れた。
今通っている整体のスーパー施術師Aちゃん。
小柄な可愛らしい女性のAちゃんは凄く勉強熱心で身体のエキスパート。その時々の私の仕事の内容や身体の状態によって施術の仕方を変えてくれる。
ただね、悪いところがあると痛い。
そんなに強く押してないのに痛い。
でも、それを我慢すると、翌日は絶対身体が羽のように軽くなって、よく眠れるようになっている。
だから多少の痛さは我慢する。
昨日も撮影と撮影の合間に予約を取って行ってきた。
初めて足裏のマッサージをやってもらった。
い、痛い。
やっぱり痛いのだ。
昔よくあったバラエティ番組の罰ゲームみたいに痛い。
だけどAちゃんの黄金の指にかかると、3分ほど揉んでもらえば、すぐにイタ気持ちよくなる。
そうこうするうちに全身がポカポカしてきて、内臓が動いていくのが分かる。
彼女は本当に凄くて、前の日に私が仕事で何センチのヒールを履いたのかも、身体をさわればピタリとあてる。
筋肉の状態で分かるそうだ。
この人と出会って本当に感謝している。
こんな素晴らしいAちゃんに昨日施術してもらって、今日は完璧な身体で撮影現場に向かった私だが、ロケバスに乗る時、寝ぼけていてつまづき、せっかく揉んでもらった左の足首が微妙に痛い。
でも、思い込みの激しい私は、昨日揉んでもらったんだから全然痛くない! と思い込む。
つまづいてから二時間たった。
足が微妙にジンジンしてきた。
どうやら軽く捻挫したようだ。
私の思い込みの力、
弱し!
山野海の渡世日記

4歳(1969年)から子役としてデビュー後、バイプレーヤーとして生き延びてきた山野海。70年代からの熱き舞台カルチャーを幼心にも全身で受けてきた軌跡と、現在とを綴る。月2回更新。