100 時間リレーのこと、どうやって振り返っていいのか、時間の感覚を奪われた頭では記憶の前後が詳しく思い起こせない。
「⾵向きを変えなきゃ。」沈黙の中で誰かがつぶやいた。顔を⾒渡すとメンバーの誰もが⾃分ではないといったふうに⾸を横に振った。どこからきた声なのか、もしかしたらわたしたちの影のうちのどれかが⾔ったのかもしれなかった。磁場の乱れた部屋で⽅位磁⽯の針は乱れ、⾒上げたわたしたちの帆はしっかりと破れている。どうやってこの船を漕ぎ出せばいいのかわからないが、起きていない⾵なら起こせばいい。能動的な気持ちが回り始めると、わたしたちの⾏動は早かった。⼀週間でメンバーを集める。デニーズに夜通し通い、全感覚祭のような脳の痺れを共有しながら、準備を始めた我々の船は動き出す。
「こんなことになんの意味があるのか?」そんなことを⾔い出す⼈はいなかった。誰もが⽩紙の計画書に意味を与えようとしているのがわかっていたから。
100 時間リレーの準備はタイムテーブル作り、会場の警備や受付に告知まわり、アーティストとの連絡。そのほとんどがルールなき曖昧なモヤの中で進んでいく。ほとんどミュージシャンとは呼べない稼働の⽇々に、⾳楽とだけ向き合うことが許されている 100 時間が俄然楽しみになっていた。⾳の中に⼊ってしまえば、連絡の応酬から解放され、鳴らす振動と⾳符とだけいられる。そのくらい事前準備の時点で追い込まれて寝ていなかった。
「いつもどうしてこんなに急なんだろう?」そんな⾔葉が聞こえてファミレスで⾸を上げるとみんながわたしを睨んでいる。お前だけは⾔うなという顔。ジンジャエールを取りに席を⽴った。
100 時間リレーが始まる。四人ではじめたオープニングセレモニーから⼋雲を残し、メンバーが⼀⼈ずつ退散していく。最初のゲストであるスチャダラパーの BOSE さんが⼋雲に合流して始まった。⼆時間の枠を⽤意していたが、お客さんの出⼊りも含めての時間で、ライブは 30分 から40分くらいになっていくのだろうと当初は予想していた。でもきっちり⼆時間やった。その流れが後々までアーティストの流れを作っていく。BOSE さんは「こんなペースでやってたらもたないよ」と冗談で⾔っていたが、恐ろしいことにこんなペースのまま 100 時間⽬まで雪崩こむことになる。川の始まるところを⾒た。二階ではパーティーが始まり、地下⼀階では KOPY や久下さんとセッションしていく。全ゲスト共通だが⼀緒に練習などおろか、打ち合わせすらないままステージに上がり、⾳の会話の中で流れを作っていく。これは結構驚異的なことで、当然⽣々しく、たじろぐ瞬間が現れる。⼈の営みと同じ、現在進⾏形で起きているライブで、ショーと呼ばれる華々しいステージとは違い、擦り傷やえぐれた時間をもシェアする試みなのだとこのあたりでお客さんもわかっていった気がする。久下さんとのライブで混在した⾳の粒⼦の中から活路を⾒出した時、⽤意された時間を⼀気に追い越す⼋雲に⽻が⾒えた。
わたしの時間は夜の 21 時に始まる。⼋雲の左手は最後の2時間、腱鞘炎の⼿前のように弦が抑えられなくなっていた。右⼿でルートでのみセッションする中、わたしにパスされる。まだ世界中で誰⼀⼈として流れを掴んでいない詳細不明のアメーバ企画のトップバッターをよく⾛り切ったと思う。そしてわたしは勢いよく歌い出した。
「あれ、ところで 25 時間のタイムテーブルなんてどうやって組めばいいのだろう。」歌い出して、こんなペースではすぐに曲がなくなっていくことが⼀瞬でわかった。ペース配分がさっぱりわからない。不安になっていると⾓銅真実が鈴をふるようにステージに現れる。即興で⾔葉を放ち、対話するように、胸につまった⾔葉が融解を始める。なんて尊い才能なんだろう。わたしは体が軽くなっていくのがわかる。わたしも⼈をこんな⾵に許したい。そして⼆時間、演奏は終わり、余韻を語る暇もなく、虚空に放たれた。お客さんも帰り、暗闇が訪れる。永い⻑い夜が始まった。配信だから誰かは⾒ているだろうとわかってはいても、聞いているかわからない中で歌うのはこんなにも難しいのか。わたしは暗闇の中で⾓ちゃんにもらった予熱を駆動させて、きっかけを探した。
夜中にオライビとのセッションの⾳源をかけようと思った。きっとこんなバカな企画を話したら笑ってくれたはずだ。そしてきっと⼀緒に鳴らしていたはずだもの。流しながら、パソコンで⾔葉を打ち、スクリーンにそれを投影した。夜明けにはミドリと yodel が待っていた。朝靄で抱き抱えるように⼆⼈はカーテンをかけてくれた。霧⾬の中を聴こえない⾺が⾛り抜ける。なんとなく、この時間の過ごし⽅がわかってきた。次は 10 時くらいに池間由布⼦とシンボパンを迎える。⼆⼈とは時々パフェを⾷べにいったり、カッコもつかないから楽だ。朝ごはんを全感か君と全感か⼦が届けてくれて、今世紀最⼤にゆるい 「DNA」 の GEZAN カバーをやってホクホクして⼆時間を終えると、獣の匂いが会場に充満する。中村達也が客間を縫って中に⼊ってくる。細胞が反応する。出⿐の⼀発⽬を取られたら押される。そう直感して、先にしかけた。セッティングをまだすませてない達也さんの出⿐に詩の朗読をループさせて、加速させた⾳の束をお⾒舞いした。挨拶すらない中で⼀気に駆け上がり、⾼速道路上で、カーチェイスをする。あっという間に汗が吹き出て⽬的地に辿り着く。「参りました。」達也さんはそう叫んで終わったけど、同じ気持ちだった。速度を気持ちよく感じるのは草原を⾛り抜ける獅⼦のせいだ。きっとあの⽴て髪に永遠に憧れ続けるんだ。
この時点で 17 時間⽬。下津光史とのライブだったが、お客さんを⼊れすぎてしまったせいで⼆会場制にした。不思議な構成になったけど、最後 二 階から降りてステージで合流した時、不思議な安堵でバスドラの中に⼊った。わたしは視点がずれるのが好きだ。真ん中で視線を受けるのも好きだし、はじにそれて視線を受けてる⼈や視線の⾓度を⾒るのも好き。映画を撮る時なんて真ん中でもサイドでもなく⼀番俯瞰した場所に⽴つ。そこから見た背中が全部語ってることもある。バスドラの中は静かで、何の⼀切の仕掛けもない純粋な筒だった。
その後が闇の時間だった。ゲストたちが落ち着き、⼀⼈で紡ぐ四時間は果てしなく⻑かった。途中、感情を落としそうになった頃、⼋雲とロスカルがセッションで⼊ってくる。疲れた体であってもグルーヴに体は動く。不思議だ。どんどん軽くなる。眠っていた細胞が喜んでる。誰でのためでもなくわたしの体が⾼揚してる。フロアは⼀気に加熱していく。何もクレジットされていないけど間違いなく、この 25 時間の中のハイライトの⼀つだろう。写真家の佐内正史が到着して、スライドショーをステージに当てる。この時点で記憶は曖昧になっていて、歌詞は出てこなくなってるのに何故か即興で⾔葉がスラスラ降りてくる。⾔葉が湧いてくるのはどうやら、記憶とは別の場所にあるみたいだ。むしろ、もやが晴れて何の影響も受けない静かな流線が内側に感じられた。この⽇は衆院選投票⽇でちょうど開票がすんだ時間帯であるこの枠を⽬掛けて、ビューアー数が伸びたらしい。「この⾃⺠圧勝を受けた今、マヒトは何も⾔うんだ?」と⾔わんばかりに。でも実際のぞいてみると佐内さんは「⼥の⼦。」とか「⾚い鍋つかみ。」とかそういう詩で、だんだんと何か違う、、、となり閲覧者は減っていったそうだ。笑える。そもそもわたしはタイムラインなど追えるはずもなく、ずっと地下にいた。そして実は佐内さんの詩はわたしにとって政治的な響きを持っている。記号にはならず、無意味ギリギリの彼岸で曖昧に、だけど確かに存在している。それは命や瞬間そのものだと思う。そしてこんな詩が存在できる世界こそ戦争のない世界なのだ。この時点で 25 時間たっていたけど、アジカンのゴッチとのセッションが控えていたので 27 時間⽬に突⼊。ゴッチが⽤意してきた戦争への詩をステージで浴びながら、衆院選の過酷さを感じ取っていく。27時間の絶対領域から現実が⽬の前に溢れ出していくような恐怖に、わたしのターンの終わりを目前に感じた。喫煙所に出ると誰もいなくて埃みたいな雪が降っていて、ビルの隙間の灰⾊の空が泣いてるみたいだった。タバコの消し忘れが⽸の中で煙を上げて雪の世界に抗うように⽴ち上っていた。
終わったらすぐ倒れ込むのかと思っていたけど、予熱があり、体が動くのでイーグルのターンに移ったセミファイセッションで踊った。とても 25 時間を完遂しようとしてる奴とは思えない速度で頭をふりギターを弾きたくるイーグルを⾒ていると笑いが⽌まらなくなる。煽り⽴てるハードコアなベースやドラムは暴⾛族そのもので、瞬きをパパラッチみたく切りまくるイーグルは、初めて学祭でギターを弾いてたのを⾒た時を思い出させた。その時もこんな⾵に先を考えず、ただ雷のようにギターを弾いていた。忘れていた感触だった。こいつとバンドを始めたんだ。ドキドキしながら声をかけにいった時のことを思い出していた。
「また話そうや」と軽く流された気もするけど、間髪⼊れずにどんな⼈間でどんな⾳楽がやりたいかアピールをし続けた。⼝からでまかせで⼤きな夢を語ったら、笑ってくれたから、話す速度を緩めた。そのうちのいくつかはもう叶えてる、武道館は今度叶えるよ。
とても無謀な速度だが、とても⽌める気にはならなかった。少年の⽬をしていたから。横で⼋雲も興奮していた。でも我々には裏シフトがあった。メンバーはメンバーしかサポートできないから休む時間を回転させないといけないのであらかじめ話して作ってあった。イーグルがばてるのははなから⾒えていた。マラソンのスタートを50m ⾛のノリでやるようなものだから。翌⽇から叩き続けるロスカルと⾛り終えたわたし、朝⽅からサポートに回れるのは⼋雲しかいなかった。が、ぶち上がりきっていた。そして⼀番バテてるイーグルの昼をまたいでがっつり寝た。誰もサポートがいない中で、イーグルは酒を飲んでもないのに酩酊していた。精神的にも不安になるような瞬間が演奏中にもいくつかあった。ちょうどまちゃまちゃの前後なんかはそのピークだったように思う。でもわたしは断⾔できる。どう考えてもあのペース配分を作ったイーグルが悪い!笑
ロックバンドのノリと運営を両⽴させるのは難しい。どちらの要素も兼ね備え、いってまえ!と考えろ!が⼊り乱れ⾼速で⼊れ替わる。⾃分たちでやるとはこういうことなのだろう。そうこうしているとロスカルが叩き始める。時刻は14時。本来の開始予定時刻は 23 時だった。なぜ?前回の個⼈記録30時間を超えたいってのは密かに匂わせていたけどそれなら 31 時間でいいのに、何故34時間分の記録を走るのか。
わたしはドラムだけはこの耐久レースが別格の厳しさだと思ってる。前回やった時も⼿⾸が腱鞘炎のようになったり、⾜の筋⾁が異常な張り⽅したりと、結構シャレにならない状態を⾒た。気⼒云々ではない怖さがあるのだ。どうしてそんな前に始めるのかイーグル同様、バカすぎる。案の定、それからわたしは⼼配で⼀睡も仮眠をとることはできなくなった。多分、無理。勇気を持って⽌める勇気も持とう。正式なスタート時間 23 時の時点で、ロスカルの顔は曇っている。これから⻑い夜が始まろうとしていた。ゲストたちがロスカルの BPM をあげると「頼む、下げてくれ〜」と懇願するような気持ちになった。後半やってきた EOU や VQ はさらに駆り⽴て、天に登っていく。でも、⾷らいつくロスカル。「ああ、こいつのビートでわたしは歌ってるんだな」そんなことを思う。
そうこうしてるうちに最後の会場である川崎への機材の引っ越しが始まる。残る組と出発組の⼆班に別れて動き出した。ロスカルはラストスパートをかけてたたみかける。最後のゲストである⻘葉市⼦と下津光史が到着した。川崎までの 40 分、そんな移動を繋げる演奏を頼れるのは、この⼆⼈しかいない。市⼦はロスから成田に帰国後、そのまま来てくれた。キャンピングカーが店先に到着する。このナイスな⾞だって、前⽇の夜中三時、ギリギリのタイミングで⾒つかった。ハイエース内をライトでデコるにも道路交通法で、窓を遮光しなければならない。誰も⼿が空いてるスタッフなどいなかったし、そもそもできたとしても⾒栄えも良くない。どうするか困り果てていた時にスタッフのモリシマがアルカシルカのゆう君がキャンピングカーを買ったことを思い出した。わたしは断⾔できる。再びパンクスの時代がやってくる。彼らは資本主義ではない⾏動の原理を⽇常としてる。前⽇の夜中の三時に呼ばれて動けるこの機動⼒に未来は宿るだろう。わたしはそんな奇跡の数珠繋ぎでファイナルに向かっていた。
ロスカルが叩き終え、会場のエアービルディングを⼀緒に出る。全然アーカイブなんてでききってない。イーグルが⾃主酩酊している最中、2 階の⾏われた永井玲さんの哲学対話の静けさに⼼が洗われたことも奥⽥知志さんとのトークで、希望の⽚鱗を掴んだこともたくさん語りたいことはある。

みんなの祈りのような⾔葉や絵が集まった 100 時間表の深夜の静けさや、階段を上り下りし過ぎて筋⾁痛になったこと。池間由布⼦が、告知直前に「やっぱ今回はみるだけにしたいかな〜」とかネガティブ⾔ってたのに開催中三⽇もきて、時間じゃない時も⾶び⼊りで歌ってたことも、スタッフのキーコが朝⽅、何時間も寝てないのに⾒せた「まだいけるな〜」の笑顔とか、⼋⽊咲が銭湯から帰ってきた時に頭の上に乗っかってたタオルとか、フロアで横⾒たら来てた渋川清彦のロックンロールとか、なんかやばい。溢れる。溢れた。
⼀声⽬、⾞で歌い出した瞬間、いろんなものが解けて緩んでしまった。別に⾃分で騒ぎ⽴てて、⼈巻き込んで、⾃分で疲れて、⾃分でエモくなって何やってんだよって話だけど、でも確かに⽣きてる感じがした。静かに燃える⼆⽉のおばけの時間、体に⾎が巡る。画⾯の向こうに⼿を振りたかった。おーい、⽣きてるか?別になんてことはない。ただの⾞、ただの 2026 年の夜の⼀⽇。平気で忘れていくひと時。だけど、わたしには⾞窓から⾦貨のばら撒かれた都市の夜景に⾒えた。
川崎の会場にたどり着く。階段を登ると⽕が焚かれイカれた M ステのようなセットが広がっている。

この会場だって探すのはギリギリまで難航し、下⾒にいけたのはリレー開催の⼆⽇前だった。そんな速度で動いて成⽴させられるのはそれぞれの⾃主性が開花していたからだろう。トップダウンの⼀連絡系統の中ではこんな速度でこのクオリティはできない。もちろん遠藤次郎というライティングの⻤才がいないと川崎屋上の絵はありえなかったけど。
⾃主性は⾄る所にあった。会場内のスイッチングも奥⽥が教え込んでいくとすごい速度で吸収し、ものにしていく。KIDS ARE ALRIGHT この⾔葉はどんな時代においても絶対だ。
可能性はいつも未来の側にあることを感じさせる瞬間たちが連れてくる。
ライブが始まる。

もうここで⾔うことはない。いつも⾳楽は⾔葉では追い越せないところにあるから、あそこで演奏した気持ちをわざわざ⾔葉には戻せない。覚えているのは、空の⾊が I KNOW HOW NOW と同じで何度も⾒てしまったこと。⽴ち上る煙りが⿓のように渦巻いていてオライビのこと思い出してたこと(あとで聞いたら誕⽣⽇だったらしい)。⼆班に分かれたうちの⽇本橋の会場で残ってた⽅のチームのイケって声援が聞こえた気がしたこと。この企画をはじまりから生きた奥田やマイマイとハイタッチしたこと。
なんかみんな⽣きてた。
24 時、ライブが終わった。果てしない旅の終わりが瞬間、スタートに⼊れ替わる感じ、またこれだ。たどり着くと⼀瞬で過去になる。屋上の⾵は冷たく、肺の中の汚れをきれいに擦りとっていった。
わたしは⽚付けを終えて、予熱を持て余していた。The hatch の深夜イベントが渋⾕のクアトロでやっていたので踊りにいく。全ての⾳がやんでもまだ踊り⾜りなかった。どこからエネルギーは湧いてくるのだろう。熱源を突き⽌めたい、そんなことを思って歩いていたら突然照明は落とされ、真っ暗になる。ああ、電源が切れる。終わるのか。いや、始まっただけか。ここはベッドの上か、記憶の上か、あれ、まだ配信してる?ぜんぶ⾒られてる?わからない。わからなくていいよな。何もわからないよ。こんな時代。こんな世界。でも⼤丈夫。
暗闇の中でも⼤丈夫。よあけはくる。どうせはじまるさ。おやすみ。世界。
(photography Taro Mizutani)
*マヒトゥ・ザ・ピーポー連載『眩しがりやが見た光』バックナンバー(2018年~2019年)












