今回ご紹介するのは、野原広子の最新作『うちのツマ知りませんか?』(オーバーラップ)です。

野原広子は、本欄でもすでに、『赤い隣人』(KADOKAWA)を取りあげました。
『赤い隣人』は、夫の暴力から逃げて保育園児の息子と二人だけでアパート暮らしを始めた女性を扱う、サスペンス豊かなマンガでした。
野原作品の形式は基本的に4コママンガで、その形式に沿って、描線はユーモラスに単純化されています。
しかし、題材は夫婦生活の機微を描くことが多く、そこからしばしば、4コママンガとしては珍しく、人間の心の闇に踏みこんでいきます。
そのため、『赤い隣人』もそうでしたが、夫婦間のコミュニケーションの障害が、暴力的なできごとにつながる場合もあって、その場合は、一種のクライム・ストーリーへと変質していきます。
本作『うちのツマ知りませんか?』は、まさに、夫婦のデリケートな関係が犯罪的な暴力へ滑りこんでいく微妙な境界をとらえた作品です。
主な登場人物は、55歳の専業主婦・ヨシ子と、夫の康。
この夫婦には、30過ぎの一人息子・達也がいますが、すでに独立して結婚しています。
ある日、ヨシ子は、夜中に醤油を買いに行くといって家を出たきり、戻ってきません。
康は仕方なく警察に相談に行きますが、ある橋の上で、ヨシ子愛用のネコの絵がついたサンダルが見つかっただけでした。
康は、ヨシ子がパートをしていたスーパーに行き、事情を尋ねますが、ヨシ子は人員整理で仕事を辞めさせられていただけでなく、元カレと思われる男と親しく語りあっていたというのです。
家に帰った康がゴミ箱を調べると、そこから、ヨシ子の筆跡で男の名前と電話番号が書かれた紙きれが出てきます。康はさっそく、その番号に電話をかけてみますが、応答はまったくありません。
一方、心配した息子の達也が実家に戻り、家のなかを見てみると、康とヨシ子の寝ていた寝室の枕元の壁が叩き壊されて大きな穴ができ、そばにはバットが落ちていました……。
野原マンガのうまさは、主人公(この場合はヒロインのヨシ子)の心理と行動を描くだけでなく、周辺の人物の反応や考え方も無駄のない絵とセリフで点描していくところにあります。
『うちのツマ知りませんか?』でいえば、達也の妻(つまりヨシ子と康のおよめさん)の自立した女性像が専業主婦・ヨシ子のつらさの効果的なひき立て役になっていますし、ヨシ子のパート先の売場の親分のような女性が、最初は悪役に見えて、しだいにいい味を出していくところなど、人間描写の細やかさこそが、野原マンガのキモだといいたくなるほどです。
じつをいうと、失踪後のヨシ子の生活もこのマンガのもうひとつの興味の焦点として、不思議な描きかたをされるのですが、これはオチにもつながることなので、読んでのお楽しみということにしておきましょう。
マンガ停留所

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