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礼はいらないよ

2020.05.02 更新 ツイート

ブリュッセルで感じた、日本にはない重たい視線ダースレイダー

ブリュッセルの小便小僧と

建物に蓄積されたまなざしを日本は壊し続けてきた

新型コロナウィルスの死亡率が世界ワーストと指摘されたベルギーだが、これは数字が過大となる可能性を認めながらも、政府が情報の「完全な透明性」を目指した結果だという。

3月12日に急遽ロックダウンが宣言され、14日からはカフェやレストランの休業が決まった。翌週の月曜からは学校も休み。この時点ですでにベルギー政府はかなり細かい項目を立てて、国民に説明している。最初の予定では4月5日までの期間が宣言されたが、項目によって期限も異なっている。

学校が休みの間も施設自体は開いていて、保護者は子供を預けることが出来る。特に医療従事者や介護職、公的仕事に携わる者の子供の面倒は保証されている。また高齢者と同居する子供も預けることが出来る。高齢者はリスクの高いグループに指定されていて、感染予防への配慮がなされている。高齢者にはなるべく在宅でいるように特別に注意もされている。日本ではリスクに応じた対処がそれほど明確ではないので、この点は異なる。

 

大学などの高等教育はオンライン対応を求められている。仕事はテレワークを推奨、在宅勤務が人々の接触を減らし、感染拡大の予防に繋がると強調。公共の交通機関は通常通り運行するが、ピークをずらすよう雇用者側が考慮するように呼び掛けている。散歩などの運動は認められているが、公園などに居座ることは不可。

公的、私的イベントは開催を中止。すべてのサッカーの試合は無観客で行われ、大会は延期。人気のあるサイクリングの大会はすべて延期。大きな劇場での全公演中止。ブリュッセル航空は予定便の45%をキャンセルした。クラブ、バー、レストランは閉店。ただしテイクアウトはオッケー、ドライブスルーも可。ホテルは開業して良いが、レストランが併設されているならそこは閉める。スーパーや食料品店、ペットショップは通常営業を続ける。スーパー利用に当たっての基準も明確で、客はそれぞれ1.5~2mのソーシャル・ディスタンスをとり、店舗の面積に応じて店内の人数を制限している。大きなショッピングカートを利用させることで物理的にも距離が空くよう工夫もされている。ここでも午前中の一定時間は高齢者や要介護者などのリスクの高いグループのみに開放するようにしていて合理的だ。

呼吸器に関する症状を抱えている人は全員を潜在的な感染者と見做し、病院には行かず(感染防止のため)自宅での医師の診察が義務付けられる。咳、鼻水、寒気などの症状が認められればすぐに検査を受け、症状が無い場合でも自宅で数日間は待機するように命じられる。これは日本における4日間37.5度の熱が続いたら……という、今問題視されている指針とは違って合理的なものだ。

ロックダウンの期間は当初4月5日までだったのが4月19日、そして5月3日まで延長された。ベルギーの施策は基本的にはウィルス感染拡大予防という観点に立った合理的な設計がなされている。日本における「三密」のような解釈が曖昧な新用語を作ってもいない。国民全員が何をするのかを理解することに力点が置かれている。

隣国のフランスではSARSが流行した2003年にジャック・シラク大統領の下、「予防原則」が憲法に加えられている。エビデンスがない場合でも予防をまずは考える、というもので伝染病への対応として法制化もされている。ベルギーでも構えは近く、また労働組合が強いため、労働者の休業に対する不安も少ないという。合理的に決められた基準の中で国民は割りと落ち着いているようだ。

僕は2018年11月にブリュッセルを訪れた。毎年開催されているヨーロッパを中心としたナイトアンバサダー(夜の文化大使)が集まる会議への参加が目的だった。これまではベルリンで開催されていたがその年はブリュッセル。ちょうど従姉妹が暮らしているので泊めてもらった。かつて旭硝子に勤めていた叔父も長くブリュッセルにいて、当時から遊びに来いと誘われていた。叔父はすでに他界したが、今回従姉妹に連れられて旭硝子の丸い社屋は覗きに行った。

朝、クウェート経由の安い便でブリュッセル空港に着くと従姉妹が迎えに来てくれていた。2016年の連続爆破テロ以来、警備が強化されていて武装した警官が何人も巡回していて物々しい。ブリュッセルはEUの首都でもあるのだが、小さな街で中心部は徒歩でも回れてしまう。人口は116万人。市民は9割近いフランス語系と1割のオランダ語系に分かれていて、二ヵ国語表記が義務付けられている。旧ベルギー領のコンゴやルワンダ、ブルンジ、そてモロッコやトルコ、ライン、パキスタン、南アなどからの移民も多く、国際色豊かでリベラルな雰囲気はあるが、実は誰も本音を話していないのではないか? と思える独特の静けさがある。

僕が訪れた11月の時期は灰色の曇り空が覆っていて、余計に沈鬱なムードがあった。これはある種の重さとして肩に感じられるものだ。

ナイトアンバサダーサミットは、ブリュッセルの市庁舎で行われた。中央広場とも言えるグランプラスに面しているのだが、そこでばったり友人の赤川君と出会った。元々はミーティング後に連絡を取ろうと思っていたのだが遭遇。街の小ささが分かる体験だ。

ブリュッセルの中心地、グランプラス広場(写真:iStock.com/Vladislav Zolotov)

市庁舎は15世紀に建築されたフランボワイヤン・ゴシックの美しい建物で、夜はライトアップされて更に荘厳な雰囲気だ。中に入っても壁、床、階段がどれも素晴らしく目を奪われる。会議室も金色に装飾された椅子が並んでいて圧巻だった。並み居るメンバーがそれぞれの都市の夜の文化と経済の課題を話す。僕は日本から唯一参加しているので風営法改正以降の状況、そして日本社会がまだまだ文化への理解とサポートが足りない点について欧州諸都市の状況を参考にしたいと話した。これはコロナ禍の今、まさに現実として日本と欧州との違いとして顕在化してしまった。

この日、ブダペストから来た人が話していてはじめてハンガリー語を耳にしたのだが、隣のスイスの友人アレックスが僕に向かって何を言っているかわかる? と聴いてきた。分かるわけないでしょ! と答えたら、でもハンガリー語と日本語は元々ウラル・アルタイ語族がルーツなんだぜ! と言われてはっとした。会議が終わってからブダペストから来たダニエルと話した。ううむ、この人と僕をずっと過去に辿っていくと同じウラル山脈に繋がっていくのか? と大いなる時間を意識した。
 

ベルギー名物 ジャンボノー

近くのカフェでベルギー名物のムール貝がバケツ一杯で運ばれてきて一人で頑張っていると赤川君が来た。彼は同じ宮台ゼミの仲間で、ベルギーのレストラン二軒で働きながら大学で勉強している。早速夜のブリュッセルを案内してもらう。僕はアルコールは飲まないのだが、2400種類のビールがあるデリリウムカフェに連れていかれた。人でぎゅーぎゅーでバンドの演奏で皆が盛り上がっている。赤川君が置いてあるビールがずらりと掲載されているカタログを土産に買ってくれた。小便小僧、小便少女、小便犬……と小便シリーズを見て回り、19世紀の建物をそのまま使っているカフェを覗く。そして、再びグランプラスを案内してくれた。

ここは広場そのものが世界遺産なのだが、角のマンションの壁を見ると「ここでカール・マルクスが正月を過ごした」と書いてある。反対側には「ヴィクトル・ユーゴーがかつて過ごした部屋」とあり、通りを外れると詩人のアルチュール・ランボーが恋人に撃たれたホテルがある。見上げると先ほどまで会議していた市庁舎の塔があり、そこから大天使ミカエルの像がこちらを見下ろしている。

その時、この街に漂う重さがわかった気がした。グランプラスにいると、そこには何百年もの歴史を「見て」来た建物がそのまま並んでいる。その建物の窓からはかつてカール・マルクスが、ユーゴーが、あるいはランボーが、そして多くの、多くの人たちがグランプラスを見下ろしていたのだ。

その視線の積み重なり、視線の重みが空気と混ざり合い、かつてそこに居た人たちと僕が同じ場所にいることを自覚させられるのだ。お前は何をしているんだ? と見られている感覚。何百年もの間の視線が僕を見ている。そう感じた。ヨーロッパには多くの広場が存在するが、構造上、常にこうした視線が集中するように出来ている。それは教会の尖塔の場合もあれば、マンションや市庁舎の場合もある。現在という時間を共に過ごす人々が横軸だとすると縦軸としての時間、それが重みとなって感じられる。この感受性が人々に落ち着きを与えるのではないか? もちろん建物を壊してしまえば失われていく感覚でもあると思う。日本はずっと壊し続けてきてしまったのではないか?

グランプラスの広場の真ん中で、僕はちょっとぞっとしてしまった。ガワが機能的であれば、美しければ、新しければ、それで十分である。世界の表層だけで価値判断したうえでそこに絡みつく、壊して作るだけで生まれる利権。建物には眼差しがあり、蓄積してきた感情が宿っている。それを僕らが意識出来なくなった。空っぽなのは建物か、それとも僕らだろうか? 

僕らは壊す必要がないどころか……壊してはいけないものを壊し続けてきたのではないか? 今日のブリュッセルの街を覗けば、小便小僧もマスクをしている。

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礼はいらないよ

You are welcome.礼はいらないよ。この寛容さこそ、今求められる精神だ。パリ生まれ、東大中退、脳梗塞の合併症で失明。眼帯のラッパー、ダースレイダーが思考し、試行する、分断を超える作法。

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ダースレイダー ラッパー・トラックメイカー

1977年4⽉11⽇パリで⽣まれ、幼少期をロンドンで過ごす。東京⼤学に⼊学するも、浪⼈の時期に⽬覚めたラップ活動に傾倒し中退。2000年にMICADELICのメンバーとして本格デビューを果たし、注⽬を集める。⾃⾝のMCバトルの⼤会主催や講演の他に、⽇本のヒップホップでは初となるアーティスト主導のインディーズ・レーベルDa.Me.Recordsの設⽴など、若⼿ラッパーの育成にも尽⼒する。2010年6⽉、イベントのMCの間に脳梗塞で倒れ、さらに合併症で左⽬を失明するも、その後は眼帯をトレードマークに復帰。現在はThe Bassonsのボーカルの他、司会業や執筆業と様々な分野で活躍。著書に『『ダースレイダー自伝NO拘束』がある。

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