
レジで本を売るときは、さもあたりまえのような顔をしてお客さんからお金を受け取っているが、「これ、ほんとうにお金をもらっていいのだろうか」と、自分のやっていることにふと疑問を抱くことがある。妻がいるカフェでは、ケーキを粉から作り、コーヒーは豆を挽き手淹れしているので、それに対してお金をもらうことは理解できる。しかし自分ではない誰かが作った本をそのまま渡し、その対価としてお金を受け取るのは、何かズルをしているようでうしろめたいのだ。
わたしは人を騙してお金を儲けているのではないか。そのようにいつも思っているわけではないけれど、そうした気持ちは拭いきれるものでもない。
しかし先日、もう少しこの商売を続けていてもいいのかなと、来店したお客さんから勝手に励まされたことがあった。
「よかった、この本探してたんです。どこにも売ってないから……。ほんとうにありがとうございました」
お客さんのほとんどは、何も話さずに会計を済ませるが、その女性はよほどうれしかったのだろう、満面の笑みでそのように言ったかと思ったら足早に帰っていかれた。彼女が買ったのは、個人が制作しているリトルプレス。値段で言えば五百円の商品だった。
本屋とは、いつか来る誰かの代わりに本を買い、それをその人に手渡す商売なのかもしれない。手元に残った五百円玉を見ていると、そのように納得がいった。その本を売って儲けたお金は百五十円。実にみみっちい話で涙が出てくるが、我々は日々それを積み重ねて、商いにしているのだ。
先週まで店のギャラリーでは、牧野伊三夫さんの絵本『十円玉の話』の出版記念展を行っていた。『十円玉の話』は、十円玉が人の手から手へと渡る光景を描いた、ゆったりとした絵本。話の筋だけを追えば、なぁんだとそのままやり過ごしてしまうかもしれないが、傍らに置いて何回も眺めているうちに、次第に頁の前を立ち去りがたくなってくる。そうした本は、なかなかない。
展示では十円玉にちなみ、牧野さんお手製の「十円玉の貯金箱」を販売した。空き缶に和紙を貼り、色を塗るなどして手をかけたものは八百円。丈夫なプラスチック容器に、ラベルを貼ったものは三百円。そして、豆腐を入れるプラスチック容器を貼り合わせただけのものは百円……。期間中わたしはなぜか、その百円の貯金箱のことがいちばん気に掛かっていた。何よりそれは、「商品」には見えなかったから。
結果として、その百円の貯金箱を買った人はひとりいた。その人は定期的に店に来てくれるデザイナーのTさんで、「いや、これはいいですよ」と声をはずませ、百円を支払うとうれしそうに帰っていかれた。たよりなく見えた豆腐の容器が、お金に変わった瞬間。彼がいちばん、この本の気分を理解していたのかもしれない。
展示の終了後、牧野さんは残った三百円と百円の貯金箱を、「本を買った人にでも差し上げてください」とそのままくださった。売り上げはその場で三等分し、お手伝いの人と分けていらっしゃる。展示をして本も売ろうと集まったわたしたちだが、牧野さんの人柄のおかげだろうか、その時お金儲けでは語れない、不思議な場所に立っていたのだと思う。
会期中わたしは、たくさんの貯金箱の中から八百円のものを選んで買った。そのように伝えると牧野さんは、「きっといいことありますよ、お金が貯まるとかね」と、うれしそうに笑った。
今回のおすすめ本
赤城、千島、乗鞍と自然の麓で過ごしながら、山小屋、靴下編みと何でも自分で作ってみる人生。とにかく晴れやかで、気持ちのいい文章に、生きる力が湧いてくる。装画は牧野伊三夫さん。
◯連載「本屋の時間」は単行本でもお楽しみいただけます
連載「本屋の時間」に大きく手を加え、再構成したエッセイ集『小さな声、光る棚 新刊書店Titleの日常』は、引き続き絶賛発売中。店が開店して5年のあいだ、その場に立ち会い考えた定点観測的エッセイ。お求めは全国の書店にて。Title WEBS
◯2025年4月25日(金)~ 2025年5月13日(火)Title2階ギャラリー
「定有堂書店」という物語
奈良敏行『本屋のパンセ』『町の本屋という物語』刊行記念
これはかつて実在した書店の姿を、Titleの2階によみがえらせる企画です。
「定有堂書店」は、奈良敏行さんが鳥取ではじめた、43年続いた町の本屋です。店の棚には奈良さんが一冊ずつ選書した本が、短く添えられたことばとともに並び、そこはさながら本の森。わざと「遅れた」雑誌や本が平積みされ、天井からは絵や短冊がぶら下がる独特な景観でした。何十年も前から「ミニコミ」をつくり、のちには「読む会」と呼ばれた読書会も頻繁に行うなど、いま「独立書店」と呼ばれる新たなスタイルの書店の源流ともいえる店でした。
本展では、「定有堂書店」のベストセラーからTitleがセレクトした本を、奈良敏行さんのことばとともに並べます。在りし日の店の姿を伝える写真や絵、実際に定有堂に架けられていた額など、かつての書店の息吹を伝えるものも展示。定有堂書店でつくられていたミニコミ『音信不通』も、お手に取ってご覧いただけます。
◯2025年4月29日(火) 19時スタート Title1階特設スペース
本を売る、本を読む
〈「定有堂書店」という物語〉開催記念トークイベント
展示〈「定有堂書店」という物語〉開催中の4月29日夜、『本屋のパンセ』『町の本屋という物語』(奈良敏行著、作品社刊)を編集した三砂慶明さんをお招きしたトークイベントを行います。
三砂さんは奈良さんに伴走し、定有堂書店43年の歴史を二冊の本に編みましたが、そこに記された奈良さんの言葉は、いま本屋を営む人たちが読んでも含蓄に富む、汲み尽くせないものです。
イベント当日は奈良さんの言葉を手掛かりに、いま本屋を営むこと、本を読むことについて、三砂さんとTitle店主の辻山が語り合います。ぜひご参加下さいませ。
【店主・辻山による連載<日本の「地の塩」を巡る旅>が単行本になりました】
スタジオジブリの小冊子『熱風』(毎月10日頃発売)にて連載していた「日本の「地の塩」をめぐる旅」が待望の書籍化。 辻山良雄が日本各地の少し偏屈、でも愛すべき本屋を訪ね、生き方や仕事に対する考え方を訊いた、発見いっぱいの旅の記録。生きかたに仕事に迷える人、必読です。
『しぶとい十人の本屋 生きる手ごたえのある仕事をする』
著:辻山良雄 装丁:寄藤文平+垣内晴 出版社:朝日出版社
発売日:2024年6月4日 四六判ソフトカバー/360ページ
版元サイト /Titleサイト
◯【書評】
『生きるための読書』津野海太郎(新潮社)ーーー現役編集者としての嗅覚[評]辻山良雄
(新潮社Web)
◯【お知らせ】
メメント・モリ(死を想え) /〈わたし〉になるための読書(4)
「MySCUE(マイスキュー)」
シニアケアの情報サイト「MySCUE(マイスキュー)」でスタートした店主・辻山の新連載・第4回。老いや死生観が根底のテーマにある書籍を3冊紹介しています。
NHKラジオ第1で放送中の「ラジオ深夜便」にて本を紹介しています。
偶数月の第四土曜日、23時8分頃から約2時間、店主・辻山が出演しています。コーナータイトルは「本の国から」。ミニコーナーが二つとおすすめ新刊4冊。1週間の聴き逃し配信もございますので、ぜひお聞きくださいませ。
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本屋の時間

東京・荻窪にある新刊書店「Title(タイトル)」店主の日々。好きな本のこと、本屋について、お店で起こった様々な出来事などを綴ります。「本屋」という、国境も時空も自由に超えられるものたちが集まる空間から見えるものとは。