

この「本屋の時間」の連載を含め、書籍になるものや単発の依頼など、原稿はすべてパソコンで書いています。家と店のパソコンを使い書くことが多いので、いつも最新のデータをUSBメモリに入れて持ち歩いていたのですが、ある時そのUSBメモリが全く反応しなくなりました。しかも悪いことに、そんな時に限ってデータをパソコンに保存しておらず(面倒ですよね?)、USBメモリのなかには完成した原稿が二つほど入っていました。
反応しなくなったUSBメモリを前にしてみると、原稿を書くのに費やした時間など様々なことが思い出され、目の前が文字通り真っ白になりました。「えーっと、このような時はどうするのでしょうか……」とぶつぶつ言いながらも、うつろに〈USBメモリ〉〈データ〉〈復旧〉と検索します。すると、同じような経験をしている人が多いのか、アクセス出来なくなったデータ復旧を専門にしている会社が、幾つか見つかりました。ウェブサイトを見比べながら、そのなかの一つにUSBメモリを送り、データ復旧の見積もりを依頼したところ、「貴社のUSBメモリには〈重度の物理障害〉が発生しており、復旧が成功した場合、かなりの金額が費用としてかかります」との返答がすぐに返ってきました。
見積もられたその金額は、近場の海外旅行なら行けそうな、聞くだけでも少しひるむものでしたが、失われた原稿のことを考えると金額の問題でもないと思い直しました。何度も手を入れ一度は完成したと決めたものは、その出来はどうあれその時の自分の「ほんとう」です。時間をかければ同じ長さのものはまた書けるかもしれませんが、そのとき一度「ほんとう」であったものは、もはやそうではなくなってしまいます。それでは自分が書いたものに対して、あまりにも無責任ではないかと思いました。
その後のやり取りで、一旦失われた原稿は無事に取り戻すことが出来ました。高い授業料でしたが、書くものに対する認識を新たにした経験でもありました。もちろん、「それは単にあなたのデータ管理が出来ていないというだけの話ですよね」と言われそうなことは、わかっているのですが……。
今回のおすすめ本

望月昭秀(縄文ZINE編集長)『縄文人に相談だ』(国書刊行会)
悩める現代人に、縄文人がスッパリと答えを出す。紀元前の遠い目から見れば、いまの悩みなんて、笑ってすませることが出来るかもしれない。この時代には、縄文のスピリットが必要だ。
◯連載「本屋の時間」は単行本でもお楽しみいただけます
連載「本屋の時間」に大きく手を加え、再構成したエッセイ集『小さな声、光る棚 新刊書店Titleの日常』は、引き続き絶賛発売中。店が開店して5年のあいだ、その場に立ち会い考えた定点観測的エッセイ。お求めは全国の書店にて。Title WEBS
◯2025年6月6日(金)~ 2025年6月24日(火)Title2階ギャラリー
きみまでのおさらい
井上奈奈『うさぎまでのおさらい』刊行記念展
2018年ドイツにて開催された「世界で最も美しい本コンクール」にて銀賞を受賞し、話題となった絵本『くままでのおさらい』。そのスピンオフ作品として制作された『うさぎまでのおさらい』が、このたび装いもあらたにビーナイスより刊行になります。今回の作品展では、この『うさぎまでのおさらい』『くままでのおさらい』とともに、2024年に刊行になったエッセイ集『絵本を建てる』の作品も展示します。
◯2025年6月28日(土)~ 2025年7月14日(月)Title2階ギャラリー
Titleからほど近い阿佐ヶ谷にあった、大正末期に建てられた文化住宅・旧近藤邸。そのたたずまいは宮﨑駿監督の著書『トトロの住む家』のなかでも取り上げられました。緑に包まれ、静かに時を刻んできたこの家の在りし日の姿を活写したのが、このたび刊行された公文健太郎さんの写真集『バラの花咲く家』(平凡社)です。旧近藤邸は残念ながら2009年に不審火で焼失してしまいましたが、美しい写真プリントで、多くのひとに愛されたその姿があざやかに蘇ります。
【店主・辻山による連載<日本の「地の塩」を巡る旅>が単行本になりました】
スタジオジブリの小冊子『熱風』(毎月10日頃発売)にて連載していた「日本の「地の塩」をめぐる旅」が待望の書籍化。 辻山良雄が日本各地の少し偏屈、でも愛すべき本屋を訪ね、生き方や仕事に対する考え方を訊いた、発見いっぱいの旅の記録。生きかたに仕事に迷える人、必読です。
『しぶとい十人の本屋 生きる手ごたえのある仕事をする』
著:辻山良雄 装丁:寄藤文平+垣内晴 出版社:朝日出版社
発売日:2024年6月4日 四六判ソフトカバー/360ページ
版元サイト /Titleサイト
◯【寄稿】NEW!!
店は残っていた 辻山良雄
webちくま「本は本屋にある リレーエッセイ」(2025年6月6日更新)
◯【お知らせ】
「はたらき」を回復する /〈わたし〉になるための読書(5)
「MySCUE(マイスキュー)」
シニアケアの情報サイト「MySCUE(マイスキュー)」でスタートした店主・辻山の新連載・第5回。人の流動性が高まる春、さまざまな仕事とその周辺についての3冊をご紹介します。
NHKラジオ第1で放送中の「ラジオ深夜便」にて本を紹介しています。
偶数月の第四土曜日、23時8分頃から約2時間、店主・辻山が出演しています。コーナータイトルは「本の国から」。ミニコーナーが二つとおすすめ新刊4冊。1週間の聴き逃し配信もございますので、ぜひお聞きくださいませ。
本屋の時間

東京・荻窪にある新刊書店「Title(タイトル)」店主の日々。好きな本のこと、本屋について、お店で起こった様々な出来事などを綴ります。「本屋」という、国境も時空も自由に超えられるものたちが集まる空間から見えるものとは。