「書くこと読むこと」は、ライターの瀧井朝世さんが、今注目の作家さんに、「書くこと=新刊について」と「読むこと=好きな本の印象的なフレーズについて」の二つをおうかがいする連載です。
今回は、新刊『水没レストランの一夜』を刊行された、桃野雑派さんにお話をおうかがいしました。
(小説幻冬2026年11月号より転載)
* * *
会員制の高級フランス料理店北斗之軒は、銀行の巨大金庫だった空間を改装した地下レストラン。大雨の夜、5組9人の客を迎えたホールスタッフの柴田正和は内心動揺中。というのも客として元妻がやってきたのだ。さらにコース料理の途中で客の一人が突如死亡、冠水により扉が開かず店は密室状態に。状況が二転三転する店の一夜を描くのが、桃野雑派さんの新作『水没レストランの一夜』だ。
「料理人を出すと先に決めた後、過去作とは被らないように設定を考えていって、この話になりました。元金庫を改装したレストランは実在していて、面白いなと思っていたんです」
実は柴田は元麻薬取締官。店で麻薬取引が行われている噂があり、マトリに協力し潜入中の身だ。その夜死んだ客は薬物中毒とみられ、殺人の可能性が。店は混乱するが、推理を披露する者も現れて……。
物語は柴田とシェフの柳の視点で進んでいく。
「このシチュエーションに一番相応しくない人、というところからキャラクターを考えました。たとえば柴田さんはエリートだったのに仕事を辞めた人にしようとか、元奥さんが恋人を連れてきたら嫌だろうなとか、柴田さんが嫉妬するとしたらその相手は弁護士かな、とか。最初は5人くらいの視点で書くつもりでしたが、とっちらかるので柴田さんとシェフの柳さんの二人に絞りました」
柴田がマトリに協力中と知らない柳が密かに彼を犯人かと疑うなど、読者だけが分かる食い違いも面白い。ちなみに柴田の元妻、麻里は警察官。他に麻薬使用で逮捕歴のある俳優やアイドルの女性、大手食品会社の社長夫妻らがいる。一人一人の人物造形が丁寧で、彼らの会話が実に楽しい。ワンシチュエーションの舞台を鑑賞しているかのような読み心地だ。
「僕は吉本新喜劇を見て育っているので、会話の間みたいなものはそこでおぼえたのかもしれません。それと、僕は最初に履歴書を作るんですよ」
と、見せてくれたのは登場人物らの履歴書。実際と同じフォーマットの各項目が、びっしりと文字で埋まっている。
「何年に生まれて、どんな学校に行って……などと作っていきます。僕はこれくらいしないとキャラクターのことが分からないんです。逆にこれを作らずに書ける人ってすごいなと思いますね」
この掘り下げがあるからこそ、それぞれの性格や言動に一貫性があるのだろう。次第に個々人の事情が見えてきて、芸能界の仕組み、麻薬取締官の苦悩、裏社会とのしがらみ、女性の生き方問題なども浮かび上がってくる。
また、店で提供される料理がじつに独創的。フレンチなのにXO醤やわさびやナンプラーを使用し、これがまた美味しそうなのだ。
「実在するメニューをアレンジしました。僕はあまり贅沢をしてこなかったんですが、乱歩賞受賞後にはじめて出版社の方とお食事した時、“むっちゃ美味しいけれど何を食べているかわからへん”みたいな驚きがあって(笑)。その時の感覚を料理の感想などに入れこんだような気がします」
もちろん不可解な殺人(と思われる)事件のトリックの検証でも読ませる。緻密な構成に唸るが、意外なことに、
「一応最初に真相を決めておくんですが、キャラクターが固まれば固まるほど真相が違ってくるんです。今回も最初は別の人が真犯人だったんです」
というから驚く。「僕の場合は、とにかくキャラクター優先です」と桃野さん。
「僕は自分の最初のアイデアがそのまま通るとは思っていなくて。最初に出したアイデアが原石として、その原石を捨てるか、あるいはその原石にどう鑿を入れていくか相談できる相手が、編集さんやと思ってます」

好きな本の印象的なフレーズに選んだのは隆慶一郎原作、原哲夫作画の戦国時代の武将、前田慶次がモデルの漫画『花の慶次―雲のかなたに―』の第十八巻から。
七年の病なければ
三年の蓬も用ひず
雲無心にして岫を出るもまたをかし
詩歌に心なければ月花も苦にならず
寐たき時は昼も寝
起きたき時は夜も起きる
九品蓮台に至らんと思ふ欲心なければ
八萬地獄に落つべき罪もなし
生きるまでいきたらば
死ぬるでもあらうかとおもふ
――『花の慶次─雲のかなたに─新装版(18)』隆慶一郎原作、原哲夫漫画(ゼノンコミックスDX)より
「小中学生の頃に読みはじめて、登場人物の生き方が格好よくて虜になりました。ちょうど学校に行くのがしんどい時期だったんですが、この漫画に元気をもらいました。高校時代の前半まで、この言葉が心の拠り所でしたね。本当の強さは肉体的な強さではなく心の持ちようなんだなとか、自分もやるだけのことをやったら、あとはしゃあないな、と思うようになりました」
毎回毎回、先のことは気にせず「目の前の仕事に全部突っ込む」という桃野さんの執筆姿勢の根っこには、この言葉があるのかも。
取材・文/瀧井朝世、撮影/(静物)米玉利朋子(G.P.FLAG)
書くこと読むこと

ライターの瀧井朝世さんが、今注目の作家さんに、「書くこと=新刊について」と「読むこと=好きな本の印象的なフレーズについて」の二つをおうかがいする連載です。小説幻冬での人気連載が、幻冬舎plusにも登場です。
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