日本の歴史を面白く読ませる、房野史典さん。『13歳のきみと、戦国時代の「戦」の話をしよう。』は、いまだに増刷を続けるロングヒット作品ですが、今回の連載は「歴史を動かした”事件”」で歴史を読んでいこう!というもの。
それにしても奈良時代て、大災厄は毎年のようにあるし、ひどい殺し合いもあるし、悲惨な時代だったんですね…
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よし、おさらいすね。
ほぼ毎年、災害や疫病が発生。
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聖武が遷都を繰り返しながら、いろんな政策を出す。
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仏教パワーに頼った聖武。すると——
ではね、聖武の次の天皇で、彼の娘「孝謙天皇」のお話へと移ってみましょうか。
ここから、孝謙天皇を中心にすんごく目まぐるしい展開となってゆくのですが、紙幅に限りがあるから、ここはすんごく端折るよ(ごめんよ)。
孝謙が天皇となると、聖武は太上天皇、光明は皇太后(先代の天皇の皇后 or 天皇の母)となって、光明皇太后の推しメン「藤原仲麻呂(武智麻呂の子)」がメチャ力を持つようになる。
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孝謙は独身で子どもがいなかったことから、仲麻呂の推しメンが「淳仁天皇」として即位し、仲麻呂の権力がトップオブザワールドになるんだけど……。
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孝謙が「道鏡」という僧と仲良くなりはじめると、孝謙と淳仁との仲がメチャ悪くなっていき、ついには「孝謙 VS 仲麻呂・淳仁」の戦いが勃発(「藤原仲麻呂の乱」)。これに孝謙がボロ勝ちして、彼女が再び「称徳天皇」として即位(”重祚”っていうよ)。
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称徳の横で僧・道鏡がとんでもねぇ地位に昇りつめ(太政大臣禅師&法王)、称徳がまさかの「道鏡を天皇にしよう!」という雰囲気をバリバリだすけど、この計画はさすがにポシャる。
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で、称徳が亡くなると、道鏡は地方に飛ばされる。
皇族じゃないお坊さんが、あわや天皇に。かなり激ヤバ事件だけど、計画はなくなり、全貴族がホッと一安心……とは、まるでなりません。
だって、称徳には子どもがいないんです。なのに、彼女は後継者を指名しないまま亡くなってしまったんですね。
こいつは大ピンチです。
朝廷のみなさん的には、
「〈天武ー草壁ー文武ー聖武〉の血を引く人に天皇になってほしい」
って考え。
だけど、天武から聖武ラインの血統を受け継ぐ人なんて、もうどこにもいな——————
藤原氏「あれ……? ちょっと待って……聖武天皇にむす……いけるかも!!」
と叫んではないでしょうが、政府の首脳陣は「これだ!」と言わんばかりに会議を開くんですね。
実は、聖武とキサキとの間には、娘さん(井上内親王)がいたんです。
で、この聖武娘は、”天智天皇(中大兄皇子)のお孫さん”と結婚してたんですね。そして何より重要なことに、
2人の間には男子がいたんです(ってことは……)。
聖武の娘が生んだ男子=〈天武から聖武〉の血筋をバッチリ受け継いだ男の子
が、なんとこの世に誕生していたんです(ブラボー)。
ただ、この子・他戸親王(おさべしんのう)はまだ幼い。んじゃ、彼が大きくなるまで、彼のお父さん、"天智天皇のお孫さん"に、天皇になってもらおうじゃないか。
ってことで話しがまとまり、他戸が成長するまでの”中継ぎ”の天皇、「光仁天皇」が誕生したんです。
光仁が天皇に即位すると、聖武娘は皇后に。そして、もちろん他戸は皇太子となるんですね。
うん、これですべてが一件落ちゃ———
藤原良継・百川「いや、皇太子には山部親王だ」
物語にハプニングを添えてくれるのは、いつだって藤原氏。
藤原宇合(2回前の連載を見てね)の子で、藤原良継と藤原百川という兄弟が皇太子に望んでいたのは、他戸でなく「山部親王」。光仁の子だけど、聖武娘とは別のキサキ(高野新笠)との間に生まれた人だったんですね(才能を感じたのか、30代中盤という年齢がよかったのか)。
しかし、これはまぁ無理な話です。
天皇や皇太子になるには「母親が皇族か、ま、今はギリ藤原氏もオッケーかな」というご時世に、山部の母はそのどちらでもなかった。
さらに、キサキランクも夫人(2回前の連載を見てね)と、決して高いわけじゃなく、聖武娘と比べるとかなり出自が低いわけです。
加えて、”聖武の血を引いた他戸の存在ありき”で、今回のプロジェクトが始まってるんですから、山部が皇太子になるなんてありえない。
はずだったんです。
朝廷の誰か「聖武娘さん! あなた! 光仁天皇を呪詛した……らしいな!」

起こりますよね、事件が。
「呪詛」ってのは「人を呪う」ってこと。そんなのがリアルに信じられていた時代ですから、これは重罪です。
なんとこれで、聖武娘は皇后を、他戸は皇太子を廃され、のちに幽閉(特定の場所に閉じこめること)されて、その後”同じ日”に亡くなります。
聖武娘が呪詛した証拠は何もないし、親子が同じに亡くなるという不自然さ。そして何より、新たに皇太子となったのが山部です。
良継・百川「いや、何もやってないですよ」
やってるだろ。
ただ、良継・百川の謀略に違いないとは言われてますが、あくまで”違いない”という推定無罪状態です。
が、とにかく山部が皇太子となり、そのまま新たな天皇
『桓武天皇』
として即位するんですね。
で、即位から3年後、
桓武天皇「新たな都をつくる!!」
『長岡京』(京都府)を造り、遷都することを決めるんです。

少しお待ちを。まだ平安京ではないんですよ。ただ、ようやく「なぜ平城京を捨てちゃったのさ?(2回前の連載で書いてるね)」の問いに答えるタイミングがやってまいりました。
もう答えは半分披露しています。
聖武が仏教の力に頼った結果、寺や僧侶の力がどんどん強くなり、しまいには、お坊さんが天皇になるかも、なんて事件が起きてしまった。
そう、桓武天皇が平城京を捨てて、新たな都をつくった理由。それは、「仏教の勢力を排除したかった」から
と、よく言われますが、
それだけじゃないんです。
「仏教勢力の排除」以外にも、いろんな要因があったんですね。
たとえば、勢力をもってるって意味じゃ、貴族もやっかいです。
奈良には、古墳時代からの豪族のホームタウンがそこらじゅうにあって、都の外にも別荘や荘園を持ってたんですね。
桓武は貴族たちを拠点から引き剥がし、完全に自分の下に置いてコントロールするためにも、奈良を離れる必要があったんです。
あとは「水陸の便」。
陸上交通も便利な上に、なにより近くには桂川・木津川・宇治川などの大きな川があったんですね。車も飛行機もない時代、大きな荷物を運ぶには船が1番ですから、長岡京は最高のロケーションだったんです。
が、しかし。実はこれらは、”1番の理由”じゃないんです。
もっともっと強くて、もっともっと根本的な理由が、桓武にはあったんです。
それは———
また後でお伝えしましょう。
さ、長岡京に都を移すことを決めた桓武。もう急ピッチで新たな都を創り上げていくんですね。
その現場責任者となったのが、桓武が大きな信頼をよせる「藤原種継」という人です。
その種継が、昼夜を問わず工事を頑張っていたら——。ピュン! っと何者かが放った矢が

種継「ぎゃぁぁぁーーーーーーー!!!」
種継の身体を貫き、翌日息を引き取ります。
桓武「た、種継が!? 許さん……犯人はだれだ!!!」
事件に関わった者たちを突き止め、逮捕すると、
桓武「大伴に、佐伯に……って、弟・早良親王に仕えてるやつらばかりじゃないか!」
犯人たちは、桓武の弟・「早良親王」の了承を得た上で種継を暗殺したと、そう言うんですね。
早良は、このとき皇太子(皇太弟)となっていたんですが、以前は東大寺などでお坊さんをやっていたと言われています。遷都に反対する勢力の中心にいてもおかしくない——そう考えた桓武は、早良を幽閉するのですが、
早良親王「何かの間違いだ! 私は暗殺に加担などしていない!」
と、全面否定。
早良が事件に関与していたかどうかは今でも謎なのですが、彼は抗議のために食を断ち(一説には”飲食物を与えられず”)、10日余りののちに亡くなったのでした。
臣下の死に、弟の処罰。かなりショッキングな事件が立て続けに起こったけど、桓武はそれでも、都の工事を休むことなく続けさせるんですね。
さらには、
桓武「蝦夷の征討を行う!!」
蝦夷を武力で従わせるべく、大軍を差し向けます(蝦夷を征討する、討つことを”征夷”って言います。「征夷大将軍」の本来の意味と仕事っすね)。
もうガンガンイケイケのドンドンバンバン。
行動力、積極性、活発性、前進、24時間戦えますか。このとき、桓武の心身の9割以上のシェアを、これらの言葉が占めていたはずです。
でもね、歴史の神様ってのは、ホントにプレゼントが好きなんです。”試練”という名の。
なんと桓武のまわりでも、
不幸が咲いて乱れるんですよ。
(つづく)
13歳のきみと、日本の歴史を動かした事件の話をしよう。

『笑って泣いてドラマチックに学ぶ 超現代語訳戦国時代』『笑えて、泣けて、するする頭に入る 超現代語訳 幕末物語』『13歳のきみと、戦国時代の「戦」の話をしよう』などなど、ロングな人気作の多い房野史典さん。
絵がうかび、笑いながら読んでいたら、気づけば頭に入ってた! という、驚異の歴史語りは、一度読んだら大人も子供もみんなハマる!
歴史の大先生方からもお墨付きをいただいている房野さんの新連載は、「有名な事件を読み解くと、歴史の動きが見えてくるよ!」ということを教えてくれます。
歴史の面白さがグングン深まっていく、ゾクゾクする感覚をお楽しみください。










