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書くこと読むこと

2026.10.03 公開 ポスト

逢坂冬馬さん『その犬をください』:近代日本の問題を映し出すには、犬が適していると考えました。瀧井朝世

「書くこと読むこと」は、ライターの瀧井朝世さんが、今注目の作家さんに、「書くこと=新刊について」と「読むこと=好きな本の印象的なフレーズについて」の二つをおうかがいする連載です。

今回は、新刊『その犬をください』を刊行された、逢坂冬馬さんにお話をおうかがいしました。

 

(小説幻冬2026年10月号より転載)

*   *   *

逢坂冬馬:2021年、『同志少女よ、敵を撃て』で第11回アガサ・クリスティー賞大賞を受賞してデビュー。同署は2022年本屋大賞を受賞。他の著作に『ブレイクショットの軌跡』など

人間の歴史の傍らには、いつだって犬たちの歴史がある。逢坂冬馬さんの新作『その犬をください』は明治初期から令和までの、人間と犬の姿を描く連作集だ。

「これまで近代ヨーロッパの戦争を二作書き、現代を一作書きました。次は近代日本を書くと決めてはいましたが、何を入り口にするかがなかなか決まらなかった」

最終的に浮かんだ案が、犬だ。

「犬はいつも人間と一緒にいたし、近代以降その扱いは変わってきた。近代日本の問題を映し出すには、犬が適していると考えました」

全四話で扱われる時代は、明治初期、昭和初期、戦時下、令和。

「日本が近代合理主義に出合った明治初期を導入部にしました。日本の劇的な自己変革と対外拡張的野望は、この時期からもう始まっていましたから」

という第一話「未開の咆哮」は、開成学校の教師に着任した英国人のジョージが主人公。愛犬家の彼だが、野良犬には困惑し、狂犬病の根絶の必要性にも言及する。

「それまでの日本では、狂犬病は知られていても野良犬を気にかけることはなかった。しかし維新以降の強烈な向学心と合理主義と社会変革は、はぐれ者的な存在を社会から排除するか、見えなくしていくようになった。その論理に犬も巻き込まれていくんです」

次の「忠犬誕生」は、あのハチ公の物語だ。渋谷駅に通う犬の姿が美談として広まり、世間に熱狂が生まれていく裏側が描かれる。

「ハチ公の話には事実でないことも挿入され、忠義を果たす“純粋な日本犬”という物語が成立していった。人間たちの狂乱の傍らでハチ公がぼーっとしている姿は書きたかったところですね(笑)」

作中に出てくる新聞記事や手紙の文面は実際のもので、美談の拡散に関わった日本犬保存会の斎藤弘吉も実在の人物。片耳が垂れた銅像建立の際、斎藤がハチ公の両耳はもともと立っていた、と主張したのも実話だそうだ。

三話目の「犬たちの戦争」は、犬の供出が強要される戦時下が舞台。愛犬を手放すよう説得されるも抵抗を試みる家族が登場する。

「維新以降の、有用なものを取り立てて無用なものを排除する流れの行きつく先だったといえますね。国民総力戦体制のもとで、天下国家に役立つもの以外の存在は、飼い犬さえ認められなくなった」

最終話の「スランプ」は現代が舞台。元警察犬だったリッキーを飼う高校生、楓が主人公だ。

「現代の話には保護犬やペットの産業化という題材も考えましたが、その時々の問題を取り上げるつくりは論述のようで、小説の構造としては上等ではない。それで、普通の人たちの話にしました」

楓は「戦争」という言葉が頭から離れず、学校に行けなくなった。飼い始めて二か月の元警察犬のリッキーも最近元気がない。そこに同じ学校に通う三門が訪ねてくる。彼女は楓の幼馴染み、エディからの伝言を預かっていて……。

「ここでは人間のロジックと犬のロジックは違う、ということを書きました。楓とは違いますが、自分も十代の頃にテロ事件があり、“はたして世の中は大丈夫なんだろうか”とすごく考えていた。他には、自分が書いていても楽しいゴーウィングマイウェイな三門と、自らのルーツ的なところでマイクロアグレッションを受けているエディを登場させました」

犬に対する人間の身勝手さが見えてくる本作だが、この最終話では、希望の光を感じさせてくれる。

「絶望で終わる小説を書く意義はあまり感じません。絶望しても、対話によって希望は生まれるという話を書きたかった」

全体を通じ、犬の血統というものについての違和感もにじむ。

「人間が狼を家畜化し、自分たちに都合のいい特徴を持つ個体を交配させてきたのが、犬という存在。盲導犬や介助犬の働きはたしかに素晴らしいですが、感謝と申し訳なさを感じます。それに血統や犬種という幻想を無批判に受け入れていいのか、という気持ちもあります。それに関してはこの本にも似たような記述がありますね」

と、取り出したのはアーロン・スキャブランド『犬の帝国』。日本の近代から現代における犬との関わりを追ったノンフィクションだ。今回の本の参考文献にも挙げられており、付箋がびっしり。

好きな本の印象的なフレーズはこの本から。忠犬ハチ公に関する章で、教科書に載ったハチ公の話の挿絵の説明。

文部省が渋谷駅の外にハチ公の銅像を建てることに協力した同じ一九三四年四月、この年から採用された二年生の修身教科書にハチ公の物語が登場、この犬は学校の教課にさらに組み入れられることとなった。画家の石井柏亭(一八八二-一九五八)が物語の挿絵を描いているが、ハチ公の両耳は立っており──斎藤もさぞや安堵したことだろう──渋谷駅の外でむなしく、しかし注意深く待っている。「オンヲ 忘レルナ」という話は次のように語られる。

――『犬の帝国 幕末ニッポンから現代まで』アーロン・スキャブランド 著、本橋哲也 訳(岩波書店)より

「海外の研究者って、文章にこういうちょっと冗談を挟むんですよね(笑)。今回、『忠犬誕生』の斎藤弘吉について、彼が剥製の耳が立っているのを見て安心する場面があるのは、この影響があったのかもしれません(笑)」

逢坂冬馬『その犬をください』KADOKAWA/2145円(税込)

明治初期、教師として来日した愛犬家の英国人。昭和初期、渋谷駅に人待ち顔で現れ一大ブームを呼んだ老犬。戦時下、愛犬の供出を強いられた家族。令和の今学校に行けない少女と元気をなくした元警察犬。近代以降の犬と人間の姿を描く。

取材・文/瀧井朝世、撮影/菊岡俊子 

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ライターの瀧井朝世さんが、今注目の作家さんに、「書くこと=新刊について」と「読むこと=好きな本の印象的なフレーズについて」の二つをおうかがいする連載です。小説幻冬での人気連載が、幻冬舎plusにも登場です。

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瀧井朝世

フリーライター。多くの雑誌などで作家インタビュー、書評、対談企画などを担当。2009~13年にTBS系「王様のブランチ」ブックコーナーに出演。現在は同コーナーのブレーンを務める。著書に『偏愛読書トライアングル』(新潮社)、『あの人とあの本の話』(小学館)、『ほんのよもやま話 作家対談集』(文藝春秋)など。

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