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プロ野球怪物伝

2020.02.21 公開 ツイート

野村監督が語る金田正一 ピッチャーとしては別格、監督としては失格【再掲】 野村克也

野村克也さんの選手評は、いつも冷静で的確で、なにより野球と選手への愛がにじみ出ていました。心よりご冥福をお祈りします。

野村さんの著書『プロ野球怪物伝』(幻冬舎)では、教え子である田中将大、「難攻不落」と評するダルビッシュ有から、ライバルだった王貞治、長嶋茂雄ら昭和の名選手まで、名将ノムさんが嫉妬する38人の「怪物」を徹底分析しています。

*   *   *

バッター最強の怪物が中西太さんなら、ピッチャーのそれは金田正一さんしかいない。なにしろ、あの天才・長嶋がデビュー戦で4打席4三振をくらったピッチャーである。別格だった。でなければ、400勝などというとてつもない記録を打ち立てられるわけがない。

私とはリーグが違ったので、対戦したのはオールスターとオープン戦程度だったが、どうしても名前負けしてしまった。「天皇」という異名をとったように、「地球は自分中心に回っている」と考えているタイプの典型で、マウンドでも堂々としているから、戦う前から呑まれていた。オールスターのときは三振をとることしか興味がないから、ひとりでもバットに当てられたらもうやる気をなくしていたが、本気で投げたときのボールはすごかった。

球種はストレートとカーブだけで、ストレートはもちろん史上最速といえるほど速かったが、それ以上にカーブがすごかった。当時の選手としては飛び抜けて背が高く、しかもオーバーハンドだから、まさしく2階から落ちてくる感じ。途中まで高めのストレートだと思っていると、ガクンと落ちる。だから、はじめて対戦するバッターは必ずお辞儀して見送るか、ワンバウンドを空振りしてベンチに帰ってきた。

いまはそういうカーブ、すなわちドロップを投げるピッチャーがいなくなった。

余談だが、昔、西鉄に西村貞朗というピッチャーがいて、この人のカーブもすごかった。木塚忠助、蔭山和夫という当時の南海の1、2番コンビが、西村さんのカーブをよけようとするあまり、うしろにひっくり返ったのをネット裏から見たことがある。

ところが判定はストライク。バッターの頭に当たる直前で、ググッと曲がり落ちたのである。それを見たとき、「とても打てない」と思ったのを憶えている。ネット裏から見て打てないと感じたのだから、相当なものだ。事実、1955年に日米野球で来日し、15勝0敗1分と圧倒的な強さを見せたヤンキースの名将ケーシー・ステンゲル監督が「アメリカに連れて帰りたい」と語ったほどだった。

話を金田さんのカーブに戻せば、金田さんのカーブは、厳密にいえばボールだった。

バッターの前を通過するときは高めにはずれているのである。ところがそこから鋭く落ちるから、キャッチャーミットに収まるときはストライクになっている。審判がだまされてしまうのだ。ベンチからはボールの軌道がよくわかるので、「高いよ、ボールだよ」と野次るのだが、キャッチャーはど真ん中で受けているので、審判は「いや、入っています」と言って聞かなかった。

のちにロッテに移籍したとき、金田さんと手の大きさを較べたことがある。金田さんの指は、私より一関節ぶん長く、しかも太かった。もしかしたら、あのカーブを生み出す秘密のひとつだったのかもしれない。

400勝の根底にあったハングリー精神

金田さんでもうひとつ思い出すのは食欲である。まさしく怪物並みだった。杉浦とともに誘われ、焼肉屋に行ったことがある。それはもう、すごい食べっぷりだった。

私も大食漢として知られていて、スタンドからも「大飯食らいの野村」とよく野次られたものだが、その私でもとても敵わなかった。

練習量もケタ外れだった。シーズンオフは徹底的に身体を休ませるが、キャンプに入ると人が変わったように身体をいじめる。チームが課す練習は「生ぬるい」と言って、自分だけハードな別メニューを組んでいた。若手選手をいつもふたりくらい連れていってトレーニングをするのだが、若手が「きつすぎる」と音を上げていたものだ。

身体のケアに対しても細心の注意を払っていた。寝るときは左腕にサポーターをつけ、真夏でもクーラーは使わなかったし、ヒゲを剃るときも、カミソリでなく電気シェーバーを使っていたそうだ。

そこまでカネさんを駆り立てたものは何かといえば、やはりハングリー精神だろう。

家庭は裕福とはいえず、兄弟も多かったと聞く。長男だったから、子どものころから弟たちの面倒を見てきたのだろう。貧乏育ちの私もそうだったが、身を立てるにはプロ野球しかなかったのだと思う。それで高校を中退してプロ入りした。

口癖のように言っていたのを憶えている。

「人生、金だ」

カネさんとは、監督と選手という関係だったことが1年間だけある。私が南海の監督をクビになり、一選手としてロッテに移籍したときのことだ。そのときの監督がカネさんだった。

とにかく、何かを教えている姿をほとんど見たことがない。言うことはただひとつ、「走れ!」。たしかに下半身の強化は、とくにピッチャーにとっては必要不可欠だ。だからといって、それがチームの指揮を執る監督の言うことか。

優勝の可能性がなくなると、球場に来るのは試合がはじまってから。しかもしばしばゴルフ場から直行する始末で、勉強になることは何ひとつなかった。ピッチャーとしては別格だったが、監督としては失礼ながら失格だったと私は思っている。

 

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この続きは、『プロ野球怪物伝』(幻冬舎)で。全国の書店で好評発売中です。

野村克也『プロ野球怪物伝 大谷翔平、田中将大から王・長嶋ら昭和の名選手まで』

攻略法のなかった松井、
史上最高の右バッター落合、
本格派と技巧派、変幻自在のダルビッシュ……
私が嫉妬する、38人の"常識はずれ"な男たち。

王貞治、長嶋茂雄ら昭和の名選手から、大谷翔平、ダルビッシュ有、佐々木朗希ら新世代のスターまで、名将ノムさんが38人の“怪物”たちを徹底分析!


 

【本書でとりあげる怪物たち】
●大谷翔平……最多勝とホームラン王、両方獲れ
●田中将大……もはや気安く「マーくん」などと呼べない存在に
●江夏 豊……「江夏の21球」明暗を分けた佐々木への6球
●清原和博……私の記録を抜くはずだった男
●伊藤智仁……史上最高の高速スライダー。彼のおかげで日本一監督に
●清宮幸太郎……左ピッチャーとインコースを攻略できるか
●佐々木朗希……"163キロ"の豪腕は本物か。令和最初の怪物候補
●イチロー……現役晩年に見られたある変化
●王 貞治……あえて注目したい「四球数」の記録
●長嶋茂雄……ボールをキャッチしようとした瞬間、バットが目の前に
●金田正一……ピッチャーとしては別格、監督としては失格
●稲尾和久……正確無比の制球力でストライクゾーンを広げてみせた
●江川 卓……元祖・怪物。大学で「楽をすること」を覚えたか
●松坂大輔……実は技巧派だった平成の怪物
●ジョー・スタンカ……忘れられない巨人との日本シリーズでの一球
●ランディ・バース……バックスクリーン3連発を可能にした野球頭脳
●柳田悠岐……誰も真似してはいけない、突然変異の現役最高バッター
●山田哲人……名手クレメンテを彷彿とさせる、三拍子揃った新時代の怪物
●山川穂高……大下、中西、門田……歴代ホームラン王の系譜を継ぐ男 ほか全38名

野村克也『野村のイチロー論』

「正直に言う。私はイチローが好きではない。しかし、彼の才能に最初に目をつけたのはこの俺だ」――名将がはじめて書いた、“天才・イチロー vs. 凡人・野村” 究極の野球人間論!

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野村克也

1935年、京都府生まれ。54年、京都府立峰山高校卒業。南海ホークス(現・福岡ソフトバンクホークス)にテスト生として入団。首位打者1回、本塁打王9回、打点王7回、MVP5回、ベストナイン19回、ダイヤモンドグラブ賞1回などの成績を残す。65年には戦後初の三冠王(史上2人目)にも輝いた。70年、捕手兼任で監督に就任。73年のパ・リーグ優勝に導く。その後ロッテオリオンズ(現・千葉ロッテマリーンズ)、西武ライオンズでプレーし、80年、45歳で現役引退。89年、野球殿堂入り。通算成績は3017試合、2901安打、657本塁打、1988打点、打率.277。指導者として、90~98年、ヤクルトスワローズ監督、リーグ優勝4回、日本一3回。99~2001年、阪神タイガース監督。06~09年、東北楽天ゴールデンイーグルス監督。現在は野球評論家。『野村のイチロー論』『プロ野球怪物伝』(幻冬舎)など著書多数。

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