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英語で伝えるということ

2019.10.28 更新 ツイート

My terrifying notebook of mistakes

大林監督とゾッとする私飯田まりえ

(写真:iStock.com/Rawpixel)

 

今月はハロウィンなので、少し怖い話をしよう。

私は読むだけで背筋が凍るような、恐ろしいノートを何冊も持っている。

このノートに綴られているのは、過去に通訳の現場で起こってしまった「伝わらなかった」体験談や、「訳せなかった」言葉。仕事を終えるたびにつけている、「まちがえノート」。読み返すたびに、その時の記憶が鮮明に蘇る。

――登壇者が話し終え、観客の目が、いっせいに私に向かう。すぐに訳さなければいけないのに、言葉が出てこない。頭が真っ白になり、まさにパニック! 

思い出したくもない失敗を、どうして私は細かく書き留めるようになったのか。

 

まだ私が20代のころ、ニューヨーク近代美術館で大林宣彦監督の回顧展が開かれ、日本からアメリカを訪れた監督の通訳を数日間担当することになった。ファンタジーとホラーを絶妙に融合した世界観で知られる監督の代表作『HOUSE ハウス』は、ニューヨークの映画ファンなら誰もが知っている伝説的な作品で、監督自身もたくさんのニューヨーカーに愛されている。

監督の生い立ち、作品、インタビュー記事や映像をチェックし、私は初日に予定されていた、監督と美術館の学芸員やスタッフとの対談に向けてしっかり予習をした。監督のことなら、何でも分かっているつもりで、いそいそと仕事へ出かけたのを覚えている。

しかし、大林監督の話術は、私の想像を遥かに超えるものであった。抑揚のある声に、お茶目でチャーミングなユーモアのセンス。表情豊かで、ダイナミックな監督の話は、まるで映画を見ているような絵画性があった。どれも、私の通訳の術では再現することはできない。

 

中でも私を一番困らせたのが、次から次へと出てくる固有名詞。自分について永遠と語るのではなく、監督の興味の対象は、世界に広く向かっていて、社会、歴史、美術と、自由自在に話題は飛び回った。カメラの話になると、大林監督は、アメリカのジョン・フォード監督の有名な西部劇『駅馬車』のワンシーンについて語り始めた。大林監督ご自身の作品名は全て暗記していたものの、私はその時、この『駅馬車』の英題、『Stagecoach』が急に思い出せなくなってしまった。

黙り込んだ私を見兼ねて、その場はアメリカ人の学芸員が、多分Stagecoachのことだろう、と助け舟を出してくれた。私はすっかり、監督の博学の波にのまれていたのだ。

その晩、美術館主催の夕食会で、私はいたたまれず、監督に頭を下げた。「勉強不足で申し訳ございませんでした」。

すると、大林監督は、にっこりと微笑んで、こう答えてくださった。「勉強が足りてしまったら、つまらないよ。足りてしまったら、それは成長が止まってしまったことと同じです」。

私が「まちがえノート」を熱心につけるようになったきっかけは、まさしく監督の言葉である。ありがたいことに、私はその後も大林監督の通訳をする機会に恵まれ、その都度、ノートは何冊も埋め尽くされた。

通訳の現場での失敗は、確かに恐ろしい。けれども、それらがどうして起こってしまったのか、何が足りなかったのかを理解すれば、失敗は、学びとなる。

開くたびにゾッとするノートからは、これからも逃れることはできないだろう。

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英語で伝えるということ

世界的ブームとなっている片づけコンサルタントの近藤麻理恵さんのNetflix番組「KonMari ~人生がときめく片づけの魔法~」の通訳として、そのプロフェッショナルな仕事ぶりが現地で称賛され、注目されている飯田氏。話者の魅力を最大限に引き出し、その人間性まで輝かせる英語表現の秘訣はどこに? 「英語で話す」ではなく「英語で伝える」ときに重要な視点を探るコミュニケーション・エッセイ。

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飯田まりえ

2006年ニューヨーク大学卒業。卒業後は東京都内の独立系映画製作会社に就職し、黒沢清、新藤兼人、鈴木清順、ミーラー・ナーイル、ジム・ジャームッシュを始めとした国際的な映画製作者の脚本の翻訳を担当する傍ら、通訳者としての実績を積む。2007年から米国の大手美術出版社 RIZZOLI NEW YORK の要請を受け編集、翻訳業務に携わり、建築、美術、映画、デザイン、写真、ファッションを含む多くの書籍を手掛ける。2011年コロンビア大学大学院卒業。卒業後はニューヨークにてフリーランスとして通訳、翻訳業を開始。現在は拠点をロサンゼルスに移し、映像作家の夫とともにテレビ番組等の脚本も執筆中。来年2020年には、共同で英訳している高村薫著作の『レディ・ジョーカー』がSOHO PRESSより出版予定。

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