ときどき、特に問題のない家出をする。
行き先はなんとなく決める。だいたいは一泊二日から三泊四日。映画館にこもって映画四本続けて観たり、一日中浜辺でシーグラスを拾ったり、なじみのない地方の小さな郷土資料館へ行ったり、聞いたことのない神社の蚤の市へ行ったり、たまたま見つけた寿司屋に入ったりする。
特に問題のない、と書いたのは、特に家出する理由がないからだ。大人になって家族を作ると、基本的に家族単位で行動することが増える。昔はよく一人で長い旅に出かけて孤独を楽しんだりしたものだが、今ではその体力も時間的余裕もなくなってしまった。でも自分だけにかまける時間があるほうが人生は豊かになる。
だからわざわざ家出をするのである。一人で。生活に不満がないのに。自分にかまけるために。
とはいえ旅行ではなく家出なので、プランを練ったりはしない。あくまでもその辺を走っている公共交通機関に乗ってふらりと行ける場所に行く。
今回選んだのはまだ行ったことのない大型入浴施設だった。サウナが何種類もあって、それなりに有名な場所らしい。わたしはサウナが苦手なのでそれは魅力に入らないが、その日は丁度お祭りが行われていてご当地アイドルや屋台が来るという告知が出ていた。楽しそうである。併設のホテルを見るとまだ空き部屋があった。
そんなわけで家出当日、公共交通機関を乗り継ぎその施設へ向かった。
丁度夏休みかつ週末だったため大変な人ごみなのではないかと不安だった。しかし施設最寄駅から一時間に一本しかないというバスにも余裕で乗ることができた。地方のいいところはどんなに人気の場所も人が多すぎないということだ。
施設につきチェックインする。宿泊する部屋の窓から海が見えた。「海!」思わず声をあげる。こんなところで会えるとは思っていなかったから、より嬉しい。あんまり調べていなかったことが功を奏した。わたしはすぐに海辺へ向かった。この夏は海水浴へ行けなかったから海に足を浸すだけでもじわじわ楽しい。炎天下で風も強かったけれど、そのまましばらくじっとして海の音を聞く。
帰り道に迷子になったりしつつも充分楽しんで施設に戻ったら、ご当地アイドルが歌って踊っているところだった。ファンなのだろう人たちの年齢層は高く、白髪の男性数人が一生懸命手を叩いて応援していた。楽しそうだ。誰かを心の底から応援できることが羨ましい。ファンの横でしばらくアイドルを眺める。
それから屋台でアイスを買って食べた。
さまざまなフレーバーがあるのに一人なので一種類しか選べない。真剣に吟味する。普段ならちょっと変わった味を選ぶのだが、失敗したくなくてあまおう苺味なんていう凡庸なものにしてしまった。それでも美味しいのは確かだしまあ満足、と自分に言い聞かせながら部屋に戻る。そうしてようやくお風呂に向かう。
銭湯施設は随分と大きく、バーデと呼ばれる室内プールや岩盤浴やマッサージや飲食施設や漫画コーナーやゲームセンターもあった。泳ぎたかったけれど水着を借りるのもなあと思ったので、大人しく浴場へ行った。
お風呂を二時間ほど楽しんで、それから飲食店でお寿司と生ビールを食した。普段はあんまりお酒を飲まないのに、家出のときはいつもちょっと飲みたい気分になる。
部屋に戻って違う味のアイスを食べてうとうとと一休みして、またお風呂に行った。一人だから全部自分のタイミングだ。好きな時に好きなことを好きなようにする。
マッサージに行ったら垢すりがあったので、一時間コースを頼んだ。
担当になった女性に「垢すりはいつぶり?」と聞かれ「はじめて」と答える。担当さんは大変驚いていた。垢すりをしたことのない人間がいるなんて信じられない、と言わんばかりだ。みんなそんなに垢すりをしているものなのかとわたしも驚く。
あんなにあられもない姿であんなふうにあんなにこすられるとは!という初めての垢すり体験を終え、わたし以外の多くの人はこれを日常的にやっているのかやったことのないことはもっと積極的にやってみるべきだなと思いつつ、つるつるの肌で部屋に帰った。
そうしたらもう夜の十二時。スナック菓子を食べながらSNSを少しパトロールして、眠った。
次の日の朝はなんだかすっきりと目が覚めた。違う町へ移動して映画を観て海鮮丼を食べて美味しいパンを買って、また公共交通機関を乗り継いで家に帰った。
それから数日経って、配信番組で知らない人たちがドッジボールをしているのを観ながら声を出してけらけら笑った。
久しぶりに声を出して笑った。どうでもいいものを見て笑うのって心が元気な時じゃないとできない。それで、あ、わたし疲れてたんだなと気づいた。
特に問題のない家出をして体中緩んで、ようやく心も緩んだみたいだ。
しばらくずっと、他人のための物語を書いていた。他人のために物語を書いているという気持ちで仕事をしていた。
少し、もう少し、自分のための物語を語ろうかな、と久しぶりに思った。
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愛の病

恋愛小説の名手は、「日常」からどんな「物語」を見出すのか。まるで、一遍の小説を読んでいるかのような読後感を味わえる名エッセイです。














