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礼はいらないよ

2020.08.07 更新 ツイート

“わかる”に守られてきた私たちは、“わからない”をわからなすぎる ダースレイダー

コロナ禍、みんなが”わかる”を求めている。

治療法! ワクチンが! 地理的に……! ロックダウンの効果が! マスクって必要なのか? 画期的な論文が! 

そのたびに僕たちは一喜一憂する。

インフルエンザと比べたら? 交通事故と比べたら? なんとなく分かった気になる。だが、違ってもいる。違うから違う名前もついている。でも、死者数などの同じ部分を観ることで”わかった”と思いたがる。

疫学の専門家、内科医、ウィルス学の専門家、大学教授、薬学の専門家、スウェーデンの、アメリカの……様々な立場の人の”わかった”が提供される。これはそれぞれの専門的分野から見たときの正解であったり、知見だったりもするのでちゃんと正しいが、しかし、同時にその視座からの正解に過ぎない。

 

僕らを安心させる情報もあれば、不安にさせる情報もある。一定程度正しいものから、まったくのデタラメまで……でも、とにかく”わかる”を求め続けてしまう。

現状、実は”わからない”のが正しい。そして、僕たちの社会はあまりにも”わからない”に対して脆弱だったのだ。

僕は2010年に脳梗塞になっている。脳梗塞になるなんてわからなかった。そして、それまでの健康診断のデータも無いため原因は未だにわからない。左目に視野欠損が起こったが、どの視神経が損傷しているのか? も今の医学ではわからない。おかげで、僕は少しだけ”わからない”との付き合いを出来ている。

でも、いずれはわかるでしょう? 新型コロナも全て解明されるでしょう? 確かに……そう期待している自分はいる。自分の脳のことも目のことも。いずれはわかるだろう、と。そんなの当たり前だ、人類はそうして”わかる”の領域を広げてきたのだがら。でも、いつからだろうか?

人類が狩猟採集で暮らしていた時代にどれだけ”わかる”必要があっただろうか? もちろん、どこに行けばどんな獲物がいて、どんな木の実がなっているか? は知っていただろう。

でも、これはわかるという欲求だったのだろうか? ただ、そこに在る。そこに次々と世界が立ち現れるような事だったのではないか?

人類が定住し、年間スケジュールに基づいて穀物を育て、家畜を飼い、財産を得ることでそれを守り、継承するために法が出来ていく。この時になって初めて”わかる”必要が出てきたのではないか? 法律で社会がどう運営されるかわかるようにする。財産がどう分配されるかわかるように。来年の祭事の時期がわかるように。文字の発明も行政文書の出現も、社会に属するひとたちがわかるように。

そして、同時に”わからない”の窓口として神が作られる。一神教ではその窓口が一つになり、やがてはニーチェによって殺される。だいたいわかったから、であろう。

近代化とは”わかる”領域の拡大、そして”わからない”存在の消失。それでも、僕の脳梗塞の事例のようなわからないものは残っている。残ってはいるが迫害され、相手にされない。

僕たちは”わからない”と向き合う必要がない、と思い込んでいた。様々な感染症は世界から、つまり社会の外からやってくる。北極の氷、アマゾンの森林から。”わかる”社会の外からやってくる存在だ。”わかる”に守られてきた人類は、”わからない”に対する構えが”わからない”。あまりにも脆弱だ。

2年前、雨季のプーケットに家族旅行で行った。

なぜ雨季に? 実は大した理由はなく、ただ料金が安かったから、くらいの甘ったるい認識だった。娘二人にも水着を用意してバンコク経由でプーケット空港へ。ツアーガイドさんが迎えに来てくれてホテルに向かう車中ではじめて「今のプーケットは雨季ですね。毎日雨がすごく降ります。海も荒れるのでほとんど泳げませんが屋内にも楽しい場所はたくさんありますよ」。

え……。僕が、うわ~という顔をしている横で妻は呆れている。なんで調べてないの? という視線だ。その時の車の外も当然雨だった。娘たちは良く分かってないので楽しみだね! とはしゃいでいたが、僕は空を見ながら少し暗い気持ちになっていた。

ところが……翌日起きたら快晴だった。雲一つないとはこの事で太陽がこれでもか! と照り付けている。朝、ガイドさんに聞くと大変珍しいけど晴れたから海に行けますよ! と言ってくれた。すぐにピピ島に行く手配をして高速ボートで向かう。同じボートに乗り合わせた大学生の女の子二人組に娘たちが懐き、島でもずっと遊んでくれた。海の中を色鮮やかな魚たちが泳ぎ、浮き輪で浮かぶ次女が興奮している。島から戻ったら象に乗って遊んだ。子供たちも大喜びだ。
 

(写真:iStock.com/Dmitrii Guldin)

翌日も晴れた。ホテルはプール付き。朝ごはんを食べてからプールでも遊ぶ。ところが昼過ぎから雨がポツポツと降り始めた。ショッピングモールで買い物したりして過ごす。雨はしとしと降っている感じだった。大通りはそれでも人で賑わって屋台も並んでいた。

ところが……三日目。朝起きてホテルから外に出ようとして驚いた。雨はバケツをひっくり返したような豪雨。そしてホテルの前の道は川のようになっていた。コンビニに行こうとしたが次女は胸まで水に浸かってしまい、流されそうになったので危ないから引き上げた。そこで僕と長女だけで元々買う予定だったショッピングモールの土産物だけ買いに行くことにした。

(写真:iStock.com/tbradford)

大通りは荒れ狂う川の様相を呈していて、大きい魚が跳ねたりしている。地元に人たちはたくましいもので、カブって水陸両用だったのか? と驚きながら、水の中をカブで走る人たちを見た。それぞれの店の軒先にはボートが出され、商品を水没から守っている。 

昨日歩いた大通りは完全に姿を変えていた。腰まで水に浸かりながら長女と歩いていて思わず笑ってしまう。圧倒的じゃあないか……。

現地の人たちはある程度は”わかって”いるが、同時に”わからない”を知っていた。雨季の真ん中に快晴があり、その後はスコールだ。でも、それが世界であり、”わかる”範囲の社会など、実は一たまりもない。世界の中で過ごすということは”わからない”と向き合い、付き合うことだ。

感染症も、豪雨も世界からの訪れである。僕らはなんとか”わかる”を広げて安定させて安心しようと頑張っているが……世界はなにがどうなるかなんてわからない。コロナは夜型でもなければ県境や国境を気にすることもない。僕らが”わからない”世界の中に作った小さな”わかる”浮島みたいなものは、あの日のプーケットのように一瞬にして”わからない”に飲み込まれる。世界にとってはそれが当たり前。

僕たちはもう少し”わからない”に対して開かれなければいけないと思う。

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礼はいらないよ

You are welcome.礼はいらないよ。この寛容さこそ、今求められる精神だ。パリ生まれ、東大中退、脳梗塞の合併症で失明。眼帯のラッパー、ダースレイダーが思考し、試行する、分断を超える作法。

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ダースレイダー ラッパー・トラックメイカー

1977年4⽉11⽇パリで⽣まれ、幼少期をロンドンで過ごす。東京⼤学に⼊学するも、浪⼈の時期に⽬覚めたラップ活動に傾倒し中退。2000年にMICADELICのメンバーとして本格デビューを果たし、注⽬を集める。⾃⾝のMCバトルの⼤会主催や講演の他に、⽇本のヒップホップでは初となるアーティスト主導のインディーズ・レーベルDa.Me.Recordsの設⽴など、若⼿ラッパーの育成にも尽⼒する。2010年6⽉、イベントのMCの間に脳梗塞で倒れ、さらに合併症で左⽬を失明するも、その後は眼帯をトレードマークに復帰。現在はThe Bassonsのボーカルの他、司会業や執筆業と様々な分野で活躍。著書に『『ダースレイダー自伝NO拘束』がある。

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