街のありふれた食堂「食堂キング」を舞台に、中年女性・サチコのささやかな成長を描いた、群ようこさんの最新長編小説『サチコ』。その冒頭部分を、地方新聞連載時に添えられた、阪口笑子さんの温かい挿画とともに、お届けします。

電話での感じがとてもよかったので、初対面の人と会うのは緊張してしまうサチコも、多少、気持ちが軽くなっていた。キングの引き戸は、二十年前と同じく、昭和のはじめの玄関みたいにがらがらと音を立てた。
「こんにちは」
声をかけたが誰も出てこない。もう一度、
「こんにちは」
と少し大きな声を出すと、
「はあい」
と声がして、頭に三角巾を巻き、烹着割を着たおかみさんが出てきた。二十年前と同じ格好だった。
「あのう、先日ご連絡した、スズキ……」
「ああ、はいはい、貼り紙を見てくれた人ね。そうか、今日だったわね。ちょっとここに座って待ってて」
彼女は四人掛けのテーブルのひとつの椅子を引いて、目で合図をした。
「はい」
いくつになっても、面接は慣れないと、サチコの胸はどきどきしてきた。これまで何度か面接を受けた経験はあるが、苦手なものは苦手だ。五分ほどして、おかみさんがやってきて、カウンターの一人掛けの椅子に座ってサチコと向かい合った。
「ごめんね、お父さんが今おやつを食べていて。お餅が焼きたてで、それを食べてからっていうから」
「どうぞごゆっくり」
「お近くなんですよね」
「はい、歩いて三分ほどです」
「へえ、どの辺?」
「神社の隣です」
「ああ、あのマンション? あら、あんな高級なところにお住まいなのね」
「いいえ、私が買ったわけではなく、親が買ったものに住んでいるだけで……」
「それじゃ、ご両親も一緒に」
「両親は亡くなりました」
「あら、そうなの。それじゃ、一人で介護も大変だったでしょうねえ」
彼女は気の毒そうにいった。きっと脳内では健気に両親の介護をしている、サチコの姿が浮かんだのだろう。実際には、サチコは一人でずっとその部屋に住んでいて、親の介護もしていなかったのであるが、ここでは説明する必要はないと判断して、
「はあ」
と昧曖な返事をしておいた。
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サチコ

両親が残してくれた1DKのマンションで一人暮らし。内向きで、控えめで、読書さえしてれば幸せ。「褒められもせず、苦にもされず」が生きるモットー。そんなサチコが55歳で長年勤めた職場を早期退職し、自宅から徒歩3分の「食堂キング」でアルバイトを始めた。初めての接客が不安なサチコだったが、気のいい店主夫婦やユニークなお客さんたちに囲まれ、遅ればせながら人生の色々を学んでいく。けれど、店主の腰痛が長引いて、キング閉店の危機が……!? ときにじんわり、ときにほろ苦く、どこか滑稽で――。ささやかな人生の豊かさを味わえる長編小説。











