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本屋の時間

2019.12.15 公開 ポスト

第74回

体がおぼえている辻山良雄

(写真:著者)

先日、店に歌人の岡野大嗣さんがやってきた。彼を描いた、帽子を目深くかぶり、肩幅の広いコートを着込んだイラストを見たことがあったが、ほんとうにそのままの姿で現れたので、そのことがなんだかうれしかった。

 

通過待ちであいてるドアの向こうから冬の工事の音がきれいだ

(岡野大嗣『たやすみなさい』書肆侃侃房)


岡野さんの地元・大阪に行ったとき、JR環状線の新今宮駅で乗り換えをした。高架になっている駅からは、地面を掘削している何台かのショベルカーが見えたのだが、朝の澄んだ光に照らされたその光景は、もう二度と訪れることのない、かけがえのない瞬間のように思えた。心がじんとふるえたが、周りにいた多くの電車待ちの人に、そのことは伝わることがないだろう。まだ秋の日のことで、聞こえてくる音はなにもなく、遠くにショベルカーが動いている姿だけが見えた。

 

今年は岡野さんに限らず、関西の人に会う機会が多かったように思う。トークイベントで話を聞き、展示で在廊している作家と話すとき、関西弁になることがしばしばあった。わたしは神戸の生まれなので、地元のことばを話すと一瞬にして体質までが変わり(何というか「もったりと」する)、子どものころといまの自分がひと続きになるような気にもなる。

 


話はここで大きく変わり、先日吉祥寺で映画『ハード・デイズ・ナイト』(ビートルズの4人がずっと走りまわっている映画)を観た。ぽっかりと空いた時間に、そのとき近くで上映している映画をスマートフォンで調べたので、たまたま観たといってもよい。スクリーン上の若きジョン・レノンには、ちょっとなにもいえなくなる、圧倒的なかがやきと存在感があり、観てよかったなと思った。

映画では彼らの初期の代表曲が流れていたが、「ALL MY LOVING」が聞こえてきたとき、自分の葬式に流してほしいと思っていたほど、この曲が好きだったことを不意に思い出した。そう思っていたのは二十歳前後のころだが、自分がそんなに好きだったにもかかわらず、そのことをいままでずっと忘れていたのだ。曲の歌い出し、一瞬息をつめたあとのハーモニーの奔流。熱いものが込み上げてくるまで、まったく時間はかからなかった。

(写真:iStock.com/AlexLinch)

自分に一度蒔かれた種は、たとえ時が経っても消えることはない。そのことは、あなたの体が一番よくおぼえている。これからは少しずつ戻っていくのかな、映画館を出て街を歩きながら、自分のやるべきことが少しだけ見えた気がした。

 

*「今回のおすすめ本」はお休みします。次回は2020年1月3日の更新。来年も「本屋の時間」をよろしくお願いします。

 

◯連載「本屋の時間」は単行本でもお楽しみいただけます

連載「本屋の時間」に大きく手を加え、再構成したエッセイ集『小さな声、光る棚 新刊書店Titleの日常』は、引き続き絶賛発売中。店が開店して5年のあいだ、その場に立ち会い考えた定点観測的エッセイ。お求めは全国の書店にて。Title WEBSHOPでもどうぞ。

齋藤陽道『齋藤陽道と歩く。荻窪Titleの三日間』

辻山良雄さんの著書『小さな声、光る棚 新刊書店Titleの日常』のために、写真家・齋藤陽道さんが三日間にわたり撮り下ろした“荻窪写真”。本書に掲載しきれなかった未収録作品510枚が今回、待望の写真集になりました。

 

○2024年9月20日(金)~ 2024年9月30日(月)Title2階ギャラリー

木村肇「嘘の家族」刊行記念展

「なぜ自分の家族の作品を作るのか?」写真家木村肇の写真とインタビューで、作品制作の背景をたどった書籍「嘘の家族」の刊行を記念して、写真展を開催します。早くに亡くなった両親の存在を隠し続けてきた作家が、実家の部屋をギャラリースペースに再現し、嘘か本当か、曖昧な家族の記憶を行き来するような作品を展示します。
 

 

◯【店主・辻山による連載<日本の「地の塩」を巡る旅>が単行本になりました】

スタジオジブリの小冊子『熱風』(毎月10日頃発売)にて連載していた「日本の「地の塩」をめぐる旅」が待望の書籍化。 辻山良雄が日本各地の少し偏屈、でも愛すべき本屋を訪ね、生き方や仕事に対する考え方を訊いた、発見いっぱいの旅の記録。生きかたに仕事に迷える人、必読です。

『しぶとい十人の本屋 生きる手ごたえのある仕事をする』

著:辻山良雄 装丁:寄藤文平+垣内晴 出版社:朝日出版社
発売日:2024年6月4日 四六判ソフトカバー/360ページ
版元サイト /Titleサイト
 

【書評】NEW!!

『決断 そごう・西武61年目のストライキ』寺岡泰博(講談社)ーー「百貨店人」としての誇り[評]辻山良雄
(東京新聞 2024.8.18 掲載)

『うたたねの地図 百年の夏休み』岡野大嗣(実業之日本社)ーー〈そのもの〉として描かれた景色が、普遍の時間へと回帰していく瞬間 [評]辻山良雄
(Webジェイ・ノベル 掲載)

 

【お知らせ】

我に返る /〈わたし〉になるための読書(2)
「MySCUE(マイスキュー)」

シニアケアの情報サイト「MySCUE(マイスキュー)」でスタートした店主・辻山の新連載・第2回が更新されました。
 

NHKラジオ第1で放送中の「ラジオ深夜便」にて毎月本を紹介します。

毎月第三日曜日、23時8分頃から約1時間、店主・辻山が毎月3冊、紹介します。コーナータイトルは「本の国から」。1週間の聴き逃し配信もございますので、ぜひお聞きくださいませ。
 

関連書籍

辻山良雄『小さな声、光る棚 新刊書店Titleの日常』

まともに思えることだけやればいい。 荻窪の書店店主が考えた、よく働き、よく生きること。 「一冊ずつ手がかけられた書棚には光が宿る。 それは本に託した、われわれ自身の小さな声だ――」 本を媒介とし、私たちがよりよい世界に向かうには、その可能性とは。 効率、拡大、利便性……いまだ高速回転し続ける世界へ響く抵抗宣言エッセイ。

齋藤陽道『齋藤陽道と歩く。荻窪Titleの三日間』

新刊書店Titleのある東京荻窪。「ある日のTitleまわりをイメージしながら撮影していただくといいかもしれません」。店主辻山のひと言から『小さな声、光る棚』のために撮影された510枚。齋藤陽道が見た街の息づかい、光、時間のすべてが体感できる電子写真集。

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本屋の時間

東京・荻窪にある新刊書店「Title(タイトル)」店主の日々。好きな本のこと、本屋について、お店で起こった様々な出来事などを綴ります。「本屋」という、国境も時空も自由に超えられるものたちが集まる空間から見えるものとは。

バックナンバー

辻山良雄

Title店主。神戸生まれ。書店勤務ののち独立し、2016年1月荻窪に本屋とカフェとギャラリーの店 「Title」を開く。書評やブックセレクションの仕事も行う。著作に『本屋、はじめました』(苦楽堂・ちくま文庫)、『365日のほん』(河出書房新社)、『小さな声、光る棚』(幻冬舎)、画家のnakabanとの共著に『ことばの生まれる景色』(ナナロク社)がある。

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