流行の発信メディアだった浮世絵
なぜ浮世絵はヨーロッパに渡ることで突然価値をあげたのだろうか?
そこには、日本と欧米の異文化性がある。
「江戸時代には商業が栄えたが、特に江戸末期には飲食店や百貨店の前身である呉服屋が宣伝に浮世絵を使った。歌川広重の浮世絵には、呉服屋の大丸(現在の大丸百貨店)が描かれている」
ジャポニスムの研究家である小山ブリジット(武蔵大学人文学部教授、パリ生れ)はそう書く。(nippon.com、2013年11月22日配信)
すでに述べたように浮世絵は旅行雑誌の役割をはたし、商店の広告にもなった。
「美人画や役者絵はファッション誌でもありました」と、美術評論家・画商の山本豊津は言う。
「江戸時代、豊かになった町民は絹の着物を着始めましたが、どうやって着れば見栄えがいいのか、どんな柄がいいのかわからない。それを学んだのが美人絵であり、役者絵だったのです。だから浮世絵は流行の発信メディアでもあった」
さらに教育や情報伝達にも使われた。町民の子弟が通った寺子屋では、浮世絵に描かれた鳥や花を見てその名前や漢字を覚えた。北斎の「北斎漫画」は弟子のためのデザインの指導書だった。歌川国芳の「武者づくしはんじもの」は双六、歌川広重の「即興かげぼし尽くし 入りふね 茶わんちや台」は影絵。大人も子どもも楽しむ玩具だった。
江戸末期になると、庶民の中に外国への興味が高まり、ジヴェルニーのモネ・コレクションにもあった「横浜絵」が登場した。開国した横浜港に集まる外国人の様子を描いた色鮮やかな浮世絵だ。演劇界でも、「曽根崎心中」で有名な戯作者の近松門左衛門たちは最新の事件を歌舞伎等のテーマにした。新聞のなかった時代、浮世絵も歌舞伎役者の死、自然災害、犯罪等の社会ニュースを題材として取り上げた。吉原の花魁も、浮世絵に描かれることで評判をあげた。
つまり浮世絵は、徹底的に実用のものだった。「錦絵」と呼ばれて多色刷り、繊細なタッチ、大胆な構図の美しい作品であったとしても、「美」の本質を求める純粋芸術ではなかった。すでに述べたように、江戸期にはまだ日本には「芸術」、「美術」という言葉も概念もなかった。それらは維新後に欧米から輸入された言葉・概念から創られた「新語」だ。だから茶器も襖絵も箪笥も刀の鍔も根付もそして浮世絵も、実用であることが第一。それを名人と呼ばれる職人が手がけると「名物」と言われ貴重なものとなった。しかしもともと実用の道具なのだから、一般的には誰もが買える価格でなければならない。
ところが序章と本章で見てきたように、それらは欧米に渡り価値は一転する。
欧米人にとっては茶器も陶器も刀の鍔も根付もそして浮世絵も、実用の用途はないから「純粋芸術」となる。その結果北斎もまた、ダ・ヴィンチやミケランジェロ、ドラクロワたちと同じ舞台に立つことになった。
この価値の大転換は自然発生だったのだろうか?
それは日本の「美術」が西洋のコレクショニズムの対象(餌食)になったことを意味するのだろうか?
その点に感心を持って子細に取材を進めると、ある一人の男に行き当たった。その男の仕事を調べると、画商でもあり美術プロデューサーでもあり画家を世界に売り出す美術プロモーターでもあった。
当時の政府首脳に「西欧列強は、美術を国家戦略として考えています。日本もまた――」と訴えてもいるから、西欧一等国の仲間入りを目指す啓蒙家と言ってもいい。
その男の存在抜きにして、当時のジャポニスムも現在の世界的な北斎ブームもありえない。にもかかわらず、今日その男の存在はけっして一般的とは言えず、仕事の評価も真っ当に行われてきたとは思えない。
なぜそんなことになってしまったのか?
なぜ男の仕事は正当に評価されないのか?
私はそのテーマを胸に、彼の足跡を探すために、パリに向かうことにした。
* * *
次回、ついに北斎(浮世絵)を西洋美術界へ売り出した「謎の画商」がベールを脱ぐ!? 6月16日公開予定です。ご期待ください。そして本連載の著者・神山典士さんによる「知られざる北斎」講座が朝日カルチャーセンターで6月12日に開催されます。お問い合わせは 03-3344-1941 まで。13時から新宿にて座学の後移動、墨田北斎美術館にて、作品鑑賞とキュレーターによるブリーフィングもございます。
知られざる北斎

長澤まさみさんが主演する映画『おーい、応為』が話題です。
モネ、ゴッホを魅了し、西洋で「東洋のダ・ヴィンチ」と称された葛飾北斎。
その名を世界に広めた画商・林忠正、そして晩年を支えた小布施の豪商・髙井鴻山。芸術と資本、江戸と西洋が交錯する中で創作に生きた画家の生涯を描いた書籍『知られざる北斎』もあわせてお楽しみください。本書から一部を抜粋してお届けします。
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