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パンダのうんこはいい匂い

2026.06.20 公開 ポスト

『パンダのうんこはいい匂い』文庫版発売記念試し読み

首吊りパフォーマンス、一度この目で見てみたいと思った。藤岡みなみ(エッセイスト/タイムトラベラー)

パンダのうんこはいい匂い』……一度見たら、思わず二度見したくなるタイトル!

藤岡さんが好奇心のまま、さまざまな場所に行ったり、さまざまな体験をして、そこで出会った”異文化”との触れ合いを綴ったエッセイ。

今回のエッセイは、過激かと思うかもしれませんが、とても静かな回です。

*   *   *

首吊りショーの庭

首くくり栲象(たくぞう)、という人がいる。ネットでたまたまインタビューを読んで以来、頭から離れなくなった。「首吊り続けて20年 首くくり栲象を駆り立てるもの『毎日5回はやる』」というタイトルの記事だった。50歳から首吊りパフォーマンスを始め、月に数回、自宅の庭にある手作りの劇場で披露しているという。一度この目で見てみたいと思った。

新大久保の、ここに食堂があると信じて突き進まなければ決してたどり着けないネパール料理店「ソルティカージャガル」で友人と食事中、ふと思い出してこの話をしてみた。いつか首くくり栲象の庭に行ってみたいんだよね、と言うと友人は「あ、私も行ってみたいと思ってた!」と即答した。その友人とは、もちろん金原みわさんである。

庭劇場はJR国立駅から徒歩15分ほどの場所にあった。ホームページで事前にチェックした19時の開演に合わせ、高級住宅街を進む。突如として、ビニールシートに覆われたあばら家が現れた。立ち入り禁止と書かれた駐車場をおそるおそる通り抜け、草をかきわけて敷地に足を踏み入れる。するとそこには、遠くから見たときよりもずっと素敵な家があった。大きな縁側が印象的な木造の平屋で、縦に長い10畳ほどの庭がある。庭の奥には立派な椿の木があり、一番太い枝に輪っかになった赤い縄がくくりつけられていた。首吊り台だと気づき、はっとする。

(写真:藤岡みなみ)

入り口側、首吊り台からだいたい3メートルのところに簡易的な客席が用意されていた。椅子が5つと、ベンチというより板、と言いたくなる長い木の座席。玄関にあったささやかな木箱にお金を入れ、せっかくだからと最前列に腰を下ろした。静かで、儀式の前のような神妙な空気が漂っている。縁側のそばに置かれた火鉢の中で炭がパチパチと燃える音だけが聞こえた。みわさんも私も好奇心はあるが決してガツガツいけるタイプではないため、この独特の空気に完全に飲まれて押し黙っていた。

私たちの後に、落ち着いた雰囲気の男女2人組が庭に入ってきた。「あれ、今日は人少ないんだね」などと話している。リピーターのようだ。首吊りショーのリピーターとは、一体どんな人なのだろう。振り返りたい気持ちを抑え、ただただ火鉢と首吊りの縄を交互に見つめていた。

ほどなくして、オレンジ色の明かりが漏れる家の中から細身のおじいさんが現れた。

縁側の柱からぴょこんと顔を出している。あれが栲象さんか。ベージュのタートルネックがよく似合っていて、表情も柔らかい。想像していたよりもかなりキュートな印象を受けた。

「咲いてるでしょ」

最初の言葉はこうだった。そう言って栲象さんは椿の花を指差した。たしかに、濃いピンク色の椿がポンッポンッと咲いている。よく見ると首吊りの縄が垂れ下がっているちょうど真下のところに、落ちた花びらが小さなじゅうたんを作っていた。

「では、始めます」

栲象さんはゆっくりと動き始めた。どのくらいゆっくりかというと、縁側から庭に降りるまでに体感で20分はかかっていた。とても静か。この座り心地がいいとは言えない座席からほん少しでもおしりを動かせば、大きな音を響かせてしまいそうだ。

ようやく庭に降り立った栲象さんは、椿の木の元へ行くとひたすらうろうろした。上品なうろつきかただった。穏やかに歩きながら、首吊り縄を見たり、見なかったりする。しばらくその動きを眺めているうちに、これはまるで死を意識したりしなかったりする私の日常のようだと思った。

縄を見たり見なかったりする動きのあと、今度は縄に手をかけたりかけなかったりするフェーズに移った。輪っかに頭を入れていよいよかと思うと、スッと離れたりする。これも、死ってこういうものかもしれない、と思わせる切実さがあった。

そしてついに栲象さんが首を吊った。実際のところ、首というよりアゴだった。リピーターを除く全員の頭の中に「アゴ……」という言葉が浮かんでいたと思う。どうやらアゴの力でぶらさがっているようだ。そりゃそうだ、本当に首を吊ったら死んでしまう。アゴでよかった。

両足は肩幅ほどに開かれ、ピーンと硬直している。重点はアゴだなとわかるものの、その姿はやはり衝撃的だった。さっきまでしなやかに動いていた肉体が、人形のように吊るされている。あんなにゆっくり縄を見たり、手をかけたり、首を入れては戻したりを繰り返していたのに、首吊りのシーンで表現される死はとても唐突に感じた。椿の花びらが数枚、ぼとっといっぺんに落ちた。栲象さんは首を吊ったまま、重みでゆっくりと回転している。見ているこちらも息をするのを忘れてしまう。どれくらいの時間が経っただろうか。車が通る音や、住宅街の生活音が聞こえてきた。聞こえてきたというか、ずっと聞こえていたのかもしれない。しばらくしてから聞こえているのに気がついた。それは栲象さんの表現した死というものが、世界に馴染んだ瞬間のようだった。唐突で圧倒的な死の瞬間と、遠くから聞こえる誰かの生活音。急に訪れるものと続いていくもの。生きていることのリアルだ。

アゴとはいえ、こんなに長時間吊られていて大丈夫だろうか。不安な気持ちがむくむく膨らんできた頃、スポン! という音がした。一瞬何が起こったのかわからなかった。栲象さんが縄から勢いよく頭を外し、地面に降り立ったのだ。今になってよく考えてみると、縄と皮膚でそんな音するかな? と思うのだが、それでもやはり、あの瞬間の音は絶対に「スポン!」だった。

あ。生まれた、と思った。赤い首吊り縄が、今度はヴァギナに見えた。死が唐突なら生も唐突だ。栲象さんはまた生まれたのだった。なんだか胸にあたたかいものがこみ上げる。椿の花がきれいだ。さっきとはまた違った可憐さを感じる。

栲象さんはゆっくり、歌舞伎にもバレエにもどこかの国の舞踊にも見える不思議な動きで、椿の木の下を歩き回った。そしてたっぷりと時間をかけて縁側にのぼり、家の中に入っていったのだった。今見たものはなんだったのだろう。現実に戻れずにぼんやりしていると、栲象さんが柱の陰からぴょこんと顔を出し、ちょっと恥ずかしそうに「おわりです」と言った。ショーの開始から1時間が経過していた。

すごいものを見た。想いが溢れる脳を夜風で冷ましながら、椿の季節に来られてよかったな、と思った。椿と首吊り台の相性は格別だった。椿の季節以外はどんなふうに見えるのだろう。ああ、もしかしたらこれがリピーターの心理なのかもしれない。

「簡単な食事があるので、どうぞ」

首吊りショーの後は栲象さんの家で観客と食事をするのが恒例らしい。栲象さんのことをもっと知りたくて、お言葉に甘えてお邪魔することにした。年季もののコタツを中心とした6畳ほどの和室で、奥の暗闇に台所とトイレがある。壁一面に積まれた本があちこちで雪崩を起こしていて、ほこりと猫のおしっこの臭いがした。

その日の7名ほどの観客のうち、食事会まで残ったのは舞台女優、アジア雑貨店の店主、埼玉で米作りをしている男性という顔ぶれで、私とみわさん以外は全員常連のようだった。栲象さんが焼きそばを作って大皿に盛り運んできてくれた。すごくちぎれた麺だな、と思ったけれど熱々でおいしかった。誰かの差し入れの焼酎やおかきもごちそうになった。

少し離れたところに正座していた私とは違い、みわさんはなんの抵抗もなく、実家みたいなスムーズさでコタツの中に入った。そして「これよかったらみなさんで食べましょう」と言ってカバンの中からアナゴ天を出した。

ショーの前、せっかく国立に行くならということで「深川つり舟」という有名店を2人で訪れていたのだった。「深川つり舟」の名物はデカ盛り天丼である。30センチ以上あるアナゴが2本ものっていて、丼ぶりの左右に大きくはみ出している。私は先客のテーブルの上にあった丼ぶりを見て、これは絶対に食べきれないと思い普通の海鮮丼を注文した。みわさんは果敢にアナゴ天丼を注文し、案の定食べきれず店の人に頼んでパックに詰めてもらっていた。その食べかけのアナゴを食事会の場で提供したのだ。あらゆる意味で、本当にこれは良い意味で、境界のない人だなと思った。

お酒を飲んでいたこともあり、尿意を感じ、お手洗いをお借りすることになった。和室の奥のドアを開けると古びたトイレがあり、個室に対して便器が斜めに設置されていた。トイレットペーパーも妙な位置にあった。壁に手書きで「むずかしいトイレです」という張り紙があり、それが無性に心に沁みた。栲象さんの優しさだ。

こたつに戻ると、皆は現代舞踊やアートについて語っているところだった。すると栲象さんがなんの前触れもなく私を見つめてこう言った。

「きみ、歌えるでしょ」

これは、飲み会で場を盛り上げるためのよくある無茶振りとは少し違う気がした。きみって歌える人でしょ? という、魂への問いかけ。歌唱力のことを言っているわけでもない。私が音楽をやっていることも話していなかったから、するどいな、と感じると同時にひるんだ。確かにバンドをやっていたりしたけれど、自分のライブでもないのに知らない人の前で急に歌える性格ではないのだ。でもこの特別な夜に、栲象さんのピュアな期待を裏切りたくなかった。少しおどおどしてから、歌った。

「ハッピーバースデー、ディア、栲象さん。ハッピバースデートゥーユー」

さっき首吊り台で生まれた、栲象さんへ向けたバースデーソングだ。死を見たというより、生まれたところを見たような気がしたから。栲象さんは目を細め、照れたように笑ってくれた。

「おれは自分の生まれた日は知らないけど、なんだかうれしいなあ」年末に生まれて、戸籍上の誕生日は1月1日になっているらしい。長髪で夜なのにサングラスをかけているアジア雑貨店の店長が、アロハシャツの中からオカリナを取り出して吹いた。賑やかな誕生日会だった。

栲象さんは群馬で生まれて、18歳で上京し、芸術家として舞踊やパフォーマンスなどの活動をおこなってきた。50歳になる直前に、首吊り一本でやっていこうと決めたという。首吊りなら飽きない。首吊りなら続けられる。死は生まれた時からのテーマだった、と栲象さんは言った。とても極端だが、なんだかわかる気もした。アーティストが自分の表現を突き詰めた結果、たどり着くテーマが生と死というのはごく自然なことだ。首吊りパフォーマンスと聞くとギョッとするが、その実態は、本人が新鮮な気持ちをもってやり続けられて、観た者に必ず生と死を強烈に感じさせることのできる崇高な芸術なのだった。ある意味すべての芸術家が追い求めていると言ってもいい、究極の表現かもしれない。

庭劇場を訪れた1年後、インターネットで栲象さんの訃報を知った。70歳、肺がんとわかってからたった20日ほどで逝去されたという。その後、家もあっという間に取り壊されてしまったようだ。あの夜が幻のように思える。亡くなられたことを知ったとき、最初に思い浮かんだのは大皿に盛られた焼きそばだった。記憶の中でもあつあつで、湯気が出ている。

栲象さん、死ってどんなものですか。 

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パンダのうんこはいい匂い

四川省までパンダ飼育ボランティアに行くと、仕事がほぼうんこ掃除だった。ラスベガスのレストランで注文すれば生ハムだらけに。食べるために孵化させた鶏なのに、死ぬと荼毘に付す。首吊りショーで命の誕生を感じ、縄文土器で豚汁を煮る。――藤岡みなみさんが心の赴くまま、あちこちへ足を運び、あれやこれやと首を突っ込む。好奇心の向こう側にはいつも、想定外の未来。過去の価値観から解き放たれる、面白異文化エッセイを試し読み!

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藤岡みなみ エッセイスト/タイムトラベラー

一九八八年兵庫県淡路島生まれ。文筆業のほか、ラジオパーソナリティやドキュメンタリー映画プロデューサーとしても活動。時間SFと縄文時代が好きで、タイムトラベル専門書店utoutoを東京都板橋区にオープン。著書に『ふやすミニマリスト』『ぼちぼち』『時間旅行者の日記』など。

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