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礼はいらないよ

2020.07.03 更新 ツイート

『女帝 小池百合子』を読んで思い出す、「僕も袴でピラミッドを登ったかもしれない」記憶ダースレイダー

小池百合子氏のカイロ大学卒業を巡る疑惑。石井妙子氏による傑作ノンフィクション『女帝 小池百合子』では、当時の同居女性の証言をベースに丁寧な取材がなされていた。たびたび遡上に上ってきた疑惑は当然、2020年の都知事選公示前にも取り上げられた。そして、このタイミングでカイロ大学がエジプト大使館を通じて小池氏の卒業をあらためて認めた。

 

大学が一人の”卒業”を40年後にあらためて確認するのも驚きだが、小池氏はもっとも注目が集まる出馬会見ではなく、その後に行われた政策発表の場で卒業証明書を披露し、メディアの検証を許可した。ここで提示された証明書に使われていた写真の顔と肩幅の比率、裏面のインクのにじみなど…まだまだざわつきは収まらないのだが、単純に展開としては大変面白いなと思ってしまう。

小池氏はアラビア語が堪能だとされるが、これも言い方次第だ。僕は10歳までロンドンの学校に通っていたので英語のレベルは10歳児だ。ただ、個人差はあれど、日本で育った10歳の子供が日本語を使うレベルだとも言える。つまり外見上はペラペラだ。日常生活には全く問題がない。英語が解らない人からすれば凄いね! となるが、例えばケンブリッジ大学の学生とまともな会話は出来ないだろう。エジプトから帰国後、小池氏は首席卒業! と言っていたがこれは嬉しくてつい言ってしまったものらしい。卒業証明書では中程度のものだった。小さな齟齬、小さな拡大解釈。こうしたものは付き物だろう。ところがこれが積み重なると…それこそピラミッドが出来上がってしまう。

僕は家族でエジプト旅行に行ったことがある。ロンドンに住んでいた頃の夏休み。いや、春休みか? 85年? 86年? すでに記憶は曖昧だ。両親もすでに他界している。当時撮影した写真は古いアルバムを漁れば出てくるかもしれない。そこに日付が印字されているかもしれない。弟に聞けばわかるかもしれない。でも、そうしないで記憶だけを辿って書いてみたい。

(写真:iStock.com/Anton Aleksenko)

エジプトは暑かった。そりゃあ夏休みだから…いや春でも? とにかく乾燥していたし、太陽はずっと照り付けてくる。空はひたすらに青く、茶色い建物と砂が一体化した風景がひたすらに広がって…いたと思う。

エジプトと言えばコシャリという料理が有名だ。これは食べたはずだ。美味しかったはず。不思議なもので子供の頃食べた様々なものでちゃんと記憶しているのはマズかったものばかりだ。エアロフロートの機内食で出てきたミートパイのようなもの。あれは口に含んだ瞬間に違和感を感じて吐き出した。隣で弟も同じ反応をしていて、なんだこれ! とお互いに顔を見合わせた。あるいはコーンウォールのパブで食べたバナナカレー。ジャマイカの焼きバナナから間違った着想を得たのか? グニュグニュのバナナがとにかく口に合わなかった。こうしたマズい記憶がないということは美味しかったのだと思う。そう思うことにする。

ギゼのピラミッドを観に行こうとツアーに参加した。この時、僕は初めてラクダに乗ったのだ。いや、ロバだったか? ラクダは子供には背が高すぎて危ないと言われてロバになった気もする。でもラクダの方がカッコイイし、エジプトっぽい。だからラクダに乗ったのだろう。今の僕にラクダとロバを選ばせたなら当然ラクダ一択だ。だから当時もそうだったに違いない。ラクダに乗って引かれながら砂漠を歩いたのだ。そのシルエットは隊商みたいで砂漠に僕らの長い影が伸びていた…気がする。ギゼのピラミッドと有名なスフィンクス像は圧巻だった。鼻が落ちているスフィンクス像を見上げて、謎々をかけられている様子を夢想した…いや、実際にスフィンクスに謎かけをされた気がしてきた。4本足、2本足、3本足になっていくものな~んだ? そう、それに僕は確かに答えている。それは人間だ! と。

当時、ピラミッドの横穴が発見されたばかりで、四角い入口からピラミッドの中を案内された…記憶は確かにある。真っ暗な四角い穴に入り込み、奥には王の棺が安置されている部屋があった。この巨大な石造建築はいかにして作られたのか? をガイドの人が滔々と語っていた、はずだ。そしてピラミッドを登ったのだ。頂上を目指して。一歩一歩登っていく僕が当時何を着ていたか? 弟とお揃いの水色のタンクトップだったような気もするば…袴だった可能性もある。写真は残っていないが、頭を巡らせると袴を着た僕が確かにピラミッドを登っていた。鮮明な記憶だ。間違いない。

ルクソールの王家の谷に行った。そこで僕は両親とはぐれてしまい、気づいたら別の観光客のツアーの最後尾を歩いていた。日本人もいたのでガイドは僕が紛れ込んでいるのに気づかなかったのだろう。ガイドはしわくちゃのお爺さんだった。建ち並ぶ巨大な像、ツタンカーメンの墓を案内するツアーに僕はただのりしていた。一通り回ったあとでオープンテラスのあるカフェのような所で軽食タイムになった。ツアー参加者に次々と食事と飲み物が運ばれてくる。お爺さんガイドは僕のところに来て「君は何を飲みたい?」と聞いたので僕は親か禁じられていたコーラを頼んだ。キンキンに冷えた瓶のコーラは運ばれてきてプシュっと開けて飲んだその最初の一口の美味しさは、一生忘れないであろう。喉をさわやかなエネルギーが通り抜けていったのだ。その後、僕を探していた家族がカフェに辿り着き、僕は悪びれずにこの人たちと一緒に観てたんだよ! と伝えた。

家で僕はニュースを観ていた。ルクソールの王家の谷でテロ事件があり、多くの死傷者が出ていた。大変衝撃的な映像を観ながら僕は「なんてことだ…ついこないだ、僕はあそこに居たんだ。ちょっとずれていたらこの事件に巻き込まれていたかもしれない!」。僕は大学の同級生たちに興奮気味に話していた。あそこに僕は居たのだ! 間一髪難を逃れたんだと。ルクソール事件は1997年だ。果たして僕はピラミッドを袴で登ったのだろうか?

 

記憶は改ざんされる。美しかった記憶はより美化され、酷かった記憶はよる酷烈なものに書き換えられる。微細な出来事も含めた時間は圧縮されて記憶として記録される。そうして、それが自分の物語として、自分も取り込まれ語られていく。これは人間の性のようなものであり、人は物語を生きる生き物でもある。だからこそ、公人の語る記憶をメディアはチェックしなければいけない。記憶が記録と共に遥か昔の砂の中に飲み込まれてしまう前に。

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礼はいらないよ

You are welcome.礼はいらないよ。この寛容さこそ、今求められる精神だ。パリ生まれ、東大中退、脳梗塞の合併症で失明。眼帯のラッパー、ダースレイダーが思考し、試行する、分断を超える作法。

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ダースレイダー ラッパー・トラックメイカー

1977年4⽉11⽇パリで⽣まれ、幼少期をロンドンで過ごす。東京⼤学に⼊学するも、浪⼈の時期に⽬覚めたラップ活動に傾倒し中退。2000年にMICADELICのメンバーとして本格デビューを果たし、注⽬を集める。⾃⾝のMCバトルの⼤会主催や講演の他に、⽇本のヒップホップでは初となるアーティスト主導のインディーズ・レーベルDa.Me.Recordsの設⽴など、若⼿ラッパーの育成にも尽⼒する。2010年6⽉、イベントのMCの間に脳梗塞で倒れ、さらに合併症で左⽬を失明するも、その後は眼帯をトレードマークに復帰。現在はThe Bassonsのボーカルの他、司会業や執筆業と様々な分野で活躍。著書に『『ダースレイダー自伝NO拘束』がある。

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