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書くこと読むこと

2026.07.03 公開 ポスト

一色さゆりさん 『モナリザの裏側』:フィクションにする余地があるなと思いました。瀧井朝世

「書くこと読むこと」は、ライターの瀧井朝世さんが、今注目の作家さんに、「書くこと=新刊について」と「読むこと=好きな本の印象的なフレーズについて」の二つをおうかがいする連載です。

今回は、新刊『モナリザの裏側』を刊行された、一色さゆりさんにお話をおうかがいしました。

小説幻冬2026年7月号より転載)

*   *   *

 
一色さゆり:東京藝術大学卒業後、ギャラリー勤務を経て香港中文大学大学院在籍中に、『神の値段』で「このミステリーがすごい!」大賞の大賞を受賞しデビュー。

 アートミステリーで人気を博す一色さゆりさん。新作『モナリザの裏側』は実在の美術館や絵画を登場させつつ、人間ドラマでも読ませる短篇集。

「コロナ禍の頃、『小説新潮』に表題作を書いたのが始まりでした。美術の話というご依頼をいただいて考えていた時、自分がほとんどの名画を直接ではなく画集やネットでしか観たことがないことと、なかなか直接人と会えない状況が、ちょっと似ているなと思って。そこから、美術のことというより、人にとっての普遍的なことや、どうしようもない問題、みたいなものが浮かんできました」

表題作は、ルーヴル美術館内を歩く母娘の話。《モナリザ》の裏側に展示された《田園の奏楽》について語り合ううちに、家族の意外な真実が明かされていく。

「学生時代に《田園の奏楽》について分析した本を読んだことがあって。美術史的には《モナリザ》よりも重要かもしれない作品なんです。でも私がルーヴル美術館に行った時はその絵の周辺がガラガラだったことに衝撃を受けました」

終盤には驚きの事実が明かされる短篇だ。

「これを掲載した後、美術館と名画が出てくる短篇を書いていくことになった、という流れです。美術品が社会に何かしらインパクトを与えた例を考えました。結構多くの作品が行方不明になっているので、これはフィクションにする余地があるなと思いましたね」

各短篇、舞台も時代もまったく異なる。「青い馬の瞳」はナチス政権下のミュンヘンが舞台。大使館で働く島田野以は、ヒトラーが退廃芸術として貶めている一枚の絵に目を留めてしまう――。

「当時、モダンアートが退廃芸術として否定されていたことに興味はありましたが、小説にするのは大変だなと思っていました。でも、担当編集者さんが、退廃芸術が面白いと言ってくれたことと、ちょうど自分がル・カレのスパイ小説を読んでいたことが重なって、退廃芸術というとハイブロウに聞こえるけれど、密告や裏切りと絡めたエンタメにすれば面白い話になる、と気づいたんです」

NYでの絵画オークションを描く「富士山のハンマープライス」は、「バブル期に、ゴッホの絵を“棺桶に入れたい”と言って落札し、ヨーロッパから叩かれた日本人がいたんです。その出来事にインスパイアされました」

とのこと。戦前の京都で立場の異なる少女二人が画家を目指す「千年のあこがれ」については、

「ひとつ日本の話を入れたくて。自分の出身地である京都にしようと思い、今は京セラ美術館に改称された旧・京都市美術館の歴史を調べました。それと、京都ゆかりの方ではないし時代も若干ずれるんですけれど、三岸節子さんと長谷川春子さんという二人の画家のドキュメンタリーがあったんです。お二人は仲良しだったけれど、戦争によって運命が分かれたという風に描かれたものでした。それを見て、二人が仲違いする過程ではなく、仲良くなっていく過程をもっと知りたいと思いました」

この話では、マネの絵画のモデルとしても知られるベルト・モリゾという女性画家の絵がモチーフとなっている。

書籍化の際に書き下ろしたのが、巻頭の「オスロで光の種をまく」。仕事の重圧からか言葉を発することができなくなった男が、ムンクの絵に惹かれてオスロへと向かう。

「ムンクの《叫び》は、叫んでいるのでなく、叫びを聞いて耳をふさいでいる人の絵だ、とはわりと知られていますよね。言葉が出てこなくなった人がこの絵を観たら、また違う印象を受けるんじゃないか、と考えていきました」

それぞれ美術にまつわる裏テーマもある。「オスロ~」は明暗、「青い馬~」は視点、「富士山~」は真贋、「千年~」は女性、「モナリザ~」は虚構と現実。そしてもちろん、ミステリー的な技巧にも力が入っている。

「そこが腕の見せ所だと思っていました。美の蘊蓄はむしろ二の次というか。短篇なのでいろいろ実験的なことができました」

好きな本の印象的なフレーズに選んだのは江國香織さんの『神様のボート』から。恋人を待ちながら町から町へと転々とする母親と娘の長い年月の物語。

箱のなか、は、ママとあたしだけに通じる言い方で、もうすぎたこと、という意味だ。どんないいことも、たのしいことも、すぎてしまえばかえってこない。

『神様のボート』江國香織著(新潮文庫)より

「〈もうすぎたこと〉と言いながら、この母親は記憶の中に生きている。矛盾しているんですよね。娘も成長するにつれそこに気づいていくところが巧みで、ホラーっぽくもある。この小説の本質が描かれた一節だと思います。私の中では、好きな本に印象的なフレーズがあるとは限らないんですけれど、これは一致していた本のひとつです(笑)」

一色さゆり『モナリザの裏側』新潮社/2145円(税込)

ムンクの絵を観るためオスロへ旅立つ、言葉を発せなくなった男。ナチス政権下のドイツで危険な依頼を受けた日本大使館職員。母親とルーヴル美術館を訪れ、両親の過去と秘密を知る女性……。名画に惹かれ、謎に遭遇する人々の、さまざまな人生模様。

取材・文/瀧井朝世、撮影/〈人物〉新潮社、〈静物〉米玉利朋子(G.P.FLAG) 

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書くこと読むこと

ライターの瀧井朝世さんが、今注目の作家さんに、「書くこと=新刊について」と「読むこと=好きな本の印象的なフレーズについて」の二つをおうかがいする連載です。小説幻冬での人気連載が、幻冬舎plusにも登場です。

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瀧井朝世

フリーライター。多くの雑誌などで作家インタビュー、書評、対談企画などを担当。2009~13年にTBS系「王様のブランチ」ブックコーナーに出演。現在は同コーナーのブレーンを務める。著書に『偏愛読書トライアングル』(新潮社)、『あの人とあの本の話』(小学館)、『ほんのよもやま話 作家対談集』(文藝春秋)など。

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