
はずんだ声が、急な階段を伝って降りてくる。お元気ですか。どうしてましたか?
それは普段から交わされていた会話なのかもしれないが、その時はより感慨を含んだ響きのように聞こえた。
よくぞご無事で……。
七月から、二階にあるギャラリー展示を再開した。店の休業に伴い開催が延びていた中山信一さんの企画からはじまり、八月には同じく延期となっていた、石山さやかさんの展示を行った。
感染者の数が収まらず難しい時期だったと思うが、期間中はお二人とも、感染防止に配慮しつつもできるだけ会場にきて在廊してくださった。
多くの人と話すことができてほっとしました。
ある日の閉店後、中山さんはそのように言い笑ってくれた。この時期、実際に作家と話して観た作品は、来場した人にとっても、特別な体験となって染みついたことだろう。
触れることのできる距離で誰かと会い、ことばを交わすことは、人間が抱える根本的な欲求なのだと思う。わたしはこの何か月かのあいだ、幾つかの取材をオンラインで受けたが、これはほんとうに伝わっているのだろうかと思うことがしばしばあった。
話している声の微妙な震え、一瞬顔に浮かんだよろこびの表情。わたしたちはそうした全身を使った〈交感〉を、普段から意識せずとも行っている。
しかし画面越しの会話では、話の意味は伝えられたとしても、身体のどこかに思わず現れてしまった感情は、まだそこに取り残されたままだ。その無意識にこぼれてしまったものこそが、これまで会話に命を吹き込んでいたというのに……。
一度Zoomを使って取材をしてくれた人が、後日改めて店に来たことがあった。長居をしてはZoomの取材にした意味がなくなると、その時は簡単に挨拶だけして帰っていったが、あの人は〈身体〉を求めにやってきたのかもしれないなと、あとから腑に落ちた。
コロナ禍により人と会うことが制限され、他人の身体が疎ましいものとなってしまったいま、わたしたちは相反する感情に引き裂かれている。
会いたいけど、会いたくはない。
実家への帰省、友だちとの会食、イベントへの参加……。これまで深く考えずに行っていたことは、一つ一つその意味がはかりにかけられ、決断を迫られる。
しかしどれだけ情報技術が進んでも、わたしたちは相変わらずこの身体にしばられている。誰かに会いたいのは、身体がそれを切実に求めているからだ。
人間の本分は、はたして抑えられたまま、いることができるのだろうか。それはわからないが、わたしたちはその裂け目の上を歩いていかなければならない。
今回のおすすめ本
『目の見えない私がヘレン・ケラーにつづる怒りと愛をこめた一方的な手紙』ジョージナ・クリーグ 中山ゆかり訳 フィルムアート社
自身盲人である著者は、幼いころからその名前を引き合いに出され、自らの行為を正されるなど、ヘレンに対して複雑な感情を抱いていた。しかしジョージナは、ヘレンに親しく遠慮のない「手紙」を送ることで、偉人として括弧にいれられたヘレンの〈個〉を回復させる……。真の他者理解へと近づく、「創造的な」ノンフィクション。
◯連載「本屋の時間」は単行本でもお楽しみいただけます
連載「本屋の時間」に大きく手を加え、再構成したエッセイ集『小さな声、光る棚 新刊書店Titleの日常』は、引き続き絶賛発売中。店が開店して5年のあいだ、その場に立ち会い考えた定点観測的エッセイ。お求めは全国の書店にて。Title WEBS
◯2025年8月9日(土)~ 2025年8月26日(火)Title2階ギャラリー
岡野大嗣と佐内正史の写真歌集『あなたに犬がそばにいた夏』(ナナロク社刊)の刊行記念展。佐内正史の手焼き写真5点の展示販売、岡野大嗣の短歌と書き下ろし作品などなど、本書に描かれる夏の日が会場にひろがります。短歌×写真のTシャツ「TANKA TANG」ほか刊行記念グッズの販売もございます。ぜひ足をお運びください。
【店主・辻山による連載<日本の「地の塩」を巡る旅>が単行本になりました】
スタジオジブリの小冊子『熱風』(毎月10日頃発売)にて連載していた「日本の「地の塩」をめぐる旅」が待望の書籍化。 辻山良雄が日本各地の少し偏屈、でも愛すべき本屋を訪ね、生き方や仕事に対する考え方を訊いた、発見いっぱいの旅の記録。生きかたに仕事に迷える人、必読です。
『しぶとい十人の本屋 生きる手ごたえのある仕事をする』
著:辻山良雄 装丁:寄藤文平+垣内晴 出版社:朝日出版社
発売日:2024年6月4日 四六判ソフトカバー/360ページ
版元サイト /Titleサイト
◯【寄稿】
店は残っていた 辻山良雄
webちくま「本は本屋にある リレーエッセイ」(2025年6月6日更新)
◯【お知らせ】
〈いま〉を〈いま〉のまま生きる /〈わたし〉になるための読書(6)
「MySCUE(マイスキュー)」 辻山良雄
今回は〈いま〉をキーワードにした2冊。〈意志〉の不確実性や〈利他〉の成り立ちに分け入る本、そして〈ケア〉についての概念を揺るがす挑戦的かつ寛容な本をご紹介します。
NHKラジオ第1で放送中の「ラジオ深夜便」にて本を紹介しています。
偶数月の第四土曜日、23時8分頃から約2時間、店主・辻山が出演しています。コーナータイトルは「本の国から」。ミニコーナーが二つとおすすめ新刊4冊。1週間の聴き逃し配信もございますので、ぜひお聞きくださいませ。
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本屋の時間

東京・荻窪にある新刊書店「Title(タイトル)」店主の日々。好きな本のこと、本屋について、お店で起こった様々な出来事などを綴ります。「本屋」という、国境も時空も自由に超えられるものたちが集まる空間から見えるものとは。