ついに夫が稲作をはじめた。
地方に移住して数年。畑で野菜を作り牧場で馬の世話をし、森の木の伐採を覚え、近所の家の雪かきやら草刈りやらをし、老人の飼っている犬を毎日散歩させる、という田舎生活を堪能しまくっている夫が、ついについに田んぼにも手を出した。
米を作るのは大変なことだ。
野菜作りは数メートル四方から始められるが、田んぼはそういうわけにもいかない。広い。とにかく広い。現代では田んぼのお世話は機械によるものが多いが、その機械は大変高価でありとてもじゃないが購入はできない。運転も覚えなければいけない。他人に頼ってやってもらうこともできるだろうが、それでは「稲作を始めた」とは言えない。基本的にすべて人力でやることになる。
夫は、まず田植えの仕方を練習する、と言い出した。最近はどこも農業体験が盛んなので、探せばすぐに参加させてもらえる田んぼが見つかる。わたし自身はまったくやる気がなかったのだが夫のやることは尊重したいので、わたしも田植えに参加してみることになった。
広い田んぼに三十人ほどの人間がずらりと並び、かがんで目の前の泥に稲を二、三束植え、そのまま後ろに一歩下がる。さっきまで自分の足があったあたりにまた稲を植える。また下がる。それを延々繰り返す。
自分の持ち場以外は見なくていい。ただ下を向き生暖かい水をたっぷり含んだ泥に手を突っ込み後ろに下がる。柔らかい泥に稲をちゃんと立てて植えるのは困難だ。泥に押し込みすぎると稲がすべて水の中に埋まってしまう。その塩梅が難しい。いちいち足を泥から引っこ抜くのも骨が折れる。ずっとかがんだままだし、屋根のない田んぼの真ん中で浴びる日差しはきつい。
こんなの好き好んでやるなんてどうかしている。
と思ったが、夫は大変に楽しそうだ。耕運機試乗体験できるらしいけど子どもばっかりだなあ大人もやらせてもらえるのかなあ、なんてうきうきしていた。
実際の夫の田んぼの田植えにはわたしは参加しなかったのだけれど(念のため書くとさぼったわけではない。仕事だったのである)、大人五人子ども二人の合計七人でやりきったそうだ。子供二人はずっと泥遊びしていたそうだが、大人たちの息抜きにはなっただろう。
でも稲を植えて終わりというわけではない。米になるまでまだ何か月もかかる。
田んぼは稲を植えて放っておけばいいというものではなく、水の管理がとても難しい(らしい。わたしも知らなかった)。
暑い日が続くと田んぼの水は蒸発してしまう。雨の日が続くと、まだ根付かない稲が流れたり田んぼの水を溢れさせて畔を壊してしまったりする。水量を調節しながら稲が充分根付くのを待たなければいけない。
それから鹿だ。
今、どこの山でも鹿が増えすぎていることが問題になっているが、鹿は稲の苗も食べてしまうのだという。猪に稲を荒らされることもある。野生動物が入らないように田んぼに柵を作ったりしなければならない。
やらなければならないことはどんどん増える。
米を作るのはなんて大変なことなのだ、と圧倒的インドア派のわたしはすでに途方に暮れている。わたしのような人間が米なんていう尊いものを口にして消費してしまっていいのだろうか。いや食べるけれども。ついでにいえば、わたしは話を聞くだけで稲作に一切関わっていないのだけれども。
夫は楽しそうに、今日も田んぼに出かけて行った。
愛の病

恋愛小説の名手は、「日常」からどんな「物語」を見出すのか。まるで、一遍の小説を読んでいるかのような読後感を味わえる名エッセイです。














