『パンダのうんこはいい匂い』……一度見たら、思わず二度見したくなるタイトル!
藤岡さんが好奇心のまま、さまざまな場所に行ったり、さまざまな体験をして、そこで出会った”異文化”との触れ合いを綴ったエッセイ。
今回の藤岡さんが行ったのは、小学生のキャンプの引率のボランティア。なぜそれが「大人になった日」というタイトルのエッセイになったのか…。早速お読みください!
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大人になった日
子どもと大人の境目はどこにあるのだろう。私が大人になったと感じたのは、18歳から19歳になる瞬間だった。
当時、やったことのないことにはなんでも挑戦しようというザ・大学生な目標を掲げ、アルバイトや奉仕活動、資格取得などに勤しんでいた。ある時その一環として、夏休みに小学生のキャンプを引率するボランティアの募集を見つけて応募してみた。地域の児童館が主催しているもので、未経験でも事前に2時間の講習を受ければOKらしい。今考えると結構危うい。子ども関係の仕事に就くための勉強をしているわけでもなし、いきなりやって来たこんなふわふわした大学生をよく信用したなと思う。
1泊2日のキャンプで、参加者約50名に対して引率者は5名。ベテランスタッフ4人と私、という構成だった。なんかちょこっと付いて行って、たまにベテランのサポートをすればいいのかな? 荷物持ちとか? くらいに思っていたら、私がひとりで小学3年生の男の子を10人担当するのだと言われて焦った。それでも朝はまだまだ「まあみんなで行動するし大丈夫か、そんな大役なはずがない」と引率される側の気分でおり、新宿駅の集合スペースで点呼のあと「パンダちゃんって呼んでね」と気の抜けた自己紹介をしたりした。まだ知らなかったのだ。小学3年生が持つマグマのようなエネルギーを。
バスで山に到着した。パンダちゃんはすでに4発、腹部に蹴りを食らっていた。帰りたい。まず、キャンプ自体の経験値が皆無であることに山に着いてから気づいた。ひとりだとしても何もできないのにいきなり小学生10人の引率。何かがおかしい。すぐに、班ごとに昼食のカレーを作ることになった。まあカレーを作るぐらいなら余裕だろうと思っていたら、なんと火起こしからのスタートだった。まいぎり式と言われる、棒と板と紐を組み合わせて弓のような形にした火起こしの道具が配られ、あとは頑張ってね、というスタイル。やったことないし、やったことがあったとしてもかなりハードな作業だと思う。どうしよう、10人の子どもたちにひもじい思いをさせてしまうかもしれない。見よう見まねで1時間粘ったが、結局煙すら立たなかった。力がないせいもあるが、子どもたちが後ろからかわるがわる羽交い締めにしてくるというハンデも大きい。ハードすぎる。恐る恐る隣の班のリーダーに頼み、やっと小さな火がついたかと思うと今度は圧倒的に薪(まき)が足りない。先のことを考える余裕がなさすぎる。子ども達に木の枝をいっぱい拾ってきて、とお願いした。ハーイ! と元気な返事で飛び出して行ったが、待てど暮らせど誰も戻ってこない。立ち上がって丘の下を見ると、パンダちゃんチームのメンバーは缶蹴りで盛り上がっていた。誰も枝など拾っていない。楽しそうで何より。私が枝を調達しに行きたいが、離れると火は今にも消えてしまいそうだ。なんか怖そうなベテランにもう一度頼む度胸もない。引率者たちは体育会系のノリが強くてついていけず、大人の輪にも入れなかった。自分でなんとかするしかない。つらかったが、持ってきた宮沢賢治の文庫本を1ページずつちぎって燃やした。宮沢賢治、ごめんなさい。本の神様、ごめんなさい。空き時間に本が読めるという甘い考えを抱いていた頃を懐かしく思った。よく燃えた。
賢治が燃えている間に、数メートル先にずっと見えていた大きめの木を取ってきた。
直径15センチ、長さ60センチほどだろうか。少し腐っているようだが、これがうまく燃えてくれればしばらくは安心できる。がんばれ、がんばれ。追い賢治で焚きつけると、火が木に燃え移った。よしよし。火って美しい。ゆらめいてずっと変化して、もう二度と同じ形になることはない。ぼんやり見つめていると視界が滲(にじ)んできた。目の端で白いものがどろりと溶け出す。幻想的だ、と思ってよく見ると、白いのは木の中から逃げ出す大量の蛆虫(うじむし)だった。ヒイッ。地獄を生み出してしまった。でももう仕方ない。逃げているので大丈夫なのかもしれない。なるべく見ないようにしたが記憶から消しきれず、お腹が空いているのに食欲がなくなってしまった。仕方なく私だけ白ご飯はやめてカレーのルーだけ食べることにした。山って厳しい。
地味につらかったのは皿洗いだった。大鍋と11人分の皿をすべて、2リットルの水だけで洗えと指示され、そんな無茶な、と思った。それができたらエコで素晴らしいが、実際は汚れを先に拭き取ったとしてもなかなか難しい。最も懐いてくれた子から時おり脇腹にパンチをくらいながらなんとか洗い切った。山の試練は続く。
初日の夕方、すでに体の疲れと帰りたさがピークに達した。ちょうど子どもたちはグループ関係なく引率の大人たちががっちり見守っているようだったので、「お手洗いにでも行っておいで」と言われたタイミングで隙を見てひとりでテントに隠れた。後にも先にも、人生でこんなにわかりやすく責任を放棄してサボったのはこの一度きりだ。ものすごく罪悪感があったが、心身ともに限界が来ていた。ちょっとだけ。ちょっとだけ回復したら戻ろう、と横になった瞬間、「えっと、なにしてるの?」という声が聞こえた。テントの入り口からこちらをのぞいているのは、火起こしを手伝ってくれた隣の班のベテラン引率者だった。終わった。子どもも守れず、大人からの信頼もガタ落ちだ。結局1分も休めず、バツの悪さだけが残った。
夜になった。テントは広かったが、10人の子どもたちの寝相は悪く、私が寝られる場所なんかどこにもなかった。本来靴を脱ぐスペースで、これ以上ないくらい体を細くして目を閉じる。寒すぎて眠れない。私には子どもと関わる仕事はきっと無理なのだろう、と考えた。保育士、教師、児童館の職員、小児科医その他みんなすごすぎる。それに比べて自分はなんと頼りないのだろう、と落ち込んでいると、「パンダちゃん」と呼ぶ声がした。唯一、一緒に蛆虫と戦ってくれたいちばん小柄な子がトイレに行きたいのだという。トイレの場所をあんまりよく覚えていないが、連れて行くしかない。腹をくくって外に出た。辺りは想像していた何倍も暗く、どこにも光が見当たらないと言っていいほどだった。山の本当の恐ろしさはこれだったのか。山には街灯がない、街灯がないと夜はこんなに暗い、という当たり前の事実をその時初めて知った。すぐそばにいるはずなのに、簡単に見失ってしまいそうな子どもの手をきゅっと握る。怖い。山を甘く見つつもギリギリ持ってきていた小さな懐中電灯のスイッチを入れる。ああ。できれば頭につけるライトを持ってきてください、と言われていたのをスルーしていたが、こういう時に必要だったのか。洞窟で作業するんじゃないんだから、とか思っていた。夜、山でトイレに行きたいなら頭のライトが必須だ。実体験がないと想像できないことは多い。暗くて寒くて怖い。熊とか出たらどうしよう。でもこの子には私しかいないのだから。漏らすわけにはいかないし、やるしかない。
幸い思ったよりトイレは近く、私のしょぼい懐中電灯でもなんとかことなきを得た。
思えばこのミッションが一番、自分のことを大人だと意識した出来事だったかもしれない。法的に成人して、よーいスタートで大人になるのではなく、立場や役割が私を大人にした。
トイレから2時間後、やはり寒さと体の痛みで眠れずにいると、今度は引率者の中で一番偉いように見える人に呼ばれた。
「いまみんなで集まってるんだけど、ちょっと来て」ああ、怒られる。絶対に。子どもたちが寝た後にミーティングをしていたのだ。そこで、あいつがサボっていたという話が出たのだろう。自業自得だが、こんなにつらいのに深夜にこれから説教かと思うと泣きそうだった。
肩を落とし、うつむきながらついて行くと、暗闇にポツンポツンと小さい灯りがいくつか見えた。山を知らない私は、ホタルか何かかなと思って近づいた。
「ハッピーバースデートゥーユー」
アウトドアテーブルを囲んで座っていた大人たちが立ち上がって歌った。小さな灯りは火のついたローソクで、コンビニで売っている細長いロールケーキに1列に並んで刺さっていた。定価160円で売っているのを見たことがある。
事前に提出した書類を見て、今日が私の誕生日であることに気づいた人がいたという。時計を見ると0時を少し過ぎたところで、ちょうど19歳になった瞬間だった。
サプライズのために消してくれていたハロゲンライトが再び点灯し、引率者たちの顔が夜の山に浮かび上がった。こちらに向けられている笑顔をまじまじと見てみたが、全員驚くほど馴染みがない。曲がりなりにも今日1日を一緒に過ごした仲だというのに。怒られなくて済んだし、こんな私のためにケーキを用意してくれたのも嬉しいけれど、一度しかない19歳の誕生日を全然知らない人と過ごしているなぁ、としみじみ思ったのを覚えている。こういうのが、大人の世界なのかもしれない、とも。
パンダのうんこはいい匂い

四川省までパンダ飼育ボランティアに行くと、仕事がほぼうんこ掃除だった。ラスベガスのレストランで注文すれば生ハムだらけに。食べるために孵化させた鶏なのに、死ぬと荼毘に付す。首吊りショーで命の誕生を感じ、縄文土器で豚汁を煮る。――藤岡みなみさんが心の赴くまま、あちこちへ足を運び、あれやこれやと首を突っ込む。好奇心の向こう側にはいつも、想定外の未来。過去の価値観から解き放たれる、面白異文化エッセイを試し読み!










