
アメリカの大統領選挙では、ジョー・バイデン候補の当選がほぼ確実になった。この選挙戦にはよほどみな注目していたのか、店にきた友人とこの話題をすることも多く、お客さん同士の会話でも何回か耳にした。
自国のことではないからだろうか、日本で行われる選挙のときよりも、政治の話が気軽に語られていたように思う。そういえば店にくるKさんは、若いころイタリアに赴任していたことがあり、本人がいうところの「老人会」の帰り、時たま誰かと連れ立って、カフェで政治談議をする。
店でおじいさん同士が連れ立って話をしている光景は珍しいので(おばあさん同士というのはたまに見かける)、Kさんが誰かを連れてきたときには、少しその場の風通しがよくなったように感じていた。しかしある日のこと、上機嫌だった奥の話し声が、少し怒気を孕んだものになってきたと思ったら、Kさんだけ先にカフェから出てきた。
帰ります、お金は彼が払う。
Kさんはそういって店から出ていき、上気した体からは、ワインの匂いがぷんとした。
その場に残された連れのおじいさんは、先ほどまで威勢よく、その大きな体をずっとふるわせながら話していたのだが、一人になると急にしょんぼりして見えた。彼はしばらくカウンターにいて、ワインをちびちび飲んだあと、店内の本棚を少しだけ見た。会計のとき、うるさくしてごめんと言いながら、「これも買う」とはずかしそうに文庫本を一冊持ってきた。その時わたしは、なぜか笑っていたように思う。
投票日の数日後、カマラ・ハリス氏が行ったスピーチには心を動かされた。ステージ上の彼女は知性的で、そのスピーチは強い意志と感情の込められた、傷ついた人を〈癒やすことば〉だったように思う。
最近のツイッターを見ていると、政治的なニュースが起きたときには、すぐに違う意見の人からの揶揄や暴言が入ったりもするが、わたしが見た限りにおいて、このハリス氏のスピーチに、真正面から異論を唱える意見はなかった。それは彼女の言葉に陰湿さがなく、彼女の人間性が持ちうる最良の美質が表れていたため、後ろ暗い感情が付け入る隙もなかったのだろう。
同じツイッターでの話だが、最近わたしが書いた本の紹介に、「この本、誠実な言葉には心が本当に慰められることを教えてもらえるんです」と重ねてくださったかたがいた。
それだ。
人は分断され、心ない言葉を投げつけ合うなかで、お互いを損ね合っている。そんなとき心に沁みるのは、人を人として扱ってくれる、真正面から放たれた言葉だろう。
世界はSNSの窓から見た世界よりも広い。店で扱う本は一見地味に見えたとしても、時間をかけ誠実に紡がれた〈ことば〉から選びたいと思っている。
今回のおすすめ本
お互いに向けられた言葉を受けとめ、返すなかで、思考は深まり熱量を帯びる。一本の糸のような緊張感と高なりがある往復書簡。
◯連載「本屋の時間」は単行本でもお楽しみいただけます
連載「本屋の時間」に大きく手を加え、再構成したエッセイ集『小さな声、光る棚 新刊書店Titleの日常』は、引き続き絶賛発売中。店が開店して5年のあいだ、その場に立ち会い考えた定点観測的エッセイ。お求めは全国の書店にて。Title WEBS
◯2025年4月25日(金)~ 2025年5月13日(火)Title2階ギャラリー
「定有堂書店」という物語
奈良敏行『本屋のパンセ』『町の本屋という物語』刊行記念
これはかつて実在した書店の姿を、Titleの2階によみがえらせる企画です。
「定有堂書店」は、奈良敏行さんが鳥取ではじめた、43年続いた町の本屋です。店の棚には奈良さんが一冊ずつ選書した本が、短く添えられたことばとともに並び、そこはさながら本の森。わざと「遅れた」雑誌や本が平積みされ、天井からは絵や短冊がぶら下がる独特な景観でした。何十年も前から「ミニコミ」をつくり、のちには「読む会」と呼ばれた読書会も頻繁に行うなど、いま「独立書店」と呼ばれる新たなスタイルの書店の源流ともいえる店でした。
本展では、「定有堂書店」のベストセラーからTitleがセレクトした本を、奈良敏行さんのことばとともに並べます。在りし日の店の姿を伝える写真や絵、実際に定有堂に架けられていた額など、かつての書店の息吹を伝えるものも展示。定有堂書店でつくられていたミニコミ『音信不通』も、お手に取ってご覧いただけます。
◯2025年4月29日(火) 19時スタート Title1階特設スペース
本を売る、本を読む
〈「定有堂書店」という物語〉開催記念トークイベント
展示〈「定有堂書店」という物語〉開催中の4月29日夜、『本屋のパンセ』『町の本屋という物語』(奈良敏行著、作品社刊)を編集した三砂慶明さんをお招きしたトークイベントを行います。
三砂さんは奈良さんに伴走し、定有堂書店43年の歴史を二冊の本に編みましたが、そこに記された奈良さんの言葉は、いま本屋を営む人たちが読んでも含蓄に富む、汲み尽くせないものです。
イベント当日は奈良さんの言葉を手掛かりに、いま本屋を営むこと、本を読むことについて、三砂さんとTitle店主の辻山が語り合います。ぜひご参加下さいませ。
【店主・辻山による連載<日本の「地の塩」を巡る旅>が単行本になりました】
スタジオジブリの小冊子『熱風』(毎月10日頃発売)にて連載していた「日本の「地の塩」をめぐる旅」が待望の書籍化。 辻山良雄が日本各地の少し偏屈、でも愛すべき本屋を訪ね、生き方や仕事に対する考え方を訊いた、発見いっぱいの旅の記録。生きかたに仕事に迷える人、必読です。
『しぶとい十人の本屋 生きる手ごたえのある仕事をする』
著:辻山良雄 装丁:寄藤文平+垣内晴 出版社:朝日出版社
発売日:2024年6月4日 四六判ソフトカバー/360ページ
版元サイト /Titleサイト
◯【書評】
『生きるための読書』津野海太郎(新潮社)ーーー現役編集者としての嗅覚[評]辻山良雄
(新潮社Web)
◯【お知らせ】
メメント・モリ(死を想え) /〈わたし〉になるための読書(4)
「MySCUE(マイスキュー)」
シニアケアの情報サイト「MySCUE(マイスキュー)」でスタートした店主・辻山の新連載・第4回。老いや死生観が根底のテーマにある書籍を3冊紹介しています。
NHKラジオ第1で放送中の「ラジオ深夜便」にて本を紹介しています。
偶数月の第四土曜日、23時8分頃から約2時間、店主・辻山が出演しています。コーナータイトルは「本の国から」。ミニコーナーが二つとおすすめ新刊4冊。1週間の聴き逃し配信もございますので、ぜひお聞きくださいませ。
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本屋の時間

東京・荻窪にある新刊書店「Title(タイトル)」店主の日々。好きな本のこと、本屋について、お店で起こった様々な出来事などを綴ります。「本屋」という、国境も時空も自由に超えられるものたちが集まる空間から見えるものとは。