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礼はいらないよ

2021.05.18 更新 ツイート

イスラエルとパレスチナの激化する衝突のなかで忘れたくないあの日々 ダースレイダー

ガザ地区にバンクシーが残した子猫はどうしてるだろうか(写真:marijke b.on flickr)

イスラエル、ガザ地区の状況がここ数年で最悪レベルに緊迫感を増している。5月10日、TBSの記者がテルアビブからハマスによるロケット弾攻撃をイスラエル側が迎撃している様子を現地からリポートしていた。その際、イスラエル側の主張として防衛システムに多額なコストをかける理由が「命にコストはつけられない」だった。

 

イスラエル側では兵士1名を含む7名が殺された。5歳の少年も犠牲になった。だがイスラエルの空爆では67名以上のパレスチナ人が死亡、そのうち16名が子供だった。命にコストはつけられないはずなのに……。アラブ人とユダヤ人の群衆の衝突は激しさを増し、イスラエルは地上軍の配備も進め事態が収束する気配はない。

僕は10歳までロンドンに住んでいた。ロンドンのイーストフィンチレーはユダヤ人の多い地区で僕ら一家の家のすぐそばにはユダヤ教会のシナゴーグがあった。日曜には近隣の住民が集まって礼拝をしていた。僕と弟は唯一の日本人だ。二人で公園のベンチに座っていたら自転車に乗った少年がハーイ! と言って通り過ぎた。3分するとまた同じ少年がやって来てハーイ! と言う。あれ? さっき通った子だぞ? と弟と不思議な顔をしていると少年たちが戻ってきた。彼らは近所のユダヤ人の双子でいたずらを仕掛けて来たのだ。

その場でついて来なよ! と誘われ、英語もわからないままに自転車で隣町まで一緒に走った。そこからは毎日一緒に遊ぶようになった。近所に子供は多く、日本人の兄弟は珍しがられながらも仲間に入れてもらえた。サッカーしてBMXに乗って、アイスクリームを食べる。ユダヤ人家庭では金曜日の食事は特別で一家の長老が長い祈りを聞かせてから食べる。僕ら一家も招待され、ユダヤ教の民族衣装であるキッパを借りて同席させてもらった。そこでは一族の長老のさらに3代前からの歴史が語られた。悠久な時の流れとそこに漂うユダヤ民族の歴史のスケールを幼心に感じたものだ。

近所の子供軍団にはアラブ人の兄妹もいた。兄は少し年上で力強く、サッカーでもBMXレースでも活躍した。妹は小さいながらお菓子作りを頑張っていて自分で焼いたクッキーをよく持って来てくれた。彼らも僕ら日本人と一緒にユダヤ人の子供たちと一緒に遊んでいた。みんなでBMXで調子に乗って遠出した時、迷ってしまい帰り道がわからなくなった。夜になり空も暗くなると僕らはかなり不安になっていた。もう帰れないんじゃ? そんなことを口走る子もいた。この時はアラブ人の兄がリーダーとなって方角を推理しながら僕らを導いてくれた。見慣れた街並みが視界に入った時は皆で彼を称えてハイタッチした。彼は誇らしげな顔で俺たちは仲間だ! と言ってガッツポーズをした。

こんな毎日がずっと続くと僕は思っていた。ところがある日、みんなの溜まり場に行くとアラブ人の兄とユダヤ人の双子の片方が殴り合いの喧嘩をしていた。え? 何があったの? 僕は慌てて聞いたけどお互い何も言わないまま。その場はすごく気まずい空気になってみんななんとなく解散した。この日以降、アラブ人の兄妹は集まりに現れなくなった。そして気づいたら一家で引っ越してしまっていた。

ある日、街でばったり兄妹の妹に会った。どうしてるの? と聞いたら悲しい顔でごめんね! と言って走り去ってしまった。僕は何も知らなかったが当時、イスラエルとパレスチナを巡る状況が緊迫していた。それぞれの家庭でニュースを見て話もしたのだろう。そして遠く離れたロンドンの外れでも子供同士が喧嘩していたのだ。僕らはただ遊んでいただけなのに。

Facebookで当時のロンドンのユダヤ人の友達何人かと繋がっている。そのうち一人は、私はイスラエルと共にあるというハッシュタグをつけて投稿していた。日本で中山泰秀防衛副大臣が同様のハッシュタグをつけてアラブ側を非難するツイートをしていた。トランプ元大統領がエルサレムに米大使館を移すと発表した時もそうだが、日本ではあまりにも文脈が共有されていないと感じる。

僕は遠い昔のロンドンの公園で、みんなが笑いながら走っていた光景を思い出す。とてもシンプルで楽しかった日々は、とても複雑な世界の中に立ち現れていたのかもしれない。それでも、僕はあの日の子供たちこそがあるべき姿だと思っている。

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礼はいらないよ

You are welcome.礼はいらないよ。この寛容さこそ、今求められる精神だ。パリ生まれ、東大中退、脳梗塞の合併症で失明。眼帯のラッパー、ダースレイダーが思考し、試行する、分断を超える作法。

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ダースレイダー ラッパー・トラックメイカー

1977年4⽉11⽇パリで⽣まれ、幼少期をロンドンで過ごす。東京⼤学に⼊学するも、浪⼈の時期に⽬覚めたラップ活動に傾倒し中退。2000年にMICADELICのメンバーとして本格デビューを果たし、注⽬を集める。⾃⾝のMCバトルの⼤会主催や講演の他に、⽇本のヒップホップでは初となるアーティスト主導のインディーズ・レーベルDa.Me.Recordsの設⽴など、若⼿ラッパーの育成にも尽⼒する。2010年6⽉、イベントのMCの間に脳梗塞で倒れ、さらに合併症で左⽬を失明するも、その後は眼帯をトレードマークに復帰。現在はThe Bassonsのボーカルの他、司会業や執筆業と様々な分野で活躍。著書に『『ダースレイダー自伝NO拘束』がある。

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