
現在東京には三度目となる緊急事態宣言が発令されている。昨年のこの時期も最初の緊急事態宣言中で、その時は店を閉めていたが、今回は通常通り店を開けることにした。
店は街のなかにあるから、いくら空気なんか読むなといわれても、街の空気には自然と敏感になる。ゴールデンウィークは店を開けるのですかと何人かのお客さんから聞かれ、いつも通り開けますよと答えると、「あぁ……」と怒るでも喜ぶでもない、なんとも感情の掴めない反応が返ってきた。その諦念を含んだ反応自体が、いまの空気を表しているのだろう。
先日、福岡の義父が亡くなった。日曜日の午後、店番をアルバイトのMくんに任せ、家に帰って原稿を書こうとしたら、スマートフォンに妻からのメッセージが届いた。
いまお父さんが急に倒れ、心肺停止状態になった。
そこにはそのように短く書かれていた。
すぐに店まで戻ったが、そのあともう一度妻に電話がかかってきて、結局意識は戻ることなく、義父はそのまま亡くなってしまった。
十七時頃のことであった。その前日は断続的に雨が降り、予報ではその日も天気はよくなかったはずなのに、それを覆すような澄んだ青空となり、この時間西陽が目に眩しい。こんな日に人は亡くなってしまうのだ。その日はそれからほとんどお客さんは来ず、翌日からすぐ福岡に帰った。
思えば昨年は一度も福岡の実家に帰ることがなかった。正月は飛行機や宿の値段も高く、店も開いているところが少ないので、三月くらいにゆっくり帰ればいいかと話していたら、みるみるうちに状況が変わり、「ただ親に会うためだけに帰る」ということができなくなってしまった。
数年前から義父の体のことは心配をしていたが、こんな急に亡くなってしまうとわかっていれば、無理をしてでも帰っただろう。コロナであろうとなかろうと人は死んでしまうものだから、誰かに伝えたいことがあるのなら、それはそう思ったときに伝えるほうがよい。ほんとうに悔やんでも悔やみきれないことである。
わたしが東京に帰る日のこと。その日はまず区役所に行き、死亡後の手続きを進める予定で車に乗ったが、「先週お父さんと糸島の食堂に行ったけど、満席で入れんやった」というお義母さんの何気ない一言から、じゃあこれから糸島までドライブしましょうと急に目的地が変更になった。ずっと気の張ることが続き、みなパッとしたい気分だったのだろう。その日も何日目かの晴れで、海が近づくにつれ少しずつ気持ちが解放されていくのがわかった。
「ちょっとそのダッシュボード開けてみて」
妻の言う通りダッシュボードを開けると、そこにはディスカウントストアで買ったのか、高倉健とフランク永井のベスト盤CDが入っていた。そのチョイスが何だかお義父さんらしくて笑ってしまったが、このCDはもう誰からも再生されることがないのだろうと思ったら、急に淋しさがこみあげてきた。
ハンドルを握る主はもういなかったが、車は数日のあいだ、いい大人になった子どもたちから乗り回され、大活躍していたのはよかった。
今回のおすすめ本
『チャリング・クロス街 84番地 増補版』へレーン・ハンフ 江藤淳訳 中公文庫
この小さな物語が長年愛されてきたのは、物の売り買いにはとどまらない、人間味にあふれた交流があったからである。それは単なる「いい話」ではなく、本を売るという商売の原点を教えてくれる。
◯連載「本屋の時間」は単行本でもお楽しみいただけます
連載「本屋の時間」に大きく手を加え、再構成したエッセイ集『小さな声、光る棚 新刊書店Titleの日常』は、引き続き絶賛発売中。店が開店して5年のあいだ、その場に立ち会い考えた定点観測的エッセイ。お求めは全国の書店にて。Title WEBS
◯2025年6月6日(金)~ 2025年6月24日(火)Title2階ギャラリー
きみまでのおさらい
井上奈奈『うさぎまでのおさらい』刊行記念展
2018年ドイツにて開催された「世界で最も美しい本コンクール」にて銀賞を受賞し、話題となった絵本『くままでのおさらい』。そのスピンオフ作品として制作された『うさぎまでのおさらい』が、このたび装いもあらたにビーナイスより刊行になります。今回の作品展では、この『うさぎまでのおさらい』『くままでのおさらい』とともに、2024年に刊行になったエッセイ集『絵本を建てる』の作品も展示します。
◯2025年6月28日(土)~ 2025年7月14日(月)Title2階ギャラリー
Titleからほど近い阿佐ヶ谷にあった、大正末期に建てられた文化住宅・旧近藤邸。そのたたずまいは宮﨑駿監督の著書『トトロの住む家』のなかでも取り上げられました。緑に包まれ、静かに時を刻んできたこの家の在りし日の姿を活写したのが、このたび刊行された公文健太郎さんの写真集『バラの花咲く家』(平凡社)です。旧近藤邸は残念ながら2009年に不審火で焼失してしまいましたが、美しい写真プリントで、多くのひとに愛されたその姿があざやかに蘇ります。
【店主・辻山による連載<日本の「地の塩」を巡る旅>が単行本になりました】
スタジオジブリの小冊子『熱風』(毎月10日頃発売)にて連載していた「日本の「地の塩」をめぐる旅」が待望の書籍化。 辻山良雄が日本各地の少し偏屈、でも愛すべき本屋を訪ね、生き方や仕事に対する考え方を訊いた、発見いっぱいの旅の記録。生きかたに仕事に迷える人、必読です。
『しぶとい十人の本屋 生きる手ごたえのある仕事をする』
著:辻山良雄 装丁:寄藤文平+垣内晴 出版社:朝日出版社
発売日:2024年6月4日 四六判ソフトカバー/360ページ
版元サイト /Titleサイト
◯【寄稿】NEW!!
店は残っていた 辻山良雄
webちくま「本は本屋にある リレーエッセイ」(2025年6月6日更新)
◯【お知らせ】
「はたらき」を回復する /〈わたし〉になるための読書(5)
「MySCUE(マイスキュー)」
シニアケアの情報サイト「MySCUE(マイスキュー)」でスタートした店主・辻山の新連載・第5回。人の流動性が高まる春、さまざまな仕事とその周辺についての3冊をご紹介します。
NHKラジオ第1で放送中の「ラジオ深夜便」にて本を紹介しています。
偶数月の第四土曜日、23時8分頃から約2時間、店主・辻山が出演しています。コーナータイトルは「本の国から」。ミニコーナーが二つとおすすめ新刊4冊。1週間の聴き逃し配信もございますので、ぜひお聞きくださいませ。
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本屋の時間

東京・荻窪にある新刊書店「Title(タイトル)」店主の日々。好きな本のこと、本屋について、お店で起こった様々な出来事などを綴ります。「本屋」という、国境も時空も自由に超えられるものたちが集まる空間から見えるものとは。