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本屋の時間

2020.06.15 公開 ツイート

第88回

給水タンクの午後 辻山良雄

いまではそんなことはなくなったが、一時期街を歩きマンションやビルが見えると、つい屋上のほうを見上げてしまう癖があった。人からは不思議がられたが、わたしはそこに給水タンクの姿を探していたのだ。

 

学生時代の最後の年、卒業まではまだ時間があったので、暇な日は下落合にある内外学生センター(「ガクト」と呼ばれていた)まで行って日雇いのアルバイトを探した。そこに張り出されている仕事の多くはビルの解体や引っ越しの補助など肉体労働だったが、たまに変わったアルバイトもあって、給水タンクの掃除はそこで見つけた。マンションなどの屋上に設置されている給水タンクの水を抜き(完全に抜け切るまで時間がかかる)、中に潜りこみブラシでくまなく掃除をして、終わったらまた水を溜める。この世にそんな仕事が存在すると思わなかったが需要はあるようで、仕事のある日は午前中にひとつ、午後にひとつ、タンクの内部を洗った。仕事が終了したら時間に関わらずそこで終わりという気楽さもよく、何回か続けたらガクトを通さず直接会社から連絡がくるようになった。

その会社は吉祥寺にあったので、仕事ではそこから南の京王線や小田急沿線の街に行くことが多く、それらの住宅地はわたしが当時住んでいた街よりもずいぶん明るく見えた。タンクの蓋を開け外に出たあとの空は広く、知らない街の、家々の屋根がどこまでも広がっている景色を眺めることは気分がよかった。

ある日いつものようにタンクの中を掃除して、道具を担ぎ車に運ぼうとすると、非常階段に向かう入口の脇に人影があった。ふと視線をそちらにやると、中年の男女が一つになって、静かに抱き合っている姿があった。

うわぁ。

大声を出す気はなかったのだが、そんなところに人がいるとは思っていなくて、つい声が出てしまった。二人はそのまま身動きもせず、女性のしわのある手が男の大きな背中をしっかりとつかんでいた。

すみません。あわてて非常階段を降り駐車場までいって、先に車のところにいた仕事の責任者(仮にKさんとしておく)に道具を渡した。Kさんはまだ若く社員ではなかったが仕事は任されているようで、時たま一緒になった。自分から何かを話すタイプの人ではなかったが仕事は丁寧で無駄がなく、わたしはこの人と組むことが好きだった。

そういえばさっき……。車に乗ってしばらくしてから、運転するKさんに先ほど見かけた男女の話をした。彼は黙って聞いていたが、そんな人は見なかったといった。

ふーん。でも誰かいたら気がつきそうなもんだけどな。屋上ではたまに人と会うけどあれにはいつも驚くな。

それから彼は自分が見たという、邪魔だからとどれだけいっても決して給水タンクのそばを離れようとしないおばあさんの話をした。「刑事ドラマなんかでよく犯人が屋上に追いつめられるだろ。タンクの周りってなんかそういう場所なんだよな」。

わたしが見かけたと思った中年の男女もまた、何かから追いつめられていたのだろうか。いまとなっては知りようもないが、そのざらりとした切迫感は、いまでもすぐに思い出される。

 

インターネットで調べると、水質や維持管理の問題から、いまでは給水タンクが新しく作られることはほとんどなく、かろうじて古いマンションにのみその姿をとどめているという。

 

今回のおすすめ本

『エレンの日記』エレン・フライス 林央子訳 アダチプレス

世界各地への旅や気のおけない友人との交流からエレンは刺激を受け歩みつづける。凛とした文章と写真で記録された、インディペンデントファッション誌編集長の日々。

 

◯連載「本屋の時間」は単行本でもお楽しみいただけます

連載「本屋の時間」に大きく手を加え、再構成したエッセイ集『小さな声、光る棚 新刊書店Titleの日常』は、引き続き絶賛発売中。店が開店して5年のあいだ、その場に立ち会い考えた定点観測的エッセイ。お求めは全国の書店にて。Title WEBSHOPでもどうぞ。

齋藤陽道『齋藤陽道と歩く。荻窪Titleの三日間』

辻山良雄さんの著書『小さな声、光る棚 新刊書店Titleの日常』のために、写真家・齋藤陽道さんが三日間にわたり撮り下ろした“荻窪写真”。本書に掲載しきれなかった未収録作品510枚が今回、待望の写真集になりました。

 

○2024年4月12日(金)~ 2024年5月6日(月)Title2階ギャラリー

『彼女たちの戦争 嵐の中のささやきよ!』小林エリカ原画展

科学者、詩人、活動家、作家、スパイ、彫刻家etc.「歴史上」おおく不当に不遇であった彼女たちの横顔(プロフィール)を拾い上げ、未来へとつないでいく、やさしくたけだけしい闘いの記録、『彼女たちの戦争 嵐の中のささやきよ!』が筑摩書房より刊行されました。同書の刊行を記念して、原画展を開催。本に描かれましたたリーゼ・マイトナー、長谷川テル、ミレヴァ・マリッチ、ラジウム・ガールズ、エミリー・デイヴィソンの葬列を組む女たちの肖像画をはじめ、エミリー・ディキンスンの庭の植物ドローイングなど、原画を展示・販売いたします。
 

 

【書評】New!!

『涙にも国籍はあるのでしょうか―津波で亡くなった外国人をたどって―』(新潮社)[評]辻山良雄
ーー震災で3人の子供を失い、絶望した男性の心を救った米国人女性の遺志 津波で亡くなった外国人と日本人の絆を取材した一冊
 

【お知らせ】New!!

「読むことと〈わたし〉」マイスキュー 

店主・辻山の新連載が新たにスタート!! 本、そして読書という行為を通して自分を問い直す──いくつになっても自分をアップデートしていける手段としての「読書」を掘り下げる企画です。三ヶ月に1回更新。
 

NHKラジオ第1で放送中の「ラジオ深夜便」にて毎月本を紹介します。

毎月第三日曜日、23時8分頃から約1時間、店主・辻山が毎月3冊、紹介します。コーナータイトルは「本の国から」。4月16日(日)から待望のスタート。1週間の聴き逃し配信もございますので、ぜひお聞きくださいませ。
 

黒鳥社の本屋探訪シリーズ <第7回>
柴崎友香さんと荻窪の本屋Titleへ
おしゃべり編  / お買いもの編
 

◯【店主・辻山による<日本の「地の塩」を巡る旅>書籍化決定!!】

スタジオジブリの小冊子『熱風』2024年3月号

『熱風』(毎月10日頃発売)にてスタートした「日本の「地の塩」をめぐる旅」が無事終了。Title店主・辻山が日本各地の本屋を訪ね、生き方や仕事に対する考え方をインタビューした旅の記録が、5月末頃の予定で単行本化されます。発売までどうぞお楽しみに。

関連書籍

辻山良雄『小さな声、光る棚 新刊書店Titleの日常』

まともに思えることだけやればいい。 荻窪の書店店主が考えた、よく働き、よく生きること。 「一冊ずつ手がかけられた書棚には光が宿る。 それは本に託した、われわれ自身の小さな声だ――」 本を媒介とし、私たちがよりよい世界に向かうには、その可能性とは。 効率、拡大、利便性……いまだ高速回転し続ける世界へ響く抵抗宣言エッセイ。

齋藤陽道『齋藤陽道と歩く。荻窪Titleの三日間』

新刊書店Titleのある東京荻窪。「ある日のTitleまわりをイメージしながら撮影していただくといいかもしれません」。店主辻山のひと言から『小さな声、光る棚』のために撮影された510枚。齋藤陽道が見た街の息づかい、光、時間のすべてが体感できる電子写真集。

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本屋の時間

東京・荻窪にある新刊書店「Title(タイトル)」店主の日々。好きな本のこと、本屋について、お店で起こった様々な出来事などを綴ります。「本屋」という、国境も時空も自由に超えられるものたちが集まる空間から見えるものとは。

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辻山良雄

Title店主。神戸生まれ。書店勤務ののち独立し、2016年1月荻窪に本屋とカフェとギャラリーの店 「Title」を開く。書評やブックセレクションの仕事も行う。著作に『本屋、はじめました』(苦楽堂・ちくま文庫)、『365日のほん』(河出書房新社)、『小さな声、光る棚』(幻冬舎)、画家のnakabanとの共著に『ことばの生まれる景色』(ナナロク社)がある。

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