心をざわつかせるニュースが多いこの頃。不安のなかで、することに追われ、どこか気が急いて仕方がなかったとしても、自分を取り戻す時間をみなさんがどこかで見つけられますように。
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普通なら会計が終わればそのまま帰っていくところ、お客さんがその場にとどまっているというのは、何か伝えたいことがあるというサインだ。その人はまだ小学生にもならないお子さんを二人連れたお母さんで、仕事できたようにも見えなかったのでなんだろうと身構えたが、すこしの間のあと「とても落ち着きました。よい時間をありがとうございました」とだけ話し、子どもを促して帰っていった。
三人を見送りながら、知り合いのHが、自分のための本を買うのは何年かぶりだと話したときのことを思い出した。かつては地方のテレビ局に勤め、どちらかといえば映画の話が多かった彼女は、学生時代は本格的な社会科学の本や外国文学も手に取っていたので、そうした話を聞くのは意外でもあった。
やっぱり本はいいねと、Hは自分の買った何冊かの本をいとおしそうに撫で、最近は息子の絵本ばかりだからと続けた。そういえばこのまえは一緒にいた息子さんがいないなと思いながら、絵本にも色々あって見てると面白いでしょと話を振ってみたところ、「まあね、でも本は自分のために買いたいから」と笑った。
ちょっとコーヒーも飲んでくわとHはカフェに入っていった。その日は彼女のほかにお客さんはなく、しんとしたなか、一時間ほどしてカフェから出てきた彼女の顔にはすこし生気が戻ったようで、それはわたしが知っている彼女の姿でもあった。
休みの日にはできるだけゆっくりと、自転車のペダルをこぐ。通常であれば5分で行ける距離のところを、わざわざS字にふらふらと進んだり、途中で自転車を停めて写真を撮ったりと、意識的にその倍くらいの時間をかけるようにしている。そうすると同じ道を通っても、そういえばそうだったと、普段は見落としているものの存在に気がつく。
「自転車をゆっくりこぐ」なんて、ここでわざわざ書くほどのことではないかもしれない。しかしそのような目的をもたない小さな動きにも、自分の全体性を回復させるヒントが含まれているように思う。
本屋が自分を取り戻すために役に立つのであれば、その人には気のすむまでゆっくりと過ごしてほしい。解放されたHの微笑みには、見ているわたしも素直になる、自然な力があった。
今回のおすすめ本
屋久島に暮らし、個人の生きる実感から詩のことばを紡ぎ出した山尾三省。数多くの代表詩が収録された本書には、奇をてらうことのないことばのみが使われ、きっと心に響く一文が見つかると思う。
◯連載「本屋の時間」は単行本でもお楽しみいただけます
連載「本屋の時間」に大きく手を加え、再構成したエッセイ集『小さな声、光る棚 新刊書店Titleの日常』は、引き続き絶賛発売中。店が開店して5年のあいだ、その場に立ち会い考えた定点観測的エッセイ。お求めは全国の書店にて。Title WEBS
○2024年4月12日(金)~ 2024年5月6日(月)Title2階ギャラリー
科学者、詩人、活動家、作家、スパイ、彫刻家etc.「歴史上」おおく不当に不遇であった彼女たちの横顔(プロフィール)を拾い上げ、未来へとつないでいく、やさしくたけだけしい闘いの記録、『彼女たちの戦争 嵐の中のささやきよ!』が筑摩書房より刊行されました。同書の刊行を記念して、原画展を開催。本に描かれましたたリーゼ・マイトナー、長谷川テル、ミレヴァ・マリッチ、ラジウム・ガールズ、エミリー・デイヴィソンの葬列を組む女たちの肖像画をはじめ、エミリー・ディキンスンの庭の植物ドローイングなど、原画を展示・販売いたします。
◯【書評】New!!
『涙にも国籍はあるのでしょうか―津波で亡くなった外国人をたどって―』(新潮社)[評]辻山良雄
ーー震災で3人の子供を失い、絶望した男性の心を救った米国人女性の遺志 津波で亡くなった外国人と日本人の絆を取材した一冊
◯【お知らせ】New!!
店主・辻山の新連載が新たにスタート!! 本、そして読書という行為を通して自分を問い直す──いくつになっても自分をアップデートしていける手段としての「読書」を掘り下げる企画です。三ヶ月に1回更新。
NHKラジオ第1で放送中の「ラジオ深夜便」にて毎月本を紹介します。
毎月第三日曜日、23時8分頃から約1時間、店主・辻山が毎月3冊、紹介します。コーナータイトルは「本の国から」。4月16日(日)から待望のスタート。1週間の聴き逃し配信もございますので、ぜひお聞きくださいませ。
○黒鳥社の本屋探訪シリーズ <第7回>
柴崎友香さんと荻窪の本屋Titleへ
おしゃべり編 / お買いもの編
◯【店主・辻山による<日本の「地の塩」を巡る旅>書籍化決定!!】
スタジオジブリの小冊子『熱風』2024年3月号
『熱風』(毎月10日頃発売)にてスタートした「日本の「地の塩」をめぐる旅」が無事終了。Title店主・辻山が日本各地の本屋を訪ね、生き方や仕事に対する考え方をインタビューした旅の記録が、5月末頃の予定で単行本化されます。発売までどうぞお楽しみに。
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本屋の時間
東京・荻窪にある新刊書店「Title(タイトル)」店主の日々。好きな本のこと、本屋について、お店で起こった様々な出来事などを綴ります。「本屋」という、国境も時空も自由に超えられるものたちが集まる空間から見えるものとは。