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『栄光のバックホーム』(試し読み)

2025.12.05 公開 ポスト

#6 病気より、目標を成し遂げる力のほうが、強い中井由梨子(劇作家・演出家)

脳腫瘍の後遺症に苦しむ中、引退試合で見せた「奇跡のバックホーム」。伝説のプレーから4年後、横田慎太郎さんは28歳でこの世を去った。人々に愛され希望となった青年の生涯を、母親の目線で描いた、感涙のノンフィクションストーリー『栄光のバックホーム』。

横田さんの自伝『奇跡のバックホーム』と『栄光のバックホーム』を原作とした、映画『栄光のバックホーム』が、2025年11月28日に全国で公開。

映画の公開に合わせて、『栄光のバックホーム』の試し読みを全6回でお届けします。

*   *   *

「大丈夫、大丈夫」

呪文のように繰り返しながら、私は自らの恐怖心を抑えつけるように、ただひたすらに慎太郎の手を握っていました。

日が落ちても、慎太郎はショックのあまり、ただじっと天井を睨み、動けない体を震わせておりました。

涙すら、流れませんでした。

どんな姿になろうと息子は息子である、変わりはないと思っていましたが、突然視覚を奪われた息子を目の前にして、それすら悠長な考えだったことに気がつきました。

なぜ自分がこんな理不尽な仕打ちを受けねばならないのか、慎太郎の物言わぬ横顔が、怒りに染まっていました。

たしかに命は助けてもらった。

しかしこれから歩む道は、先の見えない、真っ暗なトンネルになってしまった。

この傷ついた横顔を、あの京セラドームでの開幕戦の日に想像できただろうか。満員の観衆の前で、輝かしい未来に向かってこの子がバットを振ったのは、つい去年のことじゃないか。

「どうして……」

何度も言うまいと思ってきた言葉が口をついて出てしまいました。

「どうしてこんなことに……」

喉の奥に、つっかえていた何かが迫り上がるような感覚に襲われ、私は慌てて立ち上がりました。そっと病室から出てトイレに行こうと思ったのですが、なぜか廊下の先のエレベーターに飛び乗りました。

病院の最上階には、展望台があります。話には聞いていましたが、一度も上がってみたことがありませんでした。思いつくままに展望台のフロアに降りた私の目に飛び込んできたのは、眼前に広がる美しい大阪の夜景でした。

窓ガラスに近づくと、遠くに観覧車と太陽の塔が見えます。そしてちょうど造幣局の桜が満開でした。ライトアップされて白々とした姿を浮かび上がらせています。あの有名な桜並木の下で、今頃大勢の人がお花見をしていることでしょう。

「綺麗……」

そう言った瞬間、こらえていたものが溢れ出しました。喉の奥から塊のようなやりきれなさがぐっと迫り上がって噴き出しました。涙が後から後から流れ落ちました。泣いちゃいけない、泣いちゃいけない、と心で言い聞かせながら、それでも止めることができません。

世の中は私たち家族の苦しみを置き去りに、何事もなかったかのように流れていきます。

健康であることが当たり前のように、ただ夢を追いかけて笑ったり怒ったりしながら過ごしてきた毎日から、こんな風に一気に変わってしまうことがあるのか。ついこの間までいた世界と、今、自分がいる世界があまりにも違いすぎて、その絶望にこの先、耐えられるか分からない……。

いったいどうしたらいいのだろう。

白く光る桜並木を見つめながら、ただ涙が流れるに任せていました。

泣くだけ泣いてしまうと、少しだけ落ち着いてきて、屋上にはちらほらと人影があることに気づきました。

車椅子に座った入院患者らしき人とその家族がいます。彼らも言葉少なに、大阪の夜景を眺めています。あの人たちも今の私と同じく、世の中から取り残されたように感じているのだろうか。眼下に広がる“普通の生活”を、遠く、愛おしく感じているのだろうか。

たしかに、病気になることは苦しい。けれどもっと苦しいのは、これまで当たり前にできたことができなくなることなんじゃないだろうか。好きなことを取り上げられ、生きる意味を見失うことなんじゃないだろうか。

だとすれば、今私のやるべきことは、暗闇を彷徨う慎太郎に光を見せてやることだ。それがこの子を預かった私の使命なのかもしれない。

慎太郎にこの夜景を見せよう。必ず見せよう。

それまではもう二度と泣くまい。

もし、泣きそうになったら、笑ってやろう。

私は踵を返し、病室へと急ぎ足で戻りました。

そっと病室の扉を開けると、薄明かりの中で慎太郎がこちらを向いたのが分かりました。

「お母さん」

慌ててベッドサイドに駆け寄りました。

「なに? 慎太郎」

慎太郎は、薄目を開けてぼんやりとしていました。

「いるなら、いい」

そう言って瞼を閉じ、眠りに入りました。

「ここにいますよ」

呟くようにそう言いました。そしてそっと我が子の頬を撫でました。

 

それから約2か月という長い間、慎太郎の視界は暗いままでした。

先生や看護師さんから「時間が経てば見える」と言われ続けていましたが、息子はこの閉ざされた暗闇を彷徨っている間、ほぼ無口で、何を考えているのかまったく分かりませんでした。食事もトイレに行くのにも私が手を貸しました。おそらくそれも最初は嫌だったのでしょう。しかし見えなければそれすら一人ではできません。

このままでは体より先に彼の精神が参ってしまう。そう思った私は、風や匂い、音など、視覚以外の五感をより強く感じることができるように、慎太郎を車椅子に乗せて病院内の庭や、あの展望台にも連れていきました。そして歩きながら、

「すぐ見えるようになるからね、大丈夫よ」

と呪文のように繰り返していました。そうやって自分を奮い立たせるだけでなく、「見えるようになる」と言霊を使って現実を引き寄せようとすら思っていました。

最初の頃はどこへ連れていっても慎太郎の表情はこわばったままでしたが、庭で穏やかな風に吹かれるのは好きなようでした。じっと気持ちよさそうに目を閉じているので、

「ここの風は甲子園からの風だもんね」

と言いますと、

「さすがにそれはないでしょ」

とあっさり言い返されてしまいました。

術後1か月は傷口がまだ完全にはふさがっておらず、慎太郎が傷口を搔いたりしないように、寝る時は互いの手首を輪ゴムで繋いだうえ、慎太郎の手に鈴をつけました。慎太郎が手を動かしたら、私が起きて手を傷口から離すためです。最初の頃はしょっちゅう鈴が鳴り、私はまるで夜泣きする赤ちゃんを抱える母親のように、睡眠不足に陥りました。しかし傷口から雑菌が入ってしまうとまた手術せねばならないと聞いていたので、もう二度とあんな大変な思いはさせまいと必死でした。

慎太郎がナーバスな状態であることを、球団もよく承知していましたので、この期間はお見舞いを遠慮してくださっていました。私のほうには「様子はどうですか」と連絡が入りますし、病院からも随時報告が上がっていたとは思いますが、何も知らされていなかった慎太郎は、球団の人が誰も来なくなったことにひどく不安を覚えていたようでした。

「契約、切られるかな」

ある時、ベッドの上でそう呟きました。

「まさか! 治療だってこんなにバックアップしてくださってるじゃないの」

「でも、最近誰も来なくなったし……目が見えなくなってから」

「それは……」

言いかけてハッとしました。このまま本当に目が見えなければ……契約は確実に打ち切りでしょう。もしそうなったら、慎太郎はいったいどうなってしまうのでしょう。

「大丈夫よ」

そう口では言いましたが、不安も致し方ない、と思いました。もう1か月以上も見えない日が続き、最初はあった希望も日に日に削られ、息子の中では「ずっとこのままかもしれない」という不安と恐怖が確信めいたものになってきたようでした。

一方、シーズンが開幕してもいっこうに姿を見せない慎太郎について、阪神ファンの間で様々な憶測や心配の声が上がっていました。依然として球団は情報を外に出さなかったので、SNS上では、精神的な病ではないか、もう引退するんじゃないか、とまで騒がれるようになっていたのです。それと同時に、慎太郎を心配する多くのファンの方々からお見舞いの品やお手紙が毎日のように虎風荘に届くようになりました。

ある時、寮長さんがパンパンに膨らんだ紙袋を2、3個抱えて病院まで来てくださいました。

「ファンレターがあんまりたくさん届くんで、たまりかねて持ってきましたわ」

そう言って取り出したのは、ぶ厚い封筒の束でした。

「慎太郎、ファンの皆さんから手紙届いたよ!」

「え……」

慎太郎のベッドに束をのせて手で触らせてやると、その数に驚いたようでした。

「こんなに……?」

私はベッドサイドに腰掛け、最初の一通の封を切りました。

 

『一日も早い復帰を祈っています』

 

私は丁寧に書かれた手紙を一言一句のがさず音読していきました。一通目を読み終わると、次の一通を開封しました。

 

『どんな状態か分からないけれど、横田さんが帰ってくるのをいつまでも待っています』

 

一通一通、開いては閉じ、開いては閉じ、声に出して読んでいくうち、胸に込み上げるものがありました。手紙のほとんどが手書きで、小さなお子さんから若い女性、ご年配の男性、主婦、高校球児に至るまで様々な年齢層の方々が送ってくださいました。

その文面から、込められた想いや願いがひしひしと伝わってきました。慎太郎の似顔絵を描いてくださる人や、千羽鶴を折ってくださる人もいました。息子はなんと愛されているのだろう。こんなにも多くの方から応援されているのか、と胸が熱くなっていきました。時が経つのも忘れて読み続け、ふと顔を上げますと、目を閉じてじっと聞いていた慎太郎の目からは、静かに涙が流れていました。

「慎太郎」

手を止めて、そっと手を握ってやりますと、涙は後から後から流れて頬を伝い、ベッドの布団の上にぽたぽたと落ちていきました。傷だらけで、顔も青白く、次第に痩せ始めている体をさすりながら「良かったね」と繰り返しました。

一日では読み切れない量の手紙を何日もかけて読み、しばらくするとまた寮長さんが新しく届いたものを持ってきてくださる……そんなことが繰り返されました。その時は知りませんでしたが、球団の公式SNSやホームページには、さらに多くの声が寄せられていたそうです。

 

ある穏やかに晴れた日、車椅子を押して慎太郎と庭に出ました。

季節は5月になっていて、暖かな木漏れ日が風に揺れています。慎太郎は春風に耳を澄ましながら、空に向かって目を開きました。

「お母さん」

久しぶりに息子の声は凜としていました。

「俺、やっぱり野球やる。この目標からは、絶対に逃げないことにした」

私は驚いて慎太郎の顔を見つめました。

「このまま視力が戻ってこなかったとしても、諦めないでいたら、いつか必ずできる日が来ると思う。それが目標。目標は絶対、達成する。ずっとそうしてきたし。病気より、目標を成し遂げる力のほうが強いんだって、俺は実証したい」

風が、慎太郎の言葉をすくい上げて空に舞わせるように吹きました。

 

病気より、目標を成し遂げる力のほうが、強い。

 

子どもの頃から一つ一つの目標を着実に達成し、積み上げてここまで歩いてきたことは、誰よりも私がよく知っています。慎太郎にとって目標とは、そうなったらいいな、というレベルのものではありません。必ず達成する、という確実な未来なのです。

今、彼はこれまで設定してきた中で最も難しく、大きな大きな目標に向かって、一歩を踏み出そうとしています。きっと息子はやるでしょう。誰がなんと言おうと、達成するでしょう。不可能を可能にしてみせるでしょう。

だって、昔からそういう子なのですから。

「慎太郎なら、やるだろうね」

私の言葉に慎太郎は笑いました。そう、笑ったのです。手術以来初めて。

暗闇の世界でなお、“目標”を見出して初めて、笑うことができたのです。

関連書籍

中井由梨子『栄光のバックホーム 横田慎太郎、永遠の背番号24』

脳腫瘍の後遺症に苦しむ中、引退試合で見せた「奇跡のバックホーム」。伝説のプレーから4年後、横田慎太郎は28歳でこの世を去っ た。阪神はその年に38年ぶりの日本一。歓喜の中心で舞ったのは、横田選手のユニフォームだった。人々に愛され希望となった青年の生涯を、母親の目線で描く。絶望と挑戦、そして絆。感涙のノンフィクションストーリー。

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『栄光のバックホーム』(試し読み)

2025年11月28日に映画『栄光のバックホーム』が、全国上映します。

その原作の試し読みをお届けします!

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中井由梨子 劇作家・演出家

 

一九七七年兵庫県出身。劇作家・演出家・演技指導講師。九六年、神戸で旗揚げされたガールズ劇団・TAKE IT EASY! に座付き作家として入団。二〇〇五年に活動拠点を関西から東京へと移す。一〇年劇団CAC中井組の座付き作家・演出家に就任し、一三年まで活動。一八年二月にmosaqueを結成。映画「20歳のソウル」の脚本・プロデュースを担当。

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