
先日、白洲次郎・正子夫妻の旧邸である「武相荘(ぶあいそう)」を訪れた。以前は農家だったという敷地内の建物はショップやレストランに改装され、ミュージアムとなっている母屋には、二人が集めた調度品や骨董がところ狭しと並べられていた。
そこだけ見て帰ったとすれば、洗練されたよい趣味の、お金持ちの家を見たという印象で終わったかもしれない。しかし母屋の一番奥には、突き出るような恰好で天井が低くなっている一室があり、そこが白洲正子の書斎であった。
部屋は一つの方向にだけ窓が開いており、窓の前に置かれた小さな机を見ていると、吸いこまれそうになり目が離せなくなった。多くの客を迎えたであろうほかの部屋とは異なり、正子の書斎にはプライベートな空気がたちこめ、濃密な〈異空間〉として隔絶している(もちろん部屋自体は繋がっており、襖ひとつ隔てただけである)。
その部屋の小ささは正子にとって、身体の延長のように感じられたのかもしれない。数多くの作品を生み出した部屋は小さなものではあったが、世間からは遮断されているため、思う存分自らの内に没入できたのだろう。無から永遠を生む、作家の創作の秘密を垣間見たようであったが、この書斎は「本を読むこと」ひとつを取っても、理想的な空間だと思った。
前回、本屋は情報からわが身を遮断する、街のシェルターのようなものだと書いたが(第66回「街のシェルター」)、できるならば本を読むときも、そうした隔離された空間で読むことが望ましい。世間からは隔絶し、そこで価値の転換が行われる〈書斎〉という宇宙からたぐり寄せられたことばは、静かな環境でそれと向き合ったときこそ、そのほんとうの意味が腑に落ちるからだ。
「言うは易く……」であるかもしれないが、書斎とは本来どのような空間であるのかについて気づかされた、忘れがたい部屋だった。
今回のおすすめ本
『ガンツウ|gunt』堀部安嗣・著 鈴木研一・写真 millegraph
海の上をゆっくりと進む〈建築〉。ガンツウは瀬戸内を縫うように走り、その魅力を再発見する客船だが、その景観を取り込むことは行っても、決してそれを邪魔することはしない。
場の力を最大限に活かした、驚くべきパッシブデザイン。
◯連載「本屋の時間」は単行本でもお楽しみいただけます
連載「本屋の時間」に大きく手を加え、再構成したエッセイ集『小さな声、光る棚 新刊書店Titleの日常』は、引き続き絶賛発売中。店が開店して5年のあいだ、その場に立ち会い考えた定点観測的エッセイ。お求めは全国の書店にて。Title WEBS
◯2025年7月18日(金)~ 2025年8月3日(日) Title2階ギャラリー
「花と動物の切り絵アルファベット」刊行記念 garden原画展
切り絵作家gardenの最新刊の切り絵原画展。この本は、切り絵を楽しむための作り方と切り絵図案を掲載した本で、花と動物のモチーフを用いて、5種類のアルファベットシリーズを制作しました。猫の着せ替えができる図案や額装用の繊細な図案を含めると、掲載図案は400点以上。本展では、gardenが制作したこれら400点の切り絵原画を展示・販売いたします(一部、非売品を含む)。愛らしい猫たちや動物たち、可憐な花をぜひご覧ください。
◯2025年8月15日(金)Title1階特設スペース 19時00分スタート
書物で世界をロマン化する――周縁の出版社〈共和国〉
『版元番外地 〈共和国〉樹立篇』(コトニ社)刊行記念 下平尾直トークイベント
2014年の創業後、どこかで見たことのある本とは一線を画し、骨太できばのある本をつくってきた出版社・共和国。その代表である下平尾直は何をよしとし、いったい何と闘っているのか。そして創業時に掲げた「書物で世界をロマン化する」という理念は、はたして果たされつつあるのか……。このイベントでは、そんな下平尾さんの編集姿勢や、会社を経営してみた雑感、いま思うことなどを、『版元番外地』を手掛かりとしながらざっくばらんにうかがいます。聞き手は来年十周年を迎え、荒廃した世界の中でまだ何とか立っている、Title店主・辻山良雄。この世界のセンパイに、色々聞いてみたいと思います。
【店主・辻山による連載<日本の「地の塩」を巡る旅>が単行本になりました】
スタジオジブリの小冊子『熱風』(毎月10日頃発売)にて連載していた「日本の「地の塩」をめぐる旅」が待望の書籍化。 辻山良雄が日本各地の少し偏屈、でも愛すべき本屋を訪ね、生き方や仕事に対する考え方を訊いた、発見いっぱいの旅の記録。生きかたに仕事に迷える人、必読です。
『しぶとい十人の本屋 生きる手ごたえのある仕事をする』
著:辻山良雄 装丁:寄藤文平+垣内晴 出版社:朝日出版社
発売日:2024年6月4日 四六判ソフトカバー/360ページ
版元サイト /Titleサイト
◯【寄稿】
店は残っていた 辻山良雄
webちくま「本は本屋にある リレーエッセイ」(2025年6月6日更新)
◯【お知らせ】NEW!!
〈いま〉を〈いま〉のまま生きる /〈わたし〉になるための読書(6)
「MySCUE(マイスキュー)」 辻山良雄
今回は〈いま〉をキーワードにした2冊。〈意志〉の不確実性や〈利他〉の成り立ちに分け入る本、そして〈ケア〉についての概念を揺るがす挑戦的かつ寛容な本をご紹介します。
NHKラジオ第1で放送中の「ラジオ深夜便」にて本を紹介しています。
偶数月の第四土曜日、23時8分頃から約2時間、店主・辻山が出演しています。コーナータイトルは「本の国から」。ミニコーナーが二つとおすすめ新刊4冊。1週間の聴き逃し配信もございますので、ぜひお聞きくださいませ。
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本屋の時間

東京・荻窪にある新刊書店「Title(タイトル)」店主の日々。好きな本のこと、本屋について、お店で起こった様々な出来事などを綴ります。「本屋」という、国境も時空も自由に超えられるものたちが集まる空間から見えるものとは。