それが誰であれ、店に定期的に来ていたお客さんの顔がみえなくなると、何か気分を損ねることでもあっただろうかと不安になる。しかしその人がご年配のかたともなると、不安の内容もまた変わってくる。
ある雑誌を毎月定期購読していたご婦人がいたのだが、入荷したらこちらから連絡しなくてもすぐに取りにきていたのに、そのときはひと月以上もそのままで、早くも次の号が出てしまった。念のためと思い携帯電話に連絡したところ、思いがけず男性の声が出たので、ギョッとした。
ああ……。声を聞いた瞬間にすべてわかってしまったが、電話口の人と話してみると、妻は先日亡くなったんですよ、これまでご丁寧にありがとうございましたとお礼をいわれた。
うそでしょ、まだそんな歳でもないし(見た目からいえばまだ六〇くらいだ)、このまえあんなに元気だったのに。彼女のことをよく知っていたわけではないが、そのときはしばらく、気持ちの持っていきようがなかった。
Oさんはいつも新聞の切り抜きや図書館で書いてきたというメモを片手に、本を注文していた。退職後のボランティアで行っていたという教育関係の本や、若いころに好きだった近代文学の本など一回につき四~五冊。近所にこんな場所ができてうれしいよと、最初きたころに話してくれた。
一度、三カ月くらいOさんの姿が見えない時期があったので心配はしていたのだが、ある日の午後、店にやってきた。
久しぶりに見たOさんの姿は別人かと思うほど痩せており、頭にはつばのある帽子を目深くかぶっていた。一瞬ひるみことばが出なかったが、本を注文していいですかといつものようにこちらを見て、毅然と話された。差し出されたメモの字は震えており読みづらかったが、自分を落ち着かせながら何くわぬ顔でその書名を書き写した。
それからもOさんからは二~三回注文があった。注文した本を受け取りにくる人は、奥さんやまったく見たことのない家族らしき人に変わったが、必ず誰かがやってきた。最後の注文は八千円くらいする社会主義に関する本で、この分厚い本をOさんは読むのだろうかと思いながら、出版社に注文した。
そうした注文も途絶えてしまい、半年以上過ぎたころ、店に奥さんがやってきた。Oは亡くなりました。あの人は最後までここで本を買うのが好きだったのですよと笑って、奥さんはOさんなら読まないであろう種類の本を買って帰った。
ええ、わかってましたよとはもちろんいえない。奥さんはいまもときどき店にきてくれる。
今回のおすすめ本
その人をそれまで知らなくても、会ったことがなくても、なつかしく思える文章がある。
身の回りのこと、好きな音楽や本のことを誠実に綴ったエッセイ集。
◯連載「本屋の時間」は単行本でもお楽しみいただけます
連載「本屋の時間」に大きく手を加え、再構成したエッセイ集『小さな声、光る棚 新刊書店Titleの日常』は、引き続き絶賛発売中。店が開店して5年のあいだ、その場に立ち会い考えた定点観測的エッセイ。お求めは全国の書店にて。Title WEBS
○2024年4月12日(金)~ 2024年5月6日(月)Title2階ギャラリー
科学者、詩人、活動家、作家、スパイ、彫刻家etc.「歴史上」おおく不当に不遇であった彼女たちの横顔(プロフィール)を拾い上げ、未来へとつないでいく、やさしくたけだけしい闘いの記録、『彼女たちの戦争 嵐の中のささやきよ!』が筑摩書房より刊行されました。同書の刊行を記念して、原画展を開催。本に描かれましたたリーゼ・マイトナー、長谷川テル、ミレヴァ・マリッチ、ラジウム・ガールズ、エミリー・デイヴィソンの葬列を組む女たちの肖像画をはじめ、エミリー・ディキンスンの庭の植物ドローイングなど、原画を展示・販売いたします。
◯【書評】New!!
『涙にも国籍はあるのでしょうか―津波で亡くなった外国人をたどって―』(新潮社)[評]辻山良雄
ーー震災で3人の子供を失い、絶望した男性の心を救った米国人女性の遺志 津波で亡くなった外国人と日本人の絆を取材した一冊
◯【お知らせ】New!!
店主・辻山の新連載が新たにスタート!! 本、そして読書という行為を通して自分を問い直す──いくつになっても自分をアップデートしていける手段としての「読書」を掘り下げる企画です。三ヶ月に1回更新。
NHKラジオ第1で放送中の「ラジオ深夜便」にて毎月本を紹介します。
毎月第三日曜日、23時8分頃から約1時間、店主・辻山が毎月3冊、紹介します。コーナータイトルは「本の国から」。4月16日(日)から待望のスタート。1週間の聴き逃し配信もございますので、ぜひお聞きくださいませ。
○黒鳥社の本屋探訪シリーズ <第7回>
柴崎友香さんと荻窪の本屋Titleへ
おしゃべり編 / お買いもの編
◯【店主・辻山による<日本の「地の塩」を巡る旅>書籍化決定!!】
スタジオジブリの小冊子『熱風』2024年3月号
『熱風』(毎月10日頃発売)にてスタートした「日本の「地の塩」をめぐる旅」が無事終了。Title店主・辻山が日本各地の本屋を訪ね、生き方や仕事に対する考え方をインタビューした旅の記録が、5月末頃の予定で単行本化されます。発売までどうぞお楽しみに。
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本屋の時間
東京・荻窪にある新刊書店「Title(タイトル)」店主の日々。好きな本のこと、本屋について、お店で起こった様々な出来事などを綴ります。「本屋」という、国境も時空も自由に超えられるものたちが集まる空間から見えるものとは。