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本屋の時間

2019.10.01 公開 ツイート

第69回

高田馬場の喫茶店 辻山良雄

(写真:iStock.com/bgton)

むかし毎週のように通った喫茶店のマスターは、無口な人だった(4年間で2回しか、まともに話した記憶がない)。堅苦しさはないが入るときに少しの緊張が必要な店で、白が基調の店内では、無駄なものを目にすることはなかった。特に会話が禁止ということではなかったが、話している人を見かけることはあまりなく、ほとんどの客は一人でコーヒーを飲んでいた。

ある日店に入ると、珍しく大声で話している若者のグループがいて、彼らは店内でとても目立っていた。そのときは声の大きさが気になって、持ってきた本を読むことができなかったが、いつのまにかマスターがそっとグループのテーブルに近づき、一言二言何かを話しかけたようだった(小さな声なので、ほかのテーブルには何も聞こえない)。しばらくすると彼らは立ちあがり、そっと店を出ていった。

 


うかつな話だが、本屋もひとつの〈場〉であると、店を開いてから気がつくようになった。本というモノを売り買いしていることには違いないのだが、お客さんはその時の店の居心地や、本が素敵に見える雰囲気までをふくめ、本と一緒に買ってくれているように思う。

その無言で行われるやり取りを壊さないために、本屋は商品や客に対し、見ていないような態度を取りながらも、目の端では店で起こることを見ていなければならない。客の目にはいつもと同じように見える光景でも、それは多くの要素のうえに成り立つ繊細なものである。それがすべて円滑に回っているからこそ、来る人は安心して心を開くことができ、店にある本は輝きを放っていく。
 

喫茶店のマスターがあのとき何といったかはわからないが、客に恥をかかせない程度にそっとたしなめたのだろう。いつもの何気ない姿で立ちながら、あのときマスターは〈場〉を取り仕切っていたのだと、いまでも時々思い返すことがある。

 

今回のおすすめ本


『永井宏散文集 サンライト』永井宏 夏葉社

永井宏は「どんな人にも表現はできる」と、多くの人の背中を押しその気にさせた。自分の心を覗き込み、不器用に見えても自らの手で何かを作ってみることが、人が何世代にもわたり営んできた〈生活〉へとつながっていく。永井のギャラリーやワークショップは、そこから多くの表現者が育った〈場〉でもあった。

 

◯連載「本屋の時間」は単行本でもお楽しみいただけます

連載「本屋の時間」に大きく手を加え、再構成したエッセイ集『小さな声、光る棚 新刊書店Titleの日常』は、引き続き絶賛発売中。店が開店して5年のあいだ、その場に立ち会い考えた定点観測的エッセイ。お求めは全国の書店にて。Title WEBSHOPでもどうぞ。

齋藤陽道『齋藤陽道と歩く。荻窪Titleの三日間』

辻山良雄さんの著書『小さな声、光る棚 新刊書店Titleの日常』のために、写真家・齋藤陽道さんが三日間にわたり撮り下ろした“荻窪写真”。本書に掲載しきれなかった未収録作品510枚が今回、待望の写真集になりました。

 

○2024年4月12日(金)~ 2024年5月6日(月)Title2階ギャラリー

『彼女たちの戦争 嵐の中のささやきよ!』小林エリカ原画展

科学者、詩人、活動家、作家、スパイ、彫刻家etc.「歴史上」おおく不当に不遇であった彼女たちの横顔(プロフィール)を拾い上げ、未来へとつないでいく、やさしくたけだけしい闘いの記録、『彼女たちの戦争 嵐の中のささやきよ!』が筑摩書房より刊行されました。同書の刊行を記念して、原画展を開催。本に描かれましたたリーゼ・マイトナー、長谷川テル、ミレヴァ・マリッチ、ラジウム・ガールズ、エミリー・デイヴィソンの葬列を組む女たちの肖像画をはじめ、エミリー・ディキンスンの庭の植物ドローイングなど、原画を展示・販売いたします。
 

 

【書評】New!!

『涙にも国籍はあるのでしょうか―津波で亡くなった外国人をたどって―』(新潮社)[評]辻山良雄
ーー震災で3人の子供を失い、絶望した男性の心を救った米国人女性の遺志 津波で亡くなった外国人と日本人の絆を取材した一冊
 

【お知らせ】New!!

「読むことと〈わたし〉」マイスキュー 

店主・辻山の新連載が新たにスタート!! 本、そして読書という行為を通して自分を問い直す──いくつになっても自分をアップデートしていける手段としての「読書」を掘り下げる企画です。三ヶ月に1回更新。
 

NHKラジオ第1で放送中の「ラジオ深夜便」にて毎月本を紹介します。

毎月第三日曜日、23時8分頃から約1時間、店主・辻山が毎月3冊、紹介します。コーナータイトルは「本の国から」。4月16日(日)から待望のスタート。1週間の聴き逃し配信もございますので、ぜひお聞きくださいませ。
 

黒鳥社の本屋探訪シリーズ <第7回>
柴崎友香さんと荻窪の本屋Titleへ
おしゃべり編  / お買いもの編
 

◯【店主・辻山による<日本の「地の塩」を巡る旅>書籍化決定!!】

スタジオジブリの小冊子『熱風』2024年3月号

『熱風』(毎月10日頃発売)にてスタートした「日本の「地の塩」をめぐる旅」が無事終了。Title店主・辻山が日本各地の本屋を訪ね、生き方や仕事に対する考え方をインタビューした旅の記録が、5月末頃の予定で単行本化されます。発売までどうぞお楽しみに。

関連書籍

辻山良雄『小さな声、光る棚 新刊書店Titleの日常』

まともに思えることだけやればいい。 荻窪の書店店主が考えた、よく働き、よく生きること。 「一冊ずつ手がかけられた書棚には光が宿る。 それは本に託した、われわれ自身の小さな声だ――」 本を媒介とし、私たちがよりよい世界に向かうには、その可能性とは。 効率、拡大、利便性……いまだ高速回転し続ける世界へ響く抵抗宣言エッセイ。

齋藤陽道『齋藤陽道と歩く。荻窪Titleの三日間』

新刊書店Titleのある東京荻窪。「ある日のTitleまわりをイメージしながら撮影していただくといいかもしれません」。店主辻山のひと言から『小さな声、光る棚』のために撮影された510枚。齋藤陽道が見た街の息づかい、光、時間のすべてが体感できる電子写真集。

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本屋の時間

東京・荻窪にある新刊書店「Title(タイトル)」店主の日々。好きな本のこと、本屋について、お店で起こった様々な出来事などを綴ります。「本屋」という、国境も時空も自由に超えられるものたちが集まる空間から見えるものとは。

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辻山良雄

Title店主。神戸生まれ。書店勤務ののち独立し、2016年1月荻窪に本屋とカフェとギャラリーの店 「Title」を開く。書評やブックセレクションの仕事も行う。著作に『本屋、はじめました』(苦楽堂・ちくま文庫)、『365日のほん』(河出書房新社)、『小さな声、光る棚』(幻冬舎)、画家のnakabanとの共著に『ことばの生まれる景色』(ナナロク社)がある。

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