

Titleのウェブサイトには「まったく新しい、けれどなつかしい」ということばが、左上に小さく書かれている。これは何もわたしが考えたわけではなく、会社を辞めて自分の店を開くことを報告したとき、小説家のいしいしんじさんから返ってきたメールに書かれていたことばだ。
まだ店の場所も決まっていないのに、メールには「……まったく新しい、けれどなつかしい、ずっとそこにあったはずなのに、たったいまできた空間。こころから楽しみにしています」と書かれていた。ほんとうにやるのかと決意を新たにする一方で、はたしてそんな〈物語〉のような店になれるのだろうかという不安もあった。
だから4年が経ち、いしいさんを店にお迎えしてイベントができることには、心に期するものがあった。トークの話題は主に短篇集『マリアさま』のことだったが、SP盤の愛好家でもあるいしいさんには、蓄音機と短篇ごとのテーマソングをお持ちいただき、話の合間には会場にきたお客さんと一緒に、そのSP盤を聴いた。
録音時のスタジオの音を溝に刻み、それを鉄の針で「版画のように」再生するSP盤は、電気で再生する音楽よりもとても生々しく聴こえる。エルヴィスもアマリア・ロドリゲスもリパッティも、時を超え、いまこの小さな空間で歌い演奏していた。
「虹の彼方に/OVER THE RAINBOW」のレコードが終わったとき、ジュディ・ガーランドはこの曲を歌いながら、きっといのっていると思うんですといしいさんは語った。いのることは神のまえで手を合わせることだけではない。毎日を生きることにもいのりはあり、よき明日を夢みながら仕事をする、誰かのことを思いながら食事をつくる……そうした行為にはすべて、いのりが含まれているように思う。

トーク中いしいさんは、過去の音楽も文学も時間を超えていまとつながっている、人はそうしたものに触れずにはいられないし、辻山さんもそれを信じているから、店を続けているのでしょう? と話をされた。
そうかなあ、そうかもしれない。同じ日のくり返しに見えたとしても、明日はもう少しいい店にしたい。たくさん勝たなくてもいいから、変わりなく長く続けたい。
今日はうまくいかなくても、明日こそはと思うとき、人は遠くにかすかな虹を見ている。
今回のおすすめ本
大阪に生きる歌人は、次の瞬間には忘れてしまうかすかな気持ちを、手のひらですくい、歌にとどめる。それは歌人の記憶であったかもしれないし、わたしたちがかつてどこかで、体験したことかもしれない。
◯連載「本屋の時間」は単行本でもお楽しみいただけます
連載「本屋の時間」に大きく手を加え、再構成したエッセイ集『小さな声、光る棚 新刊書店Titleの日常』は、引き続き絶賛発売中。店が開店して5年のあいだ、その場に立ち会い考えた定点観測的エッセイ。お求めは全国の書店にて。Title WEBS
◯2025年7月18日(金)~ 2025年8月3日(日) Title2階ギャラリー
「花と動物の切り絵アルファベット」刊行記念 garden原画展
切り絵作家gardenの最新刊の切り絵原画展。この本は、切り絵を楽しむための作り方と切り絵図案を掲載した本で、花と動物のモチーフを用いて、5種類のアルファベットシリーズを制作しました。猫の着せ替えができる図案や額装用の繊細な図案を含めると、掲載図案は400点以上。本展では、gardenが制作したこれら400点の切り絵原画を展示・販売いたします(一部、非売品を含む)。愛らしい猫たちや動物たち、可憐な花をぜひご覧ください。
◯2025年8月15日(金)Title1階特設スペース 19時00分スタート
書物で世界をロマン化する――周縁の出版社〈共和国〉
『版元番外地 〈共和国〉樹立篇』(コトニ社)刊行記念 下平尾直トークイベント
2014年の創業後、どこかで見たことのある本とは一線を画し、骨太できばのある本をつくってきた出版社・共和国。その代表である下平尾直は何をよしとし、いったい何と闘っているのか。そして創業時に掲げた「書物で世界をロマン化する」という理念は、はたして果たされつつあるのか……。このイベントでは、そんな下平尾さんの編集姿勢や、会社を経営してみた雑感、いま思うことなどを、『版元番外地』を手掛かりとしながらざっくばらんにうかがいます。聞き手は来年十周年を迎え、荒廃した世界の中でまだ何とか立っている、Title店主・辻山良雄。この世界のセンパイに、色々聞いてみたいと思います。
【店主・辻山による連載<日本の「地の塩」を巡る旅>が単行本になりました】
スタジオジブリの小冊子『熱風』(毎月10日頃発売)にて連載していた「日本の「地の塩」をめぐる旅」が待望の書籍化。 辻山良雄が日本各地の少し偏屈、でも愛すべき本屋を訪ね、生き方や仕事に対する考え方を訊いた、発見いっぱいの旅の記録。生きかたに仕事に迷える人、必読です。
『しぶとい十人の本屋 生きる手ごたえのある仕事をする』
著:辻山良雄 装丁:寄藤文平+垣内晴 出版社:朝日出版社
発売日:2024年6月4日 四六判ソフトカバー/360ページ
版元サイト /Titleサイト
◯【寄稿】
店は残っていた 辻山良雄
webちくま「本は本屋にある リレーエッセイ」(2025年6月6日更新)
◯【お知らせ】NEW!!
〈いま〉を〈いま〉のまま生きる /〈わたし〉になるための読書(6)
「MySCUE(マイスキュー)」 辻山良雄
今回は〈いま〉をキーワードにした2冊。〈意志〉の不確実性や〈利他〉の成り立ちに分け入る本、そして〈ケア〉についての概念を揺るがす挑戦的かつ寛容な本をご紹介します。
NHKラジオ第1で放送中の「ラジオ深夜便」にて本を紹介しています。
偶数月の第四土曜日、23時8分頃から約2時間、店主・辻山が出演しています。コーナータイトルは「本の国から」。ミニコーナーが二つとおすすめ新刊4冊。1週間の聴き逃し配信もございますので、ぜひお聞きくださいませ。
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本屋の時間

東京・荻窪にある新刊書店「Title(タイトル)」店主の日々。好きな本のこと、本屋について、お店で起こった様々な出来事などを綴ります。「本屋」という、国境も時空も自由に超えられるものたちが集まる空間から見えるものとは。