
一日の営業が終わり店内に目をやると、棚の本がところどころ倒れ、平積みにしていた本が売れてなくなっていた。それはその日一日忙しかったことを表しているが、その穴のあいた平積みを見ていると、なつかしいHさんの声に、不意に怒られたような気がした。
おれたちは、棚を売っているわけじゃないんだからな。
Hさん(以下Hとする)はわたしが以前勤めていた書店の、上司だった人だ。当時わたしは20代後半で、Hはおそらく30代半ば。わたしは就職活動のとき、Hが書いた書店の仕事についての文章を読み、就職先を決めたから、彼といっしょに働くことには何か運命的なものを感じていた。
Hは仕事に関して口うるさく、とにかくこちらのことをよく見ているので、いつも気が抜けなかった。一度商品整理をしていたとき、あきれられたことがある。
「つーさん。商品整理というのはね、見た目をただきれいにすることじゃないんだぜ」
Hは商品整理をやらせてみると、その人の仕事に対する理解度がわかるという。しかし彼は、それ以上のことは言わなかったので、わたしは自分の不甲斐なさを呪い、苦笑いで返すしかなかった(どこが駄目なんですかとは聞けない雰囲気があった)。
働く店が変わっても、Hからは毎日のように、夜の遅い時間メールが来た(電話も頻繁にあり、彼が店長をしていた店の人からは、つきあってるの? と言われたことがある)。メールには仕事に関する話もあったが、会社に対する批判も多く、口先だけの嫌な上司は、もれなくあだ名がつけられていた。
わたしは自分を気にかけてくれるHに感謝しつつも、彼の過剰な性格を心配していたのだが、ある日Hは、突然会社を辞めてしまった。
ま、つーさんは大丈夫だよ。それより問題なのは〇〇だな。
Hは誰よりも口数が多く、好きな人には煙たがられるくらい話かけたものだが、会社を辞めたあとは人に背を向けるように、誰とも連絡を取らなくなった。Hさんどうしてるのと多くの人に尋ねられたが、わたしは何も答えることができなかった。考えてみれば自分のことは何も話さない人で、彼について知っていることは、毎年命日になると、亡くなった奥さんの墓参りに行くことくらいだった。
Hが辞めたあとは仕事の相談をする人もいなくなり、わたしはひとりで、自分の仕事のやり方を見つけていくしかなかった。
閉店後、散らかった本を戻していると、次第に気持ちが落ち着いてきて、その日にあった嫌なことも忘れられる。
ああ、こんな本だったんだ。
朝は開店の時間に追われ、その日入ってきた本をじっくりと眺めることはできないので、この時間に気がつくことはことのほか多い。その本が息をしやすいように、少しずつ本を動かし、並びを調整していく……。
本をさわり商品整理をすることは、この仕事の基本である。それは何より、嘘をつかない。
今回のおすすめ本
本のことは、本をよく知る人に訊くとよい。おどかさず、でも毅然として綴られた書評集。読むとしんとした気持ちになる。
◯連載「本屋の時間」は単行本でもお楽しみいただけます
連載「本屋の時間」に大きく手を加え、再構成したエッセイ集『小さな声、光る棚 新刊書店Titleの日常』は、引き続き絶賛発売中。店が開店して5年のあいだ、その場に立ち会い考えた定点観測的エッセイ。お求めは全国の書店にて。Title WEBS
◯2025年5月17日(土)~ 2025年6月2日(月)Title2階ギャラリー
春風亭一之輔・得地直美『こっせつくん』出版記念、得地直美原画展
春風亭一之輔さんと得地直美さんがタッグを組んだ絵本、『こっせつくん』がテキサスブックセラーズから刊行されます。イラストレーターの得地さんにとっては、初のカラー絵本。出版を記念してTitleのギャラリーにて、絵本の原画やテストピースなどを展示いたします。
『こっせつくん』は、この原画展がどこよりも早い先行販売。春風亭一之輔さんと得地直美さん、お二人のサインが入った本もご用意します(サイン本販売はご用意した本がなくなり次第終了)。
◯2025年6月6日(金)~ 2025年6月24日(火)Title2階ギャラリー
きみまでのおさらい
井上奈奈『うさぎまでのおさらい』刊行記念展
2018年ドイツにて開催された「世界で最も美しい本コンクール」にて銀賞を受賞し、話題となった絵本『くままでのおさらい』。そのスピンオフ作品として制作された『うさぎまでのおさらい』が、このたび装いもあらたにビーナイスより刊行になります。今回の作品展では、この『うさぎまでのおさらい』『くままでのおさらい』とともに、2024年に刊行になったエッセイ集『絵本を建てる』の作品も展示します。
【店主・辻山による連載<日本の「地の塩」を巡る旅>が単行本になりました】
スタジオジブリの小冊子『熱風』(毎月10日頃発売)にて連載していた「日本の「地の塩」をめぐる旅」が待望の書籍化。 辻山良雄が日本各地の少し偏屈、でも愛すべき本屋を訪ね、生き方や仕事に対する考え方を訊いた、発見いっぱいの旅の記録。生きかたに仕事に迷える人、必読です。
『しぶとい十人の本屋 生きる手ごたえのある仕事をする』
著:辻山良雄 装丁:寄藤文平+垣内晴 出版社:朝日出版社
発売日:2024年6月4日 四六判ソフトカバー/360ページ
版元サイト /Titleサイト
◯【書評】
『生きるための読書』津野海太郎(新潮社)ーーー現役編集者としての嗅覚[評]辻山良雄
(新潮社Web)
◯【お知らせ】NEW!!
「はたらき」を回復する /〈わたし〉になるための読書(5)
「MySCUE(マイスキュー)」
シニアケアの情報サイト「MySCUE(マイスキュー)」でスタートした店主・辻山の新連載・第5回。人の流動性が高まる春、さまざまな仕事とその周辺についての3冊をご紹介します。
NHKラジオ第1で放送中の「ラジオ深夜便」にて本を紹介しています。
偶数月の第四土曜日、23時8分頃から約2時間、店主・辻山が出演しています。コーナータイトルは「本の国から」。ミニコーナーが二つとおすすめ新刊4冊。1週間の聴き逃し配信もございますので、ぜひお聞きくださいませ。
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本屋の時間

東京・荻窪にある新刊書店「Title(タイトル)」店主の日々。好きな本のこと、本屋について、お店で起こった様々な出来事などを綴ります。「本屋」という、国境も時空も自由に超えられるものたちが集まる空間から見えるものとは。