年に一回だけ会う友人たちとお風呂屋さんに行った。
なんだかお風呂屋さんにばかり行っているような気がするけれど、それほど体力に自信のないそれなりの年齢の人々にとって、遊びというのはお風呂かお酒か食事か甘いもの、それとお喋り、くらいのものである。都内のターミナル駅で待ち合わせし、「久しぶり」とか「元気?」とかじゃなくて「やっぱり東京は人が多いねえ」と言い合って移動する。
うち三人は女湯、一人は男湯利用者なので、じゃあまたね、と時間も決めずに別れる。先にあがったほうは広間でビールを飲んでいればいい。もう何十年もの付き合いなので、細かいことはあんまり気にしないし、だいたいのことはお互い許容しあっている。
いくつもあるお風呂のほぼすべてに順番に入っていく。全員熱いお湯が苦手でサウナも苦手なため、それほど長くは入れなかった。
一時間ほどで風呂を上がる。ドライヤーがリファだ、こっちはダイソン、絹女もあるよ、などとひとしきり盛り上がる。汗も引かないしすっぴんでいいよね、と言って作務衣みたいなお揃いの服で三人で広間へ向かうと、ちょうど友達も男湯から出て来たところであった。気が合うものだ。
全員ビールで乾杯をする。
わたしはお酒が弱いのでジョッキ一杯で充分だが、他の三人はそれなりに飲めるので、焼酎とか日本酒とかハイボールとかをお代わりしてどんどん飲む。
会話は大抵健康についてで、この一年で誰々がこんなふうで、あんなふうで、こんな治療を受けて、みたいなことを話しあう。あとは家族と仕事。ああ大変だったね、お疲れさま、言い合って枝豆をつまむ。
わたしたちは同じ高校に通っていた。
でも学年は違っていて、わたしを真ん中に、上に二人、下に一人だ。住んでいる場所も今ではばらばらで、三つの県から集合している。仕事も全然違う。環境も。
趣味も主義も嗜好も違う。なんで仲良しが続いているのかな?よく分からない。
お酒もすすんでお腹もいっぱいになった頃、
「昔って何の話してたんだろうね?」
と一人が言った。
「恋愛とか?」
と一人が言った。でもそんなに恋愛についてばかり話していた気もしない。夢とか?進路とか?
「あんなにずっとよく話すことあったよね」
とまた一人が言った。確かにそうだ。放課後会って、帰宅が遅いと親に怒られるくらいの時間まで、ずっとずっと話をしていた。
楽しかったよな、と思う。いっつもげらげら笑ってた。たぶんほんとに他愛もないことだったんだろう。
今だって楽しいよわたしはあなたたちといると。
と言いたかったけど言えなかった。わたしよりもよっぽど社会性を持った彼らにとっては、他愛のない会話はもう必要がないかもしれないから。
親のこと、子どものこと、お金のこと、健康のこと、未来のこと、社会のこと、気候のこと、心配がいっぱいあるほうが普通だ。
帰り際にみんなとハグして、ひとりだけ違う方向の電車に乗った。
また来年も会えるかな。会いたいな、とずっと思ってることは、きっと言葉にしなきゃいけないんだろうな。どんなに気の知れた間柄でも。すっぴんで会える仲でも。
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愛の病

恋愛小説の名手は、「日常」からどんな「物語」を見出すのか。まるで、一遍の小説を読んでいるかのような読後感を味わえる名エッセイです。














