『パンダのうんこはいい匂い』……一度見たら、思わず二度見したくなるタイトル!
藤岡さんが好奇心のまま、さまざまな場所に行ったり、さまざまな体験をして、そこで出会った”異文化”との触れ合いを綴ったエッセイ。
今回の藤岡さんが行ったのは、青森県にあるという、キリストの墓…。青森県に?なぜ?キリスト? 不思議な面白そうな場所です…。
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青森県にキリストの墓がある
青森県に「キリストの墓」がある。ゴルゴダの丘で磔(はりつけ)にされたはずのキリストが密かに日本に渡り、青森県の新郷村で106歳の天寿を全うした、という伝説に基づいたものらしい。戸来(へらい)、という地名も、「ヘブライ」から来ているという説がある―― 怪しい。怪しすぎる。常識的に考えると、あの世界的・歴史的重要人物キリストの墓が青森にあるわけないのでは。青森出身の知人からその存在を聞いて以来、いつかこの目で確かめたいと思っていた。
ある時、珍スポットトラベラーの金原みわさんと話していると、みわさんもキリストの墓にはいつか行きたいと思っていたとわかり、毎年6月に行われるキリスト祭のタイミングに合わせて一緒に行くことになった。2017年のことだ。

みわさんは大阪、私は東京に住んでいたので、青森で合流してみわさんの運転する車に乗せてもらい、キリストの墓のある新郷村に向かうことになった。人口約2000人の小さな村である。午前中から行われるキリスト祭のスケジュールを考慮し、村唯一の宿、新郷温泉館に前泊することにした。温泉の日帰り客がメインのようだが、宿泊のための簡易的な個室がいくつかあり、1日数組が泊まれるようになっていた。
私にはどうしても確認しておきたいことがあった。新郷温泉館の食堂で夕食をとりながら、みわさんに質問をした。「みわさんって、信じている神様とか、宗教とかありますか」。私はキリストの墓に怪しい魅力を感じつつも、どういうスタンスで対峙すればいいのかまだわからずにいた。どのぐらいキリスト教と関係があるのか。また違う新興宗教的なものなのか。そういった宗教的な背景があるとしたら珍スポットとして面白がって大丈夫なのか。私は特に信じているものがないから、自分の神様を珍スポット扱いされる気持ちに鈍感かもしれない。さっきも温泉に入った後、思いっきり「月刊ムー」のTシャツを着てウロウロしてしまった。地元の人から見たら、いかにもキリスト祭をオカルト扱いする観光客という感じだったと思う。ちょっと反省した。そしてもしかしたら同行するみわさんにもなにかポリシーがある可能性もある。
そこを知りたいと思った。
すると、みわさんは少し考えてからこう言った。
「宗教かぁ。いまはまだ決めてないかも。何かいいのがあったら入ろうかな」
この言葉は、数年経った今でもずっと響いている。珍スポットトラベラーの真骨頂を感じた瞬間でもあった。彼女の珍スポットへのまなざしは、自分の常識と照らし合わせて奇妙だと思うものを外側から面白がる、というものではない。境界に足を踏み入れ、そのあわいに身を委ねる感覚。廃墟や奇祭、性や宗教をモチーフとした場所を巡ったり、ドロドロとした異様な空気を好んだりしつつも、会ってみると驚くほど透明感のある不思議な人である。フットワークは軽いが、いつも世界を誠実に受け止めている。何かいいのがあったら、と言いつつ、洗脳や搾取の気配には敏感なはずだ。みわさんと話して、なんだかすっきりした気持ちで明日のキリスト祭を迎えられる気がした。
翌朝、祭りの会場であるキリストの里公園に向かった。「第54回キリスト祭」というのぼりが出ている。歴史がありすぎる。丘になっているところに直径3メートルほどの土山が2つあり、木製の十字架が立てられていた。ひとつがキリストの墓で、もうひとつがキリストの弟、イスキリの墓ということらしい。兄弟揃って来たのか。しかし、世界中の人がひっきりなしに墓参りに訪れている……といった雰囲気もなく、かなりひっそりとしている。
ほどなくしてキリスト祭が始まった。なんだか、想像以上に厳かだ。町長や村長、地元の偉い人たちがスーツを着てずらりと並んでいる。青森県知事からのコメントも読み上げられた。公認なんだ。怪しいのにオフィシャル感がすごい。何人かのスピーチのあと、神棚の前で何らかの儀式が始まった。
神棚……? いいの? よくわからないけど、神様たけだけ かち合ってない?
笛と太鼓のがっつり和風のりとな音色が容赦無く響き、獅子舞が猛々しく跳ねる。キリスト教感が皆無だ。神主が祝詞をあげ、神事タイムが一通り済んだ。その後、村の自然やキリストの墓に関する短歌コンテストの表彰があり、最後にスーツを着た人々がりんごジュースで乾杯をして終了した。私はこの会のあまりのノンジャンルさにあっけにとられていた。一方みわさんは、あの紙コップのりんごジュースをどうにかして自分ももらえないかとそわそわしている。きっと新郷村でのし上がらないと飲めないジュースだ。世界観的にぶどう酒とかのほうが合っている気もしたが、青森要素のほうが勝ってしまっている。
ううむ、どういうことだ。どう思えばいいの。混乱していると、今度は盆踊りが始まった。ナニャドヤラ~と繰り返される民謡のような歌に合わせて、藤色の着物姿の女性たちが2つの墓の周囲をぐるぐるまわりながら踊っている。異様だ。キリスト側もこれでいいのだろうか。広場でも地元の人たちが円になって踊り始めたので、私たちも輪に加わった。ナニャドヤラ~と歌いながら見よう見まねで踊っていると、すべてがどうでもよくなっていく気がする。みわさんはこのあとナニャドヤラ公式CDも購入していた。
オカルト扱いするにはオフィシャル感がすごいし厳かすぎる。そしてキリスト教にのっとったイベントという感じはまるでない。来る前よりもさらにスタンスに迷いながら丘を降りると、道路を挟んですぐのところに妙な店があるのに気がついた。看板には「キリストっぷ」とある。明らかにミニストップを意識したロゴだった。店内はTシャツ、缶バッジ、タオル、湯飲み、線香などなど種々のキリストグッズであふれていた。おいおい、と思いながらも、この店に出会って少しホッとした自分がいた。村の人々的には、こんな感じで面白がってもいいんだ。店番をしていたエプロン姿のおばあちゃんとお話ししながら、3000円分ぐらいキリストみやげを買う。
キリストっぷの隣にはネギ味噌もちの屋台があった。香ばしい匂いに抗えず、気づいたらひとつください、と言っていた。串に刺さったあつあつの餅を頬張りながら、おそるおそる「みなさんは、キリスト教徒なんですか?」と質問してみる。すると餅を焼いていた男性がパッと顔を上げ「おらたちの中にキリスト教徒はひとりもいねえよ」と言った。あくまでこの方の意見だから、本当は村人の中にクリスチャンもいるかもしれないけれど、基本的には関係なさそうな人々で盛り上げているようだ。
キリスト祭のあとは、「キリストラーメン」が食べられるというラーメン店に行った。キリストラーメン580円。しょうゆベースのラーメンに長芋、大葉、梅、なるとがトッピングされている。なぜこれがキリストラーメンなのかと聞くと、「キリストは肉を食べないから、チャーシューを入れなかったんだよ」と教えてもらった。意外な角度でキリストを表現している。まさか引き算でくるとは。チャーシューなしと聞くと納得の低価格。キリスト祭のために東京と大阪から来たと言うとものすごく驚かれた。
そんなお店の人と私たちとの会話を聞いて、離れた席に座っていた人物が話しかけてきた。なんとさっきまで着物を着て踊っていたナニャドヤラダンサーであった。ナニャドヤラダンサーは「ありゃあ、このために東京から来たの! それだったらもっと面白いものがあるよ」と言う。聞けばそのもっと面白いものとは、「第98代天皇の墓」らしい。また墓か。しかも、最近できたらしい。本当によくわからない。もう墓はいい。私はすでにキリストでお腹いっぱいな気もしていたが、みわさんは迷わず「いまから行きます」と答えた。
私たちは予定外にキリストの墓と天皇の墓をはしごすることになった。現場に向かいながら検索してみると、第98代天皇とは長慶天皇のことで、1368年から1383年にかけて在位していたとわかった。1300年代……? で、墓が最近できた ……? 混乱。そして長慶天皇のウィキペディアには京都府京都市に天皇陵があると書いてある。どういうことだろう。
教えてもらった住所には、たしかに整備されたばかりと見える、こぢんまりとした古墳のようなものがあった。なんとキリスト祭だけでなく、2016年から長慶天皇祭も始まったらしい。この村の墓祭り文化、なんなんだ。ネットで見つけた天皇祭の記事では「真偽のほどはわからないが、ロマンがある」という村長のコメントが紹介されていた。そうか、このコメントにすべてが集約されているな、と思った。
思い返してみれば、キリスト祭のスピーチや表彰された短歌のなかにも、「ロマン」という言葉が何度も出てきた。本当かどうかよりも、ロマンが重要なのだ。キリスト云々というより、とにかくこの村にはなにかある、その誇りを村人は大切にしてきた。世の中には真実よりも大切なことがある。そんなの嘘だ、と言ってしまえばなにも生まれなかったかもしれない。ナニャドヤラ~と踊りながら、なぜかとても神聖な気持ちにもなった。「なにかある」と信じれば、なにかが宿る。怪しさをロマンと言い切る力。いろいろと無理があると思いながらもキリストっぷを作ってしまう力。
新郷村から学ぶことは多い。
パンダのうんこはいい匂い

四川省までパンダ飼育ボランティアに行くと、仕事がほぼうんこ掃除だった。ラスベガスのレストランで注文すれば生ハムだらけに。食べるために孵化させた鶏なのに、死ぬと荼毘に付す。首吊りショーで命の誕生を感じ、縄文土器で豚汁を煮る。――藤岡みなみさんが心の赴くまま、あちこちへ足を運び、あれやこれやと首を突っ込む。好奇心の向こう側にはいつも、想定外の未来。過去の価値観から解き放たれる、面白異文化エッセイを試し読み!












